9章-知った者たち⑤-
「…………頭大丈夫?」
「お前……」
真剣なハルマの宣言に対してのシオンの反応はかなり失礼なものだった。
冗談やふざけているわけではなく本気でこちらを心配しているあたりなおタチが悪い。
「頭は至って正常だ」
「その判断をしてる時点で正常とは言い難い気がするんだけど」
「…………」
「あ、痛い痛い痛い無言で握る力強くしないで! レイスとリーナも便乗しない!」
掴んでいた手をギリギリと掴んだのはハルマだけではなかったらしい。
ふたりも散々な言いようにそれなりに腹を立てたのだろう。
「ひどい目に遭った」
「完全にお前が悪い。レイスを怒らせるなんて相当だぞ」
レイスはこの中で最も気性が穏やかで、士官学校で知り合ってから三年以上声を荒げたところなど見たこともない。そんなレイスを軽くとはいえ怒らせたというのは相当なことだ。
それはシオンにもわかっているようで、少々ビクビクとしながらレイスを伺い見ている。
「僕たちが本気だってこと、わかってくれた」
「……うん。さすがに」
ようやくハルマたちの言葉をちゃんと受け止めたらしいシオンは改めて座り直すとべたりとテーブルに突っ伏した。
「でもさ、普通に考えて六歳そこらでうん百人焼き殺したバケモノにその対応になる?」
「結果論かもしれないけど、貴方は何万人かの命を守ったこともあったでしょ」
奪った以上の命を救えば許されるというわけではないが、シオンの行いは少なくとも彼がただ命を奪うだけの存在ではないという証拠にはなるだろう。
「なんでそう不満そうなのか知らないけど、私たちがこの判断をしたのは完全にシオンのこれまでの行いの結果だからね? この場合にこの言葉を使うのが正しいかは少し怪しいけど、シオンの自業自得よ?」
「なんてこった……」
リーナのもっとも過ぎる指摘に少し顔を上げていたはずのシオンは再びテーブルに突っ伏した。
ただ、どうしてシオンがそうも沈んだ様子になるのかがハルマにはわからない。
「怖がられずに受け入れられたのは、普通喜ぶべきことじゃないのか?」
「そうだけど、そうじゃないっていうか……」
突っ伏したままうんうんと唸るシオン。
先程まで頭を悩ませていたハルマたちは自分たちがどうしたいのかがわかってスッキリしているので、立場が逆転した状態だ。
「綺麗なものを、汚したような気分」
「は?」
「正しい心を持つ善人を悪の道に引きずり込んでるような気分とも言う」
いよいよ意味がわからないことを言い出してハルマは眉間に皺を寄せる。
やや不機嫌になったハルマを察したのか、レイスがフォローするように口を開いた。
「善人って僕たちのこと、なんだよね? それが悪なる神なシオンを受け入れてるから、悪の道に引きずり込んでるって思うの?」
「そんな感じ」
「う〜ん。わかったような、わからないような……」
言いたいことはレイスが整理したことでわかった。
だがどうしてそんなことを思うのかがわからない。
「そもそも、シオンはそこまで悪い神様じゃないんじゃないかな。自分ではやたらそういう風に言ってるけど」
「正義とか悪なんて結局は立場とか視点次第だしな」
正義と悪が紙一重であることなんてシオンであれば当然わかっていそうなことなのに、シオンはどうも自身が悪であるという認識が強いように思う。
自ら“悪なる神”などと名乗っているのがいい証拠だ。
「いいや。俺は“悪”だよ」
ハルマたちの指摘をまるで取り合わずにシオンは改めて自分は“悪”なのだと断言した。
「正義と悪はころころ変わるけど、命を気分ひとつで奪うものを正義とは言わないし、憎しみに狂ったものも正しいとはされない」
「なら、俺だって少し前まで似たようなもんだったろ」
今でこそ改めたが、ハルマは少し前まで人外を滅ぼすつもりでいた。
改めて考えるてみるとどう考えても不可能だったし、正しいとは言い難い考えだとわかるが、あの頃はそこに疑問を持たなかった。炎でテロリストたちを焼き殺したシオンと何も違わない。
それならばあの頃のハルマも“悪”だろう。
しかしシオンは黙って首を横に振った。
「ハルマと俺は違うよ。だってハルマは立ち止まれたんだから」
ようやく顔を上げたシオンは困ったように微笑んでいた。
自嘲と諦めが入り混じった力のない笑みだ。
「俺がハルマなら、きっと立ち止まらなかった。あの卒業式の日に俺のことを殺してただろうし、その後人外を滅ぼすために全部を捧げてた。……だから、違うんだよ」
シオンの主張を否定できる言葉をハルマは持っていない。レイスやリーナも同じだろう。
それに、仮にハルマが何かを言えたとしてそれはシオンにはきっと届かない。
シオンが憎しみのままに多くの命を奪ってしまったのは事実で、ハルマが憎しみに囚われて命を奪うことをしていないのも事実である。
その決定的な違いがあるから、シオンの中でシオン自身は“悪”で、ハルマは“正義”なのだ。
「……結局、お前はどうなってほしかったんだ? どうして今、過去のことを話したんだ?」
「どうなってほしかったかは、正直自分にもわからない。受け止めてほしかったかもしれないし、ひと思いに怖がってほしかったようにも思うから」
本当にわからないのか曖昧にシオンは笑っている。
「今話したのはここに来てちょうどいいと思ったのと、今後のために話しておくべきだと思ったから」
「今後?」
「うん、今後」
シオンはハルマの問いに頷き、続ける。
「今後俺は、人間も人外も両方殺すことになるだろうから」




