10章-竜と語らう-
目を開けば、視界にはいつか見た黄金の積み上げられた洞窟が広がる。
これが夢――もとい自身の内側の世界であることをシオンはこの時点で理解した。
「――神の子よ」
洞窟に響く低く重い声。
聞き慣れないそれに振り返れば、一体のドラゴン――ファフニールがこちらを見下ろしていた。
「……お前、人の言葉話せたんだ」
「我を侮っているのか? 人間ごとき下等生物の言語など我らに操れぬわけがなかろう」
「あーそういう感じのめんどくさいんで結構ですー」
シオンの雑な対応に少しイラッとした様子のファフニールだが、意外にもため息ひとつでそれを流した。
イメージ的にすぐにカッとなって襲いかかってきそうなものなのだが。
「(まあ神話とかって結局人間視点だしな……)」
蓋を開けてみればちょっと違うというパターンは別に珍しいことでもないだろう。
「まあそれはそれとして、なんの用? 多分、そっちが俺のこと呼んだんだよね?」
ここはシオンの内に封じ込められたファフニールの精神世界。いくらシオンの内側にあるとはいえ、基本的には隔離された領域だ。
もちろんシオンがその気になれば干渉できるが、今回シオンにそういった意図はないし、無意識で干渉できるほど簡単ではない。
つまりはファフニールの側からシオンにアプローチがあったという結論になる。
「貴様に多少の興味が湧いた。話すべきこともあった。故に呼びかけただけだ」
「それで? 具体的には?」
「貴様気が短いな。……まあよい」
呆れを見せつつも、ファフニールは改まった態度で小さく頭を下げた。
「まずは、貴様に感謝を。貴様の内に封じられていることで我が身を蝕んでいた穢れは薄れつつある」
言われてみれば以前はアンノウン特有の赤に染まっていたはずのファフニールの瞳は本来の色なのか深い緑になっている。
封印したての時はこの精神世界の中ですらも暴れたというのに、今こうして理性を保っているのも穢れが薄れて魔物堕ちから脱しつつある証拠なのだろう。
「……封印されていることに文句があるわけではないんだ」
「予想外ではあったがそれほど不満はない。ここは人間どもが来るわけでもなく、存外快適であるぞ」
「そうなの……?」
一応は喰らった相手に結構快適と言われてしまって反応に困る。
「時に貴様。何故我を封印したのだ? 貴様なら真の意味で喰らうこともできただろうに」
≪天の神子≫の力、“天つ喰らい”はあらゆる魔力を喰らうって自らの内に取り込む力だ。
そして喰らうのだから、生きるものを人外を喰らえばもちろん殺す事になる。それが本来の使い方だ。
しかしファフニールに関してはその本来の使用法ではなく、シオンの魂の内側に作った隔離領域にファフニールの存在を丸ごと封じ込める形を取っている。
ファフニールは何故そのようなややこしい真似をしたのかと言っているのだ。
「まあ、念の為? ドラゴン、しかもファフニールなんていう有名どころの魔物堕ちをまるっと取り込むなんて初めてだったから。普通に喰べてうっかり主導権握られるなんて展開になったら目も当てられないし」
大量の人間の穢れを怨念を受け止めたことはあるが、それは所詮弱い人間をたくさん喰べたというだけで、シオンが許容しない限り怨念側から影響を受けることはありえない。
しかし、ファフニールは同等かそれ以上の力を持つ人外だ。
そんな存在を喰らったことなどないので、何が起こるか全く予想ができなかった。
実際、今となっては当時の選択肢が正解だったと確信している。
隔離しての封印ですら封印したてのタイミングはファフニールから漏れた穢れで魔物寄りになってしまっていたくらいであるし、今回の一件では怒りのあまり精神の均衡が崩れた結果ほぼほぼ魔物化した上にファフニールの力に体も精神も影響を受けてしまった。
直接喰らうなんて真似をしていたら、その時点でファフニールに体の主導権を奪われるか、ファフニールの精神の影響でシオンの人格が歪んでしまうかのどちらかだっただろう。
「なるほど……一見楽観的なように見えるが、案外慎重なのだな」
「ま、俺ってば下等な人間だから。ちゃんと考えないと」
「…………?」
なんてことのない会話をしていたはずが、ファフニールが疑問符を飛ばした。
「人間? 貴様が?」
「え、うん」
「それは冗談か何かか? 貴様が人間のはずがなかろう」
嫌味でも挑発でもなく、それが当たり前のことだと疑わないファフニールの言葉にシオンは一瞬反論に困った。
「何を驚く。人間ごときが我をその身に封じ込められるわけがなかろう」
「まあそうなんだけど、普通に人間から生まれた身だし」
「人間から生まれようが貴様の持つ力は神のそれだ。そもそもそれほどの力を有しておきながら人と共に生きられるはずもあるまい」
同じような言葉をかけられたことはある。
その時シオンはそれを歯牙にもかけず、人間として生きるのだとはっきりと宣言した。
しかし、今のシオンは自信を持ってそれを口にできるだろうか?
「……まあいい。貴様がなんであろうが我には関係のないことだ」
「さいですか」
用は済んだとばかりに巨大な体を器用に丸めたファフニールは一眠りでもするのだろう。
「本当に俺の中の生活満喫してるなお前……」
「静かでよいのだ」
「家賃でも請求してやろうか」
「ふむ、我が黄金をと言われれば許容しかねるが……対価を払えというのは真っ当な主張であるな」
「え、払う気あるの?」
「貴様は我をなんだと思っている」
「とんでもないドケチ」
父親を殺して黄金を奪った上にそれを兄弟にすら分けなかったあたりそんなイメージである。
ファフニールは「はっきり言いよるな貴様……」とややムスッとした表情は見せつつも、やはり激しく怒るわけでもなくわざとらしく咳払いした。
「一方的に施しを受けておいて何も返さぬなど下等生物のすること。結果論とはいえ我を穢れから救った貴様に対してそのような卑しい真似をするなどあり得ん」
「でも黄金はあげたくないと」
「問題あるまい。我がその気になれば黄金より価値あるものでも貴様に与えられる」
「具体的には?」
「我が力を貴様に貸し与えてやろう。同意の下に行えば昨晩のように貴様の精神が汚染されることもあるまい」
基本的には朱月と交わした契約と同じ。ということだ。
実際これから魔物堕ちなどを相手にする機会もあると思えば黄金などよりも価値がある家賃だと言っていいだろう。
「ここは平穏だが、多少退屈してきてたところであるし、我としてもちょうどいい」
「じゃあ、遠慮せずに借りることにする」
話はこれで終わりとシオンはファフニールに背を向けこの精神世界から立ち去る準備をする。
「……話は変わるが、貴様にひとつ忠告をしておく」
「忠告?」
「これ以上、我のようなものを喰らうのはやめておけ。例え我にしたような形で封印したとしても、次に力あるものを喰らえば貴様は耐えられん――人間でありたいのであれば尚更避けねばならん」
「……ご忠告ありがとう」
それからシオンは、振り返ることもせずその場から立ち去った。




