9章-憎悪に踊る焔②-
咆哮のような叫びと共に発された殺意に溢れる声。
それに応えるように炎は巨大な龍のような姿へと変わり、幼いシオンの周囲を蠢く。
そして次の瞬間、凄まじい速度で天高く舞い上がった。
その姿を追いかけて初めて、幼いシオンの視線の先に一機の戦闘機が飛行していることに気づく。
考えるまでなくこの島を爆撃したテロリストの戦闘機だろう。
炎の龍は迷うことなく戦闘機へと飛び、大きく開いた口で戦闘機を喰らった。
破損によって爆発した戦闘機をその破片も、乗っていたであろうパイロットも諸共に呑み込んで焼き尽くす。
それは一度では終わらない。天高く舞い踊る炎の龍はひとつ、またひとつと戦闘機を喰らっていく。
抵抗するように機関砲やミサイルが炎の龍に向けて放たれているが通用するはずもなく、あっさりとテロリストたちは蹂躙されていく。
そう時間をかけずに上空のテロリストたちを喰らい尽くしたのか炎の龍が空中で動きを止める。
その直後、地獄のような場所でただ笑い声が響いた。
幼いシオンが笑っている。
たった今テロリストたちを焼き殺した炎の龍を従える幼い子供が、大きく声を上げて笑っている。
その表情と声には堪えきれない歓喜と、アキトが思わず後ずさりたくなるほどの狂気があった。
「殺した! やってやった! 燃やした! 復讐してやった!」
笑みをそのままにやったと狂ったように喜ぶ幼いシオン。アキトの目の前にいるその姿が一瞬ブレる。
その直後、そこにいたのは幼いシオンよりも明らかに年上の少年だった。
しかしそれはほんの一瞬で、気づけばシオンの姿は元に戻っている。
だが再び同様の感覚があったかと思えば、今度は明らかに成人済みの少しばかりふくよかな女性がいる。続いて髭を生やした男性、幼いシオンよりさらに小さな女児、白髪混じりの女性とアキトがまばたきする度に姿が変わっていく。
ここまでくればアキトの見間違いなどではないだろう。
「ほぉー。ここまで見たのは初めてだが、こんなことになんのか」
戸惑うアキトの隣にはいつの間にか朱月がいた。
彼はアキトのように戸惑うでもなく興味深そうに姿を変える幼いシオンを観察している。
「これは、なんだ?」
「んー、シオ坊が“穢れ”諸共喰らった魂が若干表に出てきてるんだろ」
「魂を喰らった……ここで死んだ住民たちのか?」
「それ以外に何があるってんだよ」
朱月は当然のことのようにアキトの問いを肯定する。
「恨みつらみに染まって怨霊になりつつある亡霊どもがシオ坊っつー器に集まってやがる。普通なら器の魂が怨霊に喰われるところだろうが、≪天の神子≫の力は逆に喰らってやったらしい」
犠牲者たちの全てを喰らい尽くしたというシオンの言葉の意味をアキトは理解する。
だからシオンは慰霊碑を馬鹿馬鹿しいと一蹴したのだ。
「にしても、こいつは面白え。五つ六つのガキがうん百人分の怨念を喰らっておいて人の形を保ってやがるわ、狂って見境なく暴れ回るでもねえとは……」
本当に面白そうに朱月は未だに姿をブレさせる幼いシオンを見つめている。
かと思えば散々姿を変えていたシオンが唐突に正しい姿に戻り、笑みを消した。
「足りない……足りない足りな足りないもっと復讐足りな燃やす殺す」
「おー、さすがに中身はまあまあ狂ってやがるな」
朱月は冷静だが、アキトは狂ったようにブツブツ言葉を発する幼いシオンを前に平静ではいられない。
「こんな状態で大丈夫なのか⁉︎」
「心配すんな。大丈夫だったからお前さんの知ってるシオ坊がいるんだ。……にしてもこれを見ても心配が先に来るのかよ」
どこか呆れたような朱月の言葉の直後シオンは唐突に静かになった。
精神の方に影響が出ている影響なのか、行動がどれも唐突で心臓に悪い。
「まだいる。仇。ここじゃない」
シオンが虚空を見つめながらうわごとのように呟けば、上空の炎の龍が動き出した。激しくその身を燃やす龍は唐突にどこかへと飛び去っていく。
アキトたちはただ飛び去っていく炎の龍を見送ることしかできない。
「いったいどこに……?」
「そこら辺は見せてもらえるらしいぜ」
朱月の言葉の意味がわからず朱月の方を見れば、自ずと周囲の変化に気付かされた。
炎の龍が飛び去ったのと反対側の風景が徐々に燃える廃墟ではなく、どこかの山岳地帯のものに変わりつつあるのだ。
その変化にアキトが気づいてから数十秒ほどで周囲の光景は完全にどこかの山岳地帯に変わった。
どこの山岳地帯かはわからないが、全体的乾燥していて周囲に草木などはほとんど見られない。
他に特徴を挙げるとすれば、あちらこちらに洞窟が確認できることくらいだろうか。
「何故こんなところに?」
「それはあれが教えてくれるんじゃねえか?」
朱月の示す空には先程どこかに飛び去ったはずの炎の龍がいた。どうやらアキトたちはその行き先に先回りした形になっているようだ。
炎の龍は真っ直ぐにこちらに向かってきたかと思えば、おもむろに洞窟のひとつにその身を飛び込ませた。急なことにアキトの理解が一瞬遅れる。
直後、轟音と共に龍が飛び込んだのといくつかの別の洞窟から炎が噴き出した。
内側で繋がっていたことは察せられたが、噴き出した炎は明らかに龍の体を形作る炎とは違う。
「(洞窟の中で爆発があったのか?)」
轟音は爆発音。噴き出した炎は爆発による炎と考えれば納得がいく。
炎の龍が飛び込んだことで洞窟内にあった爆発物に引火したのだろう。
問題は何故こんな何もない山岳地帯の洞窟に爆発物があったのか、だ。
その疑問は、また別の洞窟から男たちが飛び出してきたことで解決する。それぞれが銃器を手にしている男たちはどう見てもただの一般人ではなくかと言って正規軍にも見えない。
おそらくはテロリスト。そしてこの洞窟はどこかのテロ組織の拠点なのだろう。
飛び出してきた男たちは拠点で起きた爆発に警戒し銃を構えている。
そんな男たちをどこかの洞窟から飛び出してきた炎の龍がまとめて喰らった。
一瞬の出来事に喰われた男たちはもちろん、運よくその牙を逃れた男たちも言葉が出ない。
そして残っていた男たちは硬直しているところをあっさりと龍に喰われた。
そうしてようやくテロリストの内の何者かが悲鳴を上げたが、それだけだ。
逃げようとしてもあっさりと追いつかれて喰われ、銃火器で抵抗しようにも効くわけもなくあっさりと喰われる。
しばらく悲鳴や銃声で響くが、五分もすれば元の静かな山岳地帯が戻ってきた。
「これは……なんなんだ?」
「そんなもん、実行犯以外も殺したってだけだろ」
第一人工島を襲ったテロリストたちが戦闘機で爆撃した者たちだけなはずはない。
シオンはその仲間たちの居場所を探り当て、皆殺しにした。
それだけのことだと朱月はアキトの問いに答えた。
「目覚めたての神子の力でテロリストとやらの魂も喰ったんじゃねえか? そうすりゃ記憶なんかも探れるだろうよ」
朱月が手段にも言及しているが、正直そんなものはアキトの頭に入ってこない。
ただ目の前で行われている復讐に理解が追いつかないでいる。
しかし、まだ終わらない。
炎の龍は再び空高く舞い上がってどこかへと飛んでいく。そして周囲の光景はまた別のものに変化した。
次の場所は砂漠地帯だった。よく見れば車両が通れる程度には舗装された道があり、その先に小さな町がある。
その町の存在に、アキトは言いようのない不安を覚えた。
そしてその数秒後、上空から勢いよく降下してきた炎の龍が町の中心に落ちた。
勢いよく地面に体当たりした炎の龍はその姿をただの炎に変えてあっという間に町に広がった。
龍の形に戻ることはしないが、広がった炎は意思があるように蠢いて満遍なく町を焼き尽くしていく。
「どうして町を燃やす……⁉︎」
「テロリストどもの身内でも暮らしてるんじゃねえか?」
驚愕するアキトに朱月はさらりと自身の考えを述べる。
「まあ実際のところは知らねえけど」と無責任なことを口にしている朱月は目の前で起きていることに――最低でも数百人が焼け死んでいるであろうことに大した興味がないようだ。
「ひとつ、お前さんが勘違いしないように補足しておいてやるよ。これは、シオ坊も望んだ復讐だ」
それは、今のアキトにとって最も受け入れ難い宣告だった。
「待ってくれ、シオンは怨霊を喰らってしまったんだろ」
「ああ、そうだ怨霊どもを喰らった。そもそもシオ坊側に喰らうつもりがなけりゃ、そうはならねえんだよ。目覚めたてだろうがなんだろうが、神子の神格がたかだかうん百人の怨念に押し負けることはあり得ねえからな」
それが事実かどうかをアキトには判別する術がない。しかし朱月がウソをついているにも見えなかった。
「シオ坊は復讐を望んだ。家族を、友を奪った仇どもを許さないと決めた。怨霊どもの望みに共感した。多少精神が狂ってようが、他の誰かのせいでこうなったわけじゃねえ」
逃げ道を塞ぐように丁寧に告げてから、朱月は後ろに控えるアンナたちにも声をかける。
「たった今お前さんたちが目にしたのは、他の誰でもない正真正銘シオン・イースタルの為した悪行だ。……それを忘れるなよ、人間ども」
朱月の言葉を最後に幻は終わりを迎え、アキトたちは草原の慰霊碑の前に戻ってきた。
そこにはアキトたちのよく知る十代のシオンが静かに佇んでいる。
「……シオン」
「朱月の言っていた通りですよ。これは俺が望んでやったことで、今になっても少しも後悔してない」
アキトが問いかけるより先にシオンは断言した。
「……どうして俺たちにこれを見せた?」
「これから先のために、ちゃんと区切りをつけておこうと思っただけです」
ひとつ息を吐き出して、シオンは堂々とアキトたちの前に立つ。
「我が名はシオン・イースタル。愛するものに大いなる恵みをもたらし、仇なすものを悉く喰らい尽くす“天”の名を冠する神子――世の理を知らず、自らの理の下に裁定を下す悪なる神」
――人の子らよ。ゆめゆめそれを忘れるな
人ではなく一柱の“神”として語りかけてくるシオンに、アキトは何も言葉を返すことができなかった。




