9章-怒りの理由-
「おやおや、まさかこんなにも早く騎士様が現れるとはねぇ」
あれほど強い風で吹き飛ばされたにもかかわらず青年は何事もなかったかのように悠然と立っていた。
口ぶりこそ驚いている体ではあるが、その振る舞いからは驚きなんてものは微塵も感じられない。
「それにしても、さすがはかの≪天の神子≫殿だ。この部屋はそれなりの防衛術式で守られているというのに、あっさりと乗り込んでくとはね」
「…………」
青年が話すのに対して、シオンは一言も言葉を発さない。
その振る舞いにナツミは違和感を覚えた。
ナツミの知るシオンはこういう時、相手の言葉に何かしらの横槍を入れて好き勝手に引っ掻き回す。そう思うのにシオンはただ無言で相手を睨みつけるばかりだ。
その姿にナツミは胸騒ぎを覚える。
「…………ナツミ、ケガはない?」
「え、あ、大丈夫」
ようやく視線だけこちらによこしたシオンにナツミは辿々しく答える。
何かをされる前にシオンが助けに入ってくれたので指一本触れられてはいない。ただ、先程の恐怖が完全には消えていないようで上手く口が回らなかった。
その怯えたような様子にシオンが気づかないはずもなく、わずかに眉を寄せる。
「震えてる」
「う、うん。ちょっと、怖かったから」
ちょっとなどというのは強がりだ。正直今もシオンの支えがなければ床にへたり込んでしまうくらいに足が震えてしまっている。
そしてそれはきっとシオンにも気づかれてしまっているだろう。
「そっか」
それはとてもシンプルな言葉だった。
ただナツミの言葉に相槌を打ったというだけの他愛もない言葉。
しかしその直後、シオンの影から飛び出した無数の影の槍が対面の青年を滅多刺しにしてしまった。
無数の影にその身を貫かれた青年は傷口はもちろん口からも血を滴らせている。
「……え?」
突然のことにナツミの理解は追いついていない。だが状況はナツミの理解など待ってはくれしないらしい。
「……言葉も交わさずこの仕打ちとは、さすがに野蛮ではないかな?」
滅多刺しにされている青年が呆れたように言う。
そして一瞬だけ体を霧のように変えたかと思えば、シオンの影の槍を逃れてしまう。
衣服も元通りになり血の跡すらもなく、つい数秒前まで体中を滅多刺しにされていたのがウソのようだ。
そんな青年に再び影の槍が襲いかかるが、それらは青年に届く前に魔力防壁で阻まれた。
「ふむ。言葉すら交わしてはもらえないのかい? 私たちがここで争うのはどちらにとってもメリットがないことだと思うのだが」
「黙れ」
ようやく青年の言葉に応じたシオンの声はゾッとするほど冷たい。
「お前はナツミに手を出そうとした。恐怖を与えた。……なら俺の敵だ」
当然だとでも言うようにそう口にするシオンはさらに影の槍を増やして青年を狙う。
青年はそれも難なく防ぐが、その表情にわずかに焦りが見え始めた。
「……これは失敗したね。どうやら知らずに君の逆鱗に触れてしまったようだ」
青年の言葉に興味などないのか、シオンは影の槍に加えて炎の弾丸を無数に放った。
シオンにより守られているのかナツミは熱さを感じないが、着弾と同時に弾けて部屋を赤く照らした爆炎が相当な熱量を持つのは見ているだけでもわかる。
それを皮切りにシオンは青年に対して怒涛の攻撃を開始した。
現時点では魔力防壁で全て阻まれているようだが、これほどの攻撃に晒され続ければどうなるかわからないだろう。
ナツミを抱きしめて支える腕は温かく優しいのに、青年に向ける攻撃の数々は冷たく苛烈極まりない。
すぐそこにあるシオンの瞳にいつもの柔らかさはなく、漆黒の中にわずかな赤が混じっているかのように見えた。
その様子を見れば、ナツミでもわかる。
――シオンは、ただナツミを怖がらせたというだけで目の前の青年を本気で殺そうとしているのだ。
それを理解したナツミは、気づけば衝動のままシオンを真正面から抱きしめていた。
自分でもどうしてそうしたのか上手く説明はできない。
ただ、シオンを止めなければと強く思って咄嗟に出たのがこの行動だっただけだ。
「シオン、大丈夫。あたしは大丈夫だから」
本当に大丈夫かと言われればそうでもない。青年の手が伸びてきた時のことを思い出せばまだ体は震えるだろう。それでもこれだけはダメだと、シオンにこんな理由で命を奪わせてはいけないと胸の内の何かが叫ぶのだ。
強く抱きしめて、大丈夫だと繰り返す。そうしていればやがてシオンの体からふっと力が抜けた。
「そこまで言われたら、やめるしかないじゃん」
かけられた声はいつものシオンのものだった。
つい先程までのような冷たい響きはなく、少しの呆れを滲ませた優しい声だ。
それを聞いてナツミは安心から力が抜けてしまい、シオンに倒れ掛かるような形になる。
そんなナツミをシオンは優しく抱き止めてくれた。




