8章-亡者たちの供述③-
「あの日のことはよく覚えています。突然異なる世界に迷い込んだというのに彼は冷静で……むしろ未熟な私の方こそ狼狽えてしまい、すっかりイッセイ殿に主導権を握られてしまっていましたよ」
言葉では恥ずかしいと口にしながら苦笑しつつも、アーサーからは決してイッセイに対するネガティブな感情は感じられない。
むしろ尊敬や憧れといった感情を向けているようにシオンには思えた。
実際、人間の科学をまるっきり無視するような異能を持つ人外相手に戦った挙句、そのまま突如としてそんな人外たちが暮らす異世界に迷い込んでしまっていながら冷静に人外相手に交渉ができるというのはとんでもない胆力だと思う。
むしろどんな心臓をしているのだろうかと若干引いてしまいそうなくらいだ。
「とまあ、そんな感じでイッセイの旦那がアーサー相手はもちろんそのまま騎士のお偉いさんとも交渉して、生き残ったオレたち五〇人ほどはあっちの世界で保護された。で、オレはこの六年間いろいろとあった末に今は騎士団でメカ屋をやってるわけだ」
タイチの説明はかなりざっくりとしていたが、ひとまずタイチがこの六年どうしていたのかや、イッセイ・ミツルギに関してアーサーたちが知っていた理由についてはわかった。
ただ、こうなってくると新しい疑問がいくつか出てくる。
「あの! タイチさんが生きてるってことは、もしかしてお父さんも⁉︎」
ナツミが期待を滲ませて投げかけた問いは〈ミストルテイン〉側の誰もが思い浮かべたものだろう。
話の流れからイッセイがあちらの世界に生きて迷い込んだのは間違いないのだから、そのまま今日まで生きていたとしてもなんらおかしなことはない。
しかし、ナツミの問いに対するアーサーたちは沈痛な面持ちを浮かべるだけだった。
「……イッセイの旦那は、死んだ」
「どう、してですか……?」
「旦那は、太平洋でやり合った時に重傷を負ってたんだよ。それが祟ってな」
そもそもイッセイたちがあちらの世界に転移したのは《太平洋の惨劇》の直後だ。
誰ひとり生還することなく終わった戦いに身を投じていた兵士が傷を負っていたとしてもおかしくはない。むしろ無傷であったとしたらそちらの方が奇跡的だろう。
「イッセイ殿の傷は、とても深いものでした。応急処置はしてあったとはいえ、あの傷を負った状態で私や騎士団の面々を相手に交渉していたなどと信じられないほどに」
重傷を負いながらもその体に鞭を打って交渉を行った。
自らの身よりも部下の安全を優先した。ということなのだろう。
「そっちの世界には魔法や魔術があるんでしょ? それで治療とかできなかったんですか?」
「治癒の術は存在しますが、それでも直せないものはあります。……魔術は決して万能ではありませんから」
アンナの問いに対してレッドが淡々と答える。
それを受けたアンナの確認するような視線にシオンも静かに頷いた。
人間からすればなんでもできているかのように見えるであろうし、実際シオンのような強い人外であれば大概にことは実現できる。
それでも決して万能の力ではない。特に、生命の関わる事柄ではそれが顕著だ。
「交渉が終わり、私たちが彼の怪我に気づいた時には……いえ、おそらくこちらの世界に迷い込んだ時点で治癒魔術でも対処できない状況だったのでしょう。私たちにできたのはなんとか命を繋ぎ止めることだけでした」
「人類軍の軍医は、どんだけ設備の整った病院に放り込んだところでひと月はもたないって診察した。……それを騎士団は半年繋ぎ止めてくれたんだ」
【異界】において最大限の治療を行ってもそこまでが限界だったのだと、タイチは説明した。
わずかに希望を抱けてしまったからこそ、改めて父親の死を突きつけられたナツミは涙も流せずに呆然とし、彼女の隣にいるハルマは何かに耐えるように拳をキツく握りしめている。
長兄であるアキトは一見冷静に見えるが、立場上表面に出さないようにしているだけで内心穏やかではないだろう。
「イッセイの旦那が死んだことも含めて、オレにはどうしてもアンタら兄妹に伝えなきゃならねえことがある」
重苦しい沈黙の中、タイチは口火を切った。
アキトたち三人の心情を感じ取れていないわけではないだろうが、それ以上に伝えなければならない重要なことがあるということなのかもしれない。
アキト、ハルマ、ナツミの三人がタイチにしっかりと目を向けたのを確認してから、タイチは告げる。
「イッセイの旦那の子供であるアンタら三人には、すぐに人類軍を抜けてほしい」
「…………は?」
タイチの言葉にハルマが声を漏らした。アキトもナツミも声が出なかっただけで反応としては大差がない。
彼の言っている意味が三人はもちろんシオンたちにもわからない。
「人類軍を抜けろって……」
「言葉通りだ。アンタら兄妹は【異界】との戦いに関わるべきじゃない。……こんな馬鹿げたことで命を危険に晒すなんてあっちゃならねえんだよ」
「馬鹿げたって……何言ってるんだよあんたは!」
タイチの言葉に、ハルマが声を荒げた。
「馬鹿げたこと? 【異界】との戦いで、《太平洋の惨劇》でどれだけの人間が死んだと思ってるんだよ⁉︎ そもそも父さんが死んだのだって【異界】が問答無用で攻撃を仕掛けてきたからじゃないのか⁉︎ それが馬鹿げたことだって言うのかアンタは!」
かろうじて残された理性で踏みとどまっているのか、懐に持っているであろう拳銃に手を伸ばすこともテーブルを挟んだ先にいるタイチに掴みかかろうとすることもハルマはしなかった。
しかし叫ぶような言葉に込められた怒りは紛れもなく本物だ。
多くの死を、敬愛する父の死を「馬鹿げたこと」とまとめられて冷静でいられるはずがない。
そんな激情を向けられていてなお、タイチは静かだった。
しかし静かであることがイコール冷静であるわけではない。
「アンタらが知らないだけで、馬鹿げたことなんだよ……! 臆病で、自分たちのことばっかり守ろうとするクソみてえな輩のせいでこんなことになってやがるんだからな……!」
ハルマと比べれば静かな、しかしハルマと同等かそれ以上の怒りをはらんだ言葉。
俯くタイチの抑えきれない叫びが漏れ出したかのようなそれに、ハルマが気圧された。
「……こっちの世界で六年前のことがどうなってるかはわかってる。その上で、これだけは断言させてもらう」
顔を上げたタイチはミツルギ三兄妹に半ば睨みつけるような眼差しを向けつつ、口を開く。
「六年前のあの日、先に手を出したのは人類軍だ」




