9章-前例なき異形-
――第一人工島をミサイルとそれに誘導されたアンノウンが襲った夜が明けた。
結果から言えば、第一人工島に一切の被害はなかった。
それどころか六〇発近いミサイルも、それによって誘導されて現れた一〇〇〇体前後のアンノウンも、第一人工島に立ち入ることすらも叶わなかったというのが現実だ。
それだけではなく、シオンは今回の犯人であるテロリストたちへの対処も済ませていたらしく、アンノウンの襲来が落ち着いた頃に西側の港付近に七隻の潜水艦とひとりの捕虜を確保して現れた。
すでに鱗や翼はなくなって人間の姿に戻っていた本人は疲れたから寝ると言って自分の部屋にさっさと戻っていき、事件はやや間の抜けた終わりを迎えた。
見事なほどに人類軍の出る幕はなく、テロリストたちの計画はシオンによって挫かれたわけだ。
「(あれが、シオンの本気なんだろうか?)」
〈ミストルテイン〉の艦長室でアキトはひとり考える。
第一人工島ひとつを守る巨大な魔力防壁。
一〇〇〇のアンノウンを機動鎧すら使わず、単独で屠る力。
それだけでも驚くべき力だというのに、さらにシオンは魔術で生み出した分身を使ってテロリストたちをも始末した。
シオンの力が強大であることは以前からわかっていた。
それをテロリストという人間に向けられるということも把握していた。
しかし、それでもまだ手加減されていたのだと今回のことで実感できてしまった。
思えば本気で戦うシオンというものをちゃんと見るのは初めてのことだった。
ヤマタノオロチの一件では戦いの最終盤しか目にしていないし、ファフニールやクラーケンの一件では後方支援に徹してもらっていた。
シオンが力と意識をすべて戦いに向ければ今回のようになるのだと、アキトは初めて知った。
個々が強大ではない相手――人間や並みのアンノウンが相手なら、ああも一方的な蹂躙になるのだ。
「(もしもシオンが人類軍を敵と見做したなら、ああなるのか?)」
無数の機動鎧も飛行戦艦も、シオンの前ではきっと昨晩のアンノウンたちのようにあっさりと薙ぎ払われるのだろう。
今までであれば、そこまで悪い想像をすることはなかった。
シオンは確かに人類軍を信用はしていないが、無闇な殺生をすることは好まない。
仮に人類軍との仲が険悪になり戦う時が来ようともある程度の手加減はするだろうと、そう考えていた。
それが揺らいでいるのは、昨晩シオンが戦いに出てから豪華客船に残されたアキトたちにヴィクトールが語った内容にある。
「――これは、思ったよりも恐ろしいことになっているのかもしれない」
人類軍に慌てて手出し無用の連絡をした直後、ヴィクトールはやや表情を厳しくしてそう口にした。
「何が、ですか?」
「シオン・イースタル君のことさ。私が考えていた以上に、彼は悪しき神としての道を進んでしまっていたらしい」
「それはどういう……?」
直前に目にしたシオンの姿も相まって焦るアキトをヴィクトールは冷静に手で制した。
「どうせ私たちの出る幕はない。少し長い話をすることになる、ひとまず席に着こうじゃないか」
そうしてヴィクトールが軽く手を振るえば、シオンから発せられた炎で燃えたテーブルやイスが瞬く間に新品のような状態に戻る。
促されるままアキトたちが席に着くのを待ってからヴィクトールは改めて口を開いた。
「前提として、≪天の神子≫の能力だけを基準とするのなら彼は善でも悪でもない中立の存在に位置する。本人は悪しき神と名乗っているらしいけれど、それは彼本人の精神性によるものに過ぎない」
そもそもシオン本人が自身を悪だと考えているだけであって、それはあくまで主観的なものでしかないのだとヴィクトールは言う。
「それに、彼の力は決して破壊や殺戮のための力ではない。命を奪う使い方もできるというだけだからね。だから自分で口にするほど彼は悪しき神ではないし、この先もそうなり得ないと私は考えていたんだが……」
「その考えが変わったと?」
ヴィクトールは重々しく頷いた。
「彼は、魔物へと堕ちたファフニールを喰らった。そして想定外にもその力を自身のものにしてしまった。これはとても不味い……彼は、これまで持っていなかった破壊と殺戮のための力を得てしまったんだ」
悪しき神を名乗りつつもそれに相応しい力を持っていなかったはずが、現在のシオンはそれを手にしてしまっている。
「それに留まらず、彼はファフニールの穢れまでもその身に宿している。≪天の神子≫であるおかげで堕ちる心配はなさそうだが、精神状態次第で一時的に魔物によることはあるらしい……それは君たちも先程目にしたからわかるだろう」
事実、怒りにのまれたシオンは異形に変じるより先に目を赤くしていた。
ファフニールのものと思しき鱗や翼が現れたのはあくまでその後のことだ。
「≪天の神子≫の力がこのような結果を招くとは思わなかったが……現在の彼は生来の神子の力に加え、邪竜ファフニールの力、そして魔物の力のふたつを兼ね揃えた人外に至っている」
「そんなめちゃくちゃなことあり得るんですか!?」
「私の知る限りそんな規格外の存在は彼ひとりだとも。おそらくこれから先の未来においても≪天の神子≫にしか至れない境地だろうね」
アンナが驚きを隠さず問うのに対してヴィクトールは冷静に答えた。
それに、実際にシオンがそうなってしまったのは事実なのだ。あり得るあり得ないの話をするだけ無駄だろう。
「シオン・イースタルという神はもはや“神子”の域を超えた存在に至っている。神であり、竜であり、魔物であるなんていうデタラメな存在にね。……こうなってしまっては今後の彼がどうなるかは私にもわからない」
ヴィクトールは一度全員を見渡してから改めてアキトのことを真剣な面持ちで見つめてくる。
「アキト・ミツルギ君、彼から決して目を離してはいけないよ。彼はすでに、彼自身ですら理解不能な存在へと変わってしまったのだから」
「シオン自身ですら理解不能、か……」
アキトはこうして艦長室に戻る前、一度シオンの私室に立ち寄っている。
スーツを雑に脱ぎ捨ててベッドで丸まる彼の見慣れた姿にはひどく安心したものだ。
アキトたちから見て、ファフニールを封じてから今日までのシオンに大きな異常は見られなかった。シオン自身も違和感を覚えている様子などなかった。
それでも、昨晩ああして異形の姿になってしまった以上、ヴィクトールの見立て通りの変化があの小さな体に起こってしまっているのだろう。
「俺には、何ができるんだろうか」
答えの出ない問いを吐き出しても、それは艦長室に虚しく響くだけだった。




