9章-知った者たち②-
程よい温度のお湯がシャワーヘッドから降り注ぎ、ハルマの髪を濡らす。
普段であれば汗を洗い流す感覚が心地よくリラックスできる時間になるはずなのだが、今のハルマはとてもそんな気分にはなれないでいる。
日中その目で目撃することになったシオンの過去に、ハルマはずっと心を囚われたままだった。
「…………はぁ」
遅い時間帯であることもあって他に誰もいないシャワールームには小さなため息もよく響く。その虚しい響きに、余計に気分が暗くなった気がする。
気持ちを切り替えるためにシャワーを浴びに来たつもりだったのだが、効果がないどころか逆効果にさえなりかねないらしい。
早々に切り上げてシャワールームを立ち去るハルマだったが、かと言って自室に戻っては結局悶々と考え込んでしまうのが目に見えている。
そのまま戻る気にはなれず、軽く飲み物でも飲もうと深夜でも自販機が使える食堂に向かうことにした。
「……レイス、リーナ」
「あはは……」
「ハルマも来たのね……」
普通に考えれば誰もいないはずの深夜の食堂にハルマが足を踏み入れれば、先客がふたりもいた。
そしてその時点でふたりもハルマと同じような理由でここにいることは察せられた。
「ハルマは……シャワー浴びてたの?」
「ああ。ふたりは?」
「私は少し前まで部屋にいたんだけど、落ち着かなくてここに来たの」
「僕は少し外で夜風に当たってから来たんだ」
示し合わせたわけではないが、それぞれが昼間のシオンのことで悩み、考えに詰まった末にここに辿り着いたということらしい。
「気が合うな」なんて言ってみればレイスもリーナも笑ってはくれるが、普段と比べればずいぶんと控えめな笑い方だ。
それが終わればなんとなく会話は続かず、食堂は沈黙に包まれる。
「……難しいよね。いろいろと」
沈黙に耐えかねたのかレイスがそう口にした。
何も具体的なことは言っていないが、何が言いたいのかはわかる。
シオンが人間を殺すことができるということはわかっていたし、それ以前に“人間を殺すことができる”という点についてはハルマたちも同じだ。
中東の地でテロリストたちとの戦いになった時、ハルマたちは迷うことなく引き金を引いて敵対したテロリストたちの命を奪っている。
数が違えども他人の命を奪っていること自体はシオンもハルマも変わらない。
そう考えていたからこそ、シオンが数十人のテロリストたちの命を奪ったことについてハルマから何かを言ったことはない。
しかし、今回見せられたものを同じように受け止めることはできなかった。
命を奪っていることに変わりはない。
だが、シオンの復讐劇はあまりにも一方的で、無慈悲で。
ハルマは恐ろしいと思わずにはいられなかった。
「……正直、まだ信じられてないのよね」
リーナは両手で持ったコーヒーの缶を握りしめつつ不安げにそうこぼした。
「シオンが躊躇なく命を奪えるのはわかってたけど、あそこまでできるなんて考えたこともなくて……あれはシオンに似てるだけで別の人なんじゃないか、なんて思ってる自分がいるの」
「僕も同じような感じだよ。本人に見せられたことなのに、実感がないんだ」
ふたりの言うことはハルマにも思い当たる節がある。しかしそれでも、
「それでも、あれはシオンがやったことなんだ。……紛れもなく本人も納得の上で」
朱月も断言していたし、シオン本人もそれを認めていた。
そしてシオンは「後悔していない」ともはっきりと口にしていた。
平気でウソをつくシオンだが、あの言葉に嘘偽りがあったとはハルマは思わない。
ハルマたちが見抜けなかった。あるいはシオンが見せてこなかったもの。
それが憎しみの炎で全てを焼き尽くしたシオン・イースタルという神なのだ。
それを再確認して、ハルマたちは再び言葉を失う。
再度沈黙に支配されてしまった深夜の食堂だったが、それをドアの開閉音が破った。
「……ん? お前ら何やってんだ?」
気の抜けた問いかけをしてきたのはギルだった。
「俺たちは……少し話してただけだ。そっちこそどうして」
「俺は、飲み物買いに来ただけだぞ。ちょうど部屋になんにもなくてさ」
さっさと自販機まで歩いて行ったギルは言葉通り缶ジュースを購入してからこちらに来た。
本当に用事は飲み物を買いに来ただけらしい。
そんなギルを見ていて、とある疑問が湧いてきた。
「(ギルは、あれを見てどう思ったんだ?)」
ギルもまた、日中にシオンの衝撃的な過去を知らされた側の人間だ。
草原から格納庫に戻ってきてすぐ立ち去ったシオンを追いかけたギルは、ハルマたちと違って何かしらの結論を出したのだと思う。
その結論はどんなものなのだろうか?
ギルはシオンの過去を目の当たりにして何を思ったのだろうか?
「お前らの話って、昼間のシオンのあれか?」
「……ああ。そうだよ」
あっさりと見抜かれて少し驚きつつもハルマは頷いた。その上でギルに尋ねる。
「参考までに聞かせてくれ。……ギルは、あれを見てどう思った?」
ハルマの問いを聞きつつぐびぐびと缶ジュースを煽ってから、ギルは少し表情を歪めた。
「ムカついた」
シンプルかつ予想外の答えに、ハルマは言葉が出ない。
「過去のことはともかく、この後に及んで俺に対して「全てを知ったあなたたちは俺を恐れるかもしれない」とか言ってきたことにムカついた。だから解散した後追いかけて、一発ぶん殴ってやった」
その時のことを思い出しているのかギルにしては珍しく機嫌が悪い。
ただ、果たして問題はそこなのだろうか。
「その、復讐のことはともかくで片付けていいの?」
「正直驚いたし、最初はやり過ぎだとも思った。けど、俺は家族とか故郷全部を燃やされたことなんてないからさ。やり過ぎとか偉そうに言える立場じゃねえじゃん」
あの日復讐を決めたシオンと同じ立場ではない人間が何を言ったとしても、それは所詮外野の言葉だ。
間違っていると否定するにしても仕方ないことだと肯定するにしても、どちらに転ぼうが独り善がりなものにしかなり得ない。
「それに、前にも言ったろ? 何はどうあれシオンはシオンなんだ。昔やばいことやらかしてるんだとしても、アイツが俺に何かしてくるなんてあり得ねえよ」
いつか、正体を隠していたシオンをどうして信じられるか尋ねた時と同じ答えをギルは堂々と口にした。
彼は最初からずっと、ブレることなくシオンのことを信じ続けているのだ。
「でもまあ、俺は考えるの苦手だからシンプルにこういう答えになってるだけではあるんだと思う。……シオンにこの話したら軽く引かれたし」
なんとなくシオンの反応はイメージできる。
あまりにも真っ直ぐに向けられる信頼に「そんなに俺のこと信じて大丈夫?」というようなことでも言ったのだろう。
「多分ハルマたちは俺より頭良いからいろいろ考え過ぎて、でもわかんないから悩んでるんだろ?」
「まあ、そんな感じではあるわね」
「だったらさ――」




