2章-話し合いの後で②-
シオンたちに与えられていた部屋は元から応接室のひとつだったので、突然やってきたディーンを迎え入れるのに不都合は特になかった。
部屋の中央に鎮座していた応接用のソファに腰かけてシオンはディーンと向かい合い、アキトとアンナもシオンの両隣に座っている。
ディーンはと言えば護衛の軍人をふたり連れてきてはいるが大きな武器を持っている様子はない。
人工島でクリストファーとシオンが相対したときと同じく、武器は精々拳銃を懐に忍ばせているくらいだろう。
「改めて、突然の訪問に応じてくれた感謝する」
「いえ、俺みたいな子供にそこまで礼を尽くしていただかなくても大丈夫ですよ。もっと気楽になさってください」
「堅苦しいのは性分でね」
暗に今の態度を崩すつもりはないと言われてしまえば、シオンからはもう何も言えない。
決してあからさまではないが、シオンに気を許すつもりはないというディーンの意志の表れなのかもしれない。
シオンを前にしつつも落ち着いた所作でテーブルに用意された紅茶を口にするディーン。
軍服を手本のようにきっちりと着こなす一方で、右手人差し指に紫の石があしらわれたシンプルな指輪を身に着けているなど、典型的な軍人とは異なる気品のようなものを感じる。
紅茶を口にする仕草だけでもどことなく様になっているので、もしかするとよいところの出身なのかもしれないとシオンは勝手に予想を立てた。
沈黙が続く中、ディーンがほとんど音を立てることなく手にしていたカップをテーブルの上に戻す。
それ合図にするように、シオンは口を開いた。
「さて、ディーン・ドレイク殿におかれましては自分のような小童にどういったご用件でしょう?」
直球の問いに、ディーンは目を細めるだけですぐに返答を返そうとはしない。
細められたその目はシオンを観察しているようだ。
「……思ったよりも焦っているね。君はもっと食えない男かと思ったんだが」
「たかだか十六にもなってないガキ相手に買いかぶりすぎです。心構えして臨んだ話し合いならともかく、予想外の訪問者相手にそこまで余裕は見せられませんよ」
「予想外の相手にそれだけ口が回るなら十分だと思うがな」
軽く口元を緩めたディーンだがその目はあくまでシオンを観察することをやめない。
正直気分のいいものではないが、ある意味では納得できる態度ではある。
「私の訪問はそんなにも予想外だったかな?」
「あえて言うならゴルド最高司令官以外の訪問は全て予想外ですが、貴方の訪問はその中でも一番の予想外でしたね。……何せ、人類軍で最も《異界》との戦争に積極的な人物なんですから」
ディーンは境界戦争の推進派のトップとも言える人物。
つまり、上層部の中で誰よりもシオンに対して否定的な立場であって然るべき人物である。
上層部全員を集めた話し合いにおいて、そんな彼のことをシオンは最も警戒していた。
発言力があることに加え、シオンをよく思っていないだろうことはほぼ確実だったのだから当然だろう。
正直、彼が話し合いの場にいてあんなにあっさり自分の要望が通ったことにシオンは拍子抜けしたし、話し合いの後に彼が少数の護衛しか連れずシオンに会いに来るなど夢にも思ってはいなかった。
むしろ今こうしてあからさまなくらいに観察されていることに納得とともに少し安心しているくらいだ。
「ふざけた言動をする人物だという噂もあったが、下調べもしっかりしているとは勤勉じゃないか」
「ふざけた言動は性分ですので」
数分前のディーンの言葉になぞらえて返せば、フッと小さく笑った。案外冗談は通じるタイプのようだ。
「それに、勤勉というほどでもないですよ。貴方と最高司令官以外の上層部のみなさまは名前も知りませんから」
「光栄だな」
きっと光栄だなんて欠片も思っていないのだろうなと予想しつつ、改めてディーンのことを見つめる。
「で、そろそろご用件を伺っても?」
「……用件と言うほどのものはない。ただ、自ら直接君を見定めておこうと思っただけだ」
つまりこうして面と向かって会話をしていること自体がディーンの目的、ということになるらしい。
「俺が言うことでもないですけど、ちょっとリスクが高いのでは?」
「私よりも警護の少ない最高司令官に手を出さなかった者が、私に手を出すメリットもないだろう。それにここで私に手を出せば合意したばかりの契約が無に帰るだけだ」
確かに彼の言う通りシオンがディーンに手を出すメリットは特にない。
それを承知しているからこその護衛の少なさと余裕ということらしい。
話からしてディーンの目的はもう果たされている。
彼は軍士官学校の卒業式に顔を出せなかったくらい多忙だという話なので、今すぐにもこの場を去ってもおかしくはない。
ただ、一方的に探られて終わりというのは少々癪だ。
「そんなに自分のことを知りたいのでしたら、もう少しおしゃべりに付き合ってくださいます?」
シオンからの誘いに、この部屋にやってきて始めてディーンは少し驚いたようだった。
それだけでも少しシオンの胸がすく。
「……そうだな、こんな機会なかなか持てまい。ぜひ話をしよう」
「確かに! 上層部の方とこんな風に話す機会これを逃せば一生ないかもしれませんね!」
クスクスとシオンが笑えば正面のディーンもわずかに微笑む。
ただ、おそらくディーンの笑みは愛想笑いだろう。シオンも人のことは言えないのでお互い様だが。
左右のアキトとアンナがハラハラしているのは伝わってくるが、それでもシオンはただディーンのみを見つめる。
「とはいえ共通の話題なんてありませんから、ちょっとしたお遊びなんていかがです?」
「ほう? どういった遊びかな?」
「どちらかが相手にひとつ質問をする。質問された側は答え、その後相手にひとつ質問することができる。……シンプルでしょう?」
「シンプルではあるが、質問に対する答えが真実かどうかの判断基準はあるのかな?」
ディーンの問いに、シオンはニッコリと笑みを浮かべる。
「ありません」
今度こそ明らかに驚きの表情を浮かべたディーンを見て、シオンはさらに笑みを深める。
「判断基準はないので、嘘をついても構いません。嘘を見抜くのも含めてのお遊びですから」
「どうです?」と尋ねれば「面白い」とだけシンプルに答えを返すディーン。
そんな彼はどことなく楽しそうだ。
「さて、こちらが持ち掛けたお遊びですし、質問はそちらからどうぞ」
「ではありがたく。……単刀直入に聞くが、君は人類の敵かね?」
初手でするにはド直球すぎる質問に、シオンの両隣に控えるアキトとアンナやディーンの連れてきたふたりの護衛のほうが驚いている。
その一方でシオンは特別動揺せずに口を開いた。
「少なくとも現時点で人類の敵になる予定はないです」
「ほう?」
「以前お話したのでご存じだとは思いますが、俺はあくまで人間であって、普通の人間の両親から産まれて突然変異的なもので異能の力を得たに過ぎません。人間の友人のほうが多いですし、人類の敵になる理由がないんですよね」
「現時点では、という言葉の意図は? ……ああ、これはふたつめの質問にカウントされるかな?」
「サービスでいいです。現時点でっていうのは、人類が俺の敵にならなければって意味ですよ」
探るような目でこちらを見るディーンを前に、シオンはひと口紅茶を啜った。
「俺も人間ですから、自分や友人の身は大事です。人類のみなさんがそれを脅かすなら相応の反撃はさせていただきます」
「なるほど。話し合いのときの主張通りというわけか」
納得した様子のディーンは「質問をどうぞ」と優雅な所作でシオンに質問を促した。
「《異界》との戦争を推進する貴方が自分のような怪しい人材を協力者にするのを反対しなかった理由はなんですか?」
政治に疎いシオンでも知っているほどにディーンは境界戦争を強く推進していることで有名な人物。
そんな彼が反対する素振りも見せずにシオンを協力者とすることを認めた理由。
シオンとしては最も気になることと言ってもいい。
「そう難しいことではない。単純にメリットとデメリットを比較してメリットが大きいと判断しただけだ」
「普段掲げている主張を曲げてもなおメリットがあると?」
「主張を曲げてなどいないさ」
ディーンは心外だとも言いたげに肩をすくめた。
「君を迎え入れることは境界戦争を有利に戦うための一手に過ぎない。……何せ、あちらの世界についての唯一の情報源だ」
《異界》に近しいシオンを迎え入れたとはいえ、《異界》や人外を受け入れる姿勢を示したつもりはない。
あくまでシオンから得た情報をもって《異界》を打倒することしかディーンの頭の中にはないらしい。
「使えるものは何であっても使う。多少リスクがあろうとも、な」
「なるほど、貴方が敵に回したくないタイプの人間だということがよーくわかりました」
「誉め言葉として受け取っておこう」
互いにひとつ質問を終え、どちらともなくテーブル上のカップを手に取って一呼吸おく。
「また、私の質問の番かな」
「ええ、どうぞ」
「ふむ、では――」
――君は人間を殺すことができるか?
まるで世間話のひとつのようにさらりと投げかけられた問いかけに、当事者ふたりを除く四人の中の誰かが息を飲んだのがわかった。
「そうですね。それに足る理由があれば殺すでしょう」
問いかけたディーンがそうであったように、シオンもまた世間話のような軽さで答えを返す。
他の四人に少なからず動揺がある中、ディーンだけは特に驚く様子もなくただシオンの答えに頷いた。
「やはりそうか」
「やはりと言われると少し複雑ですね。俺ってそんなに人を殺しそうな顔してます?」
「安心するといい。何も知らなければ虫も殺せなさそうな少年に見えるだろう」
おどけたシオンの問いに紅茶を口にしつつ返したディーンは本気なのか面倒がっただけなのか。とはいえそんなことは特に重要ではないので深くは気にしない。
「じゃあ俺からの質問です。――貴方は、目的のためなら人間を殺せますか?」
シオンの問いに、ディーンのカップを持つ手がピタリと止まった。
そのまま続いた数秒の沈黙の間、シオンはただディーンを見つめ続ける。
「そうだな。必要とあれば殺せるだろう」
「ふーん、自分と同じですね」
「ああ、同じだな」
わずかに微笑むディーンに、シオンも同じように微笑み返す。
一見和やかな雰囲気の中、ディーンが口を開きかけたタイミングで電子音が邪魔をする。
「……残念だ。どうやら私はもう次の仕事に行かなければならないらしい」
「ご多忙のところ、引き止めてしまいましたね」
「いや、悪くない時間だった」
スッとソファから立ち上がったディーンが握手を求めてきたのにシオンも素直に応じる。
握った手は思ったよりも指が細く、彼が前線に出る兵士ではなく後方で考えを巡らせる軍師タイプの人間なのだと改めて実感する。
挨拶もそこそこに去って行ったディーンと護衛のふたりを見送ってからシオンは大きく息を吐き出した。
「……嫌だなー、絶対一番厄介なタイプの人じゃんアレ」
この数十分程度の会話におけるディーン・ドレイクという男に対するシオンの感想は、このひと言に尽きた。
できれば二度と関わりたくない。というか関わらないように全力で避けようと心に誓ったシオンだった。




