9章-ヘレンとマリエッタ-
「マリーからの報告はある程度受けていたけれど、実際に会ってみると本当にとんでもないんだね、シオン君は」
メカシオンは派遣準備のため、そして2Pカラーのようなシオンがいるのを他の研究員などに見られると面倒なので〈ミストルテイン〉に返し、シオンたちは応接室で一息ついていた。
ヘレンの一番の目的だったであろうシオンの勧誘が落ち着いて話題がなくなったとも言う。
「つーかよぉ。勧誘うんぬんの話が片付いた以上、ここで駄弁ってる理由もねぇんじゃねぇか?」
「まったく忙しないねぇ。そんなに帰りたけりゃあんただけ帰りゃいいじゃないか」
「そうはいかねぇ。テメェがシオンに妙なこと吹き込んだろ困る」
「はっ、誰が好き好んであんたの話なんてするってんだい」
またまた口喧嘩を始めたゲンゾウとヘレン。
ここまで見本のような犬猿の仲を見せられると、逆に面白くなってくるのが不思議だ。
「私は世間話がしたいんだ。それについてあんたにとやかく言われる筋合いはないよクソジジイ」
「あ゛?」
「お爺ちゃん。そろそろいい加減にしてちょうだいな……」
「ヘレンお祖母様もですよ。そのような調子ではいつまでも話が進みませんわ」
アカネとマリエッタの言葉にゲンゾウとヘレンがぴたりと動きを止める。
実の孫と少女からの正論にはさすがに文句も言えないようでふたりは鼻息荒く互いから顔を背けた。
ゲンゾウはこれ以上ヘレンと喧嘩しないためか、目を閉じてだんまりの姿勢になっている。
「……さて、少し遅くなったけれど、おかえりマリー」
「はい、ただいまですヘレンお祖母様」
ゲンゾウと話していた時の刺々しい態度ともシオンたちと話していた時の態度とも違う穏やかなヘレンの「おかえり」に、マリエッタもまた嬉しそうに「ただいま」という言葉を返した。
それは何も知らない人間が見れば祖母と孫の会話にしか見えないだろう。
「えっと、局長さんとマリーの関係って上司と部下ってだけじゃないんですかね?」
「そうですね。ヘレンお祖母様はわたくしを養子として迎えてくださっていますから」
「書類上は母ってことになるんだろうが、年齢が年齢なんでね。マリーの祖母って考えてくれればいいさ」
上司と部下であり、祖母と孫。ヘレンに言うとややこしくなりそうだが、ゲンゾウとアカネの関係と同じというわけだ。
「シルバも元気そうで何よりだよ。〈ミストルテイン〉ではうまくやれてるのかい?」
「……まあそれなりに。顔見知りも多いんで」
ヘレンに対するシルバの態度はそっけないが、別に嫌っているなどではなさそうだ。
ヘレンも特に気にした様子はなくうっすらと微笑んでいる。
「それで……マリーとはその後どうなんだい?」
「……どうとは?」
唐突な問いにシルバが疑問符を浮かべるのに対し、ヘレンは表情はそのままに視線のみ鋭くするという器用さを見せる。その視線に外野のシオンがわずかに緊張してしまった。
「もちろん、恋愛的な意味でだよ」
「順調ですわ!」
「んなことねぇけど⁉︎」
蓋を開けてみれば一瞬緊張したのが恥ずかしくなってくる話題だった。シオンの隣に座るアキトもわかりやすく脱力している。
「ハワイではビーチで一緒に海水浴を楽しみ、ショッピングデートを敢行、ふたりきりで夜のビーチを散歩するというロマンチックなイベントもしっかりこなしました!」
「え、結構しっかりカップルみたいなことしてるじゃん」
「マリーがどうしてもって言うからっすよ!」
その気がないとシオンに対して明言していたはずのシルバが知らない内に割とばっちりカップルらしいイベントをこなしているという事実にシンプルに驚く。
「受け入れちゃってる時点で満更なさそうにしか見えないんだけど」
「そうは言っても、年下の女相手に冷たくするのも男らしくねえっつーか」
シルバのスタンス自体は変わっていないらしいが、どうも行動が伴っていないらしい。
人間嫌いとは言いつつも女子供に冷たくできるタイプではないので仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないが……
「なんにせよ仲良くやれているようで何よりだよ。私は本人たちが納得できてるならどっちに転んでも構わないさ。……ただ、」
シルバに対してヘレンは笑みを深めたが、それと反比例するように纏う空気が冷たくなるのをシオンは確かに感じた。
「うちの可愛い孫を傷つけるようなことだけは、やめておくれよ?」
「傷つけたら殺すぞ」くらいのニュアンスがばっちり込められた言葉だった。シルバもそれはわかっているようで背筋を伸ばして頷くだけしかできていない。
マリエッタ本人はその殺気に気づいていないのか「まあお祖母様ったら」なんて言っているが、血のつながっていない関係ながらもヘレンはずいぶんとマリエッタのことを大切にしているらしい。
「ああそうだマリー、他の連中もあんたのことを気にしてたんだよ。私はミツルギ艦長なんかとも話があるから、その間に少し顔を見せに行ってきてやるといい」
「はいお祖母様。シルバ様も一緒に行きましょう!」
「あ、ああ。わかった」
ヘレンからの提案を受けて、マリエッタとシルバが慌ただしく応接室を去った。
シルバはともかくマリエッタにとってここは勝手知ったる場所のはずなので、特に問題はないだろう。
「……なんというか、そんなに大事にしてるマリーをよく〈ミストルテイン〉に行かせましたね」
本人がいなくなったこともあって、シオンは疑問に思っていたことをヘレンにぶつけた。
「〈ミストルテイン〉には俺なんていう得体の知れないのがいるし、最前線で戦う戦艦でもあります。それに、預け先は悪名高い十三技班になりますし」
シオンはもちろんアンノウンとの戦いで身の危険もある上に、〈ミストルテイン〉のメカニックを担うのは人類軍の技術部門に属していれば知らないものがいないくらい悪名高い十三技班だ。
しかもヘレンとゲンゾウはあれだけの犬猿の仲なのだ。
ただでさえ大事な孫を預けるにはよろしくない環境だというのに、犬猿の仲である男に預けるなんて普通ならしないだろう。
「もちろん最初は反対したさ。でも、やりたいことを口にするなんてろくにしてこなかったマリーが自分から行きたいって言い出したんだ。……そんなの多少のことには目を瞑ってでも叶えてやりたいと思うじゃないか」
「孫のおねだりに折れただけですか?」
「それだけじゃない。マリーにとってもいい経験になると思ったのさ」
そう話すヘレンの顔には少しだけ陰があった。
「十三技班の腕がいいのは事実だし、良くも悪くも人間らしい連中が集まってる。……あの子にはそういうバカな連中に触れる機会が必要だと思っただけさ」
ひどい言い様だと思う一方で、マリエッタの出自を思えば軽率に笑うことはできない。
それから彼女は改まったようにシオンたちのことを見渡した。
「シオン君にミツルギ艦長……それからゲンゾウ。今後も、あの子のことをよろしく頼みます」
犬猿の仲のゲンゾウに対してまでも頭を下げたヘレンは対異能特務技術開発局の局長ではない。
今の彼女はあくまで孫のことを心配するひとりの祖母でしかないのだろう。
「頼まれるまでもねぇ。ガキの面倒を見てやるのが俺の仕事だクソババア」
「……そうかい。だったらきっちりと仕事をしておくれよ、クソジジイ」




