8章-クラーケン討伐作戦⑨-
【異界】の戦艦から放たれた光の槍を目にして、アキトは戦いが終わると感じた。
クラーケンは巨大だが、あの一撃が当たればその巨躯に致命傷を与えられるだけの威力があると、感覚で理解したからだ。
ハルマたち機動鎧部隊も含め、魔力を感じ取る力を持つ者であれば確実にアキトと同じように感じたことだろう。
それほどまでに強力な一撃に、強い力に気を取られていたからこそ、それ以外のものへの反応が遅れた。
一番にそれに反応したのは人間でも人外でもなく、〈ミストルテイン〉のセンサーだった。
異常を検知したことを知らせる警報が鳴り響く中、わずかに光の槍への注意が削がれたアキトも一拍遅れてそれに気づく。
「海が……⁉︎」
ミスティの驚愕の声の通り、クラーケンの周囲で海が明らかに異常をきたしている。
天候が雲ひとつないほどの晴天であるというのにクラーケン周辺の海だけは嵐の中にあるように荒れ狂っている。
ここまでも不自然な渦潮が発生していたわけではあるが、今の状態は規模がその比ではない。
次の瞬間、海面が勢いよく隆起した。
山のように盛り上がるでもなく、水飛沫が上がるでもない。
一瞬にして海の一角がまるで巨大な城壁のようになったのだ。
そしてその壁はクラーケンと光の槍の間を阻むかのように割り込む。
光の槍がその壁を突き破らんと直撃し、一瞬の空白の後一体に閃光が迸った。
単純な光だけではなく衝撃も伴ったそれに〈ミストルテイン〉も大きく揺れる。
「っ! 機動鎧部隊各機も状況報告!」
「艦内も、状況を確認してください!」
アンナの指示が飛び、通信越しにそれぞれから無事の報告が返される。
〈ミストルテイン〉も衝撃に煽られたくらいでダメージは特にないようで、ひとまず胸を撫で下ろしつつ、閃光の迸ったポイントへとアキトは目を向ける。
閃光も衝撃も収まったものの、その余波で水煙が発生していて様子はほぼ何もわからない。
しかし、目で見えなくともアキトはその気配を簡単に捉えることができた。
「ウソだろ……⁉︎」
アキトの驚きをよそに水煙は徐々に晴れていき、そこには変わらず大きな影があった。
「く、クラーケン、健在です……!」
アキトたちが戦いの終わりを確信した一撃を、クラーケンは生き延びていた。
『そんな……! あの一撃を水の壁程度で防ぎきったってのか!!?』
「(いや、いくらなんでも無理だろ……)」
クラーケンと光の槍の間を阻むように海水の壁がそびえ立ったのはアキトたちも目にした。
しかしいくら魔術によって生み出されたものとはいえ、岩や金属のようなわかりやすく強度のありそうなものでもなく水という液体で造られた防壁であの強力な魔力の塊を防げるとは思えない。
レッドがそうであるように、とてもではないがあの防壁で光の槍を防ぎきれるとは思えないのだ。
「コウヨウ君! そこら辺どうなの? あの水の壁が実はすごい魔術だったとか……」
アンナがブリッジで一番魔術の類について詳しいコウヨウに尋ねるが、そんな彼も黙って首を横に振るだけだった。
「さすがに、あの一瞬ではなんとも……それに、仮に特殊な魔術だったとしてもあれだけの一撃を防ぎきるなんて無茶だとしか思えません……!」
「じゃあどうやって……」
『いや、そもそも防ぎきっちゃいねえよ』
狼狽えるアキトたちに対して声をかけてきた朱月は冷静だった。
どうやら彼には何か掴んでいるらしい。
「朱月、何かわかるのか?」
『まあ、だいたいはな。とりあえずあのイカ野郎の足を見てみろ』
意図を理解できないまま促されたようにクラーケンの足に注目すれば、すぐに以上に気づいた。
「足が、ちぎれている……?」
今まさに再生中であと数十秒もすれば完全に元通りになってしまいそうではあるが、クラーケンの足の三本が明らかにちぎれた状態になっている。
しかもここまで散々切られたり燃やされたりしていた時よりも目に見えて再生が遅いように思う。
「やけに再生が遅いように思いますが……」
『それだけ派手にやられたってこったろうよ。ありゃあ、一度は根本近くまで丸ごと消し飛んだんじゃねえか?』
ここまでにダメージを与えていた箇所はあくまで先端から数メートル程度の長さでしかない。
クラーケンの全長から考えた場合、人間の体で言うならせいぜい指までしかダメージを与えられていなかったと言えるだろう。
それを足の付け根まで破壊されてしまったのだとすれば、再生に時間を食うのも当然だ。
「しかし、いつの間に足に損傷を?」
『さっきの一撃を凌いだ時に決まってるだろうよ。……あのイカ野郎はな、守りを色々重ねた末に足三本捨ててあれを切り抜けやがったんだ』
「足を捨ててって、」
『教官、俺から補足します』
おもむろにシオンが通信に割り込んできた。
元々シオンとサーシャは自分の仕事に集中するために通信を最低限にする手筈だったが、今はそうもいかないということだろう。
「というか、そっちで何があったかわかるの?」
『はい。師匠の魔術で状況は見てますし、遠くから俯瞰してみれる分こっちのがそういうのはわかりやすいかと』
「なるほど……」
『とりあえず説明に入ります。結論から言えばクラーケンはみなさんが見た海水の壁以外に、多重の魔力防壁と太く強靭な足を使って光の槍を防いだんです』
第一に水の防壁。
これは周囲を水で覆われているからこそ少ない魔力で強力な防壁が作りやすいという利点から造られたものと思われるらしい。
見た目はあまり強固ではなさそうだが、使用する魔力量を踏まえるとコストパフォーマンスがいいのだそうだ。
第二に多重の魔力防壁。
今更説明は特に必要のない防御手段で、多重で展開することで防御力を高めている。
『本来であればそのふたつで防ぎきりたかったんでしょうが、多分無理だったんだと思います。だから最後の手段として自分の腕を盾にしたんでしょう』
『最後の最後、どうしても壁が足りねえから自分の足を捨てて急所を守ったってわけだろうよ。ま、すぐに再生するような足、多少持ってかれたところで大して困らねえだろうからな』
最後に朱月の言葉で締められた説明で、クラーケンがどのように【異界】の戦艦の一撃を凌いだのかはわかった。
問題は、この後アキトたちがどうするかだ。
「先程のレイル隊の攻撃は、こちらの最大火力である〈ラグナロク〉と同等の威力だったという話です。だとすれば、〈ラグナロク〉もまた……」
「正面から撃ったところで防がれちゃいそうね。……となると、仕留めるための決定打がないわ」
クラーケンは巨大だ。だからこそ生半可な威力の攻撃では決定的なダメージは望めない。
アーサーたちや機動鎧部隊はクラーケンの足を斬り落としたり胴体に傷を負わせたりはしているが、それらは相手のサイズを考えれば大したものではない。しかも数秒程度で再生してしまう。
だからこそレイル隊は高火力の一撃で終わらせようとしたわけだが、それは防がれてしまった。同等のエネルギー量であると考えられる〈ラグナロク〉でもおそらく同じ結果になるだろう。
しかも相手がそのために犠牲にした足は三本。
まだ犠牲にできる足が残っているということは、あれ以上の攻撃をしたところで凌がれてしまう可能性が高いというわけだ。
『二隻から同時に最大火力の攻撃を仕掛ける、というのはどうでしょう? 〈ミストルテイン〉も同等の攻撃が可能なようですし、二方向から当てられればあるいは』
アーサーの提案の通り二方向から攻撃を仕掛ければ当然それぞれの攻撃を防御するのに割ける魔力は減る。
足を犠牲にされることを加味しても防ぎきられずに済む可能性は高い。
『いえ、多分それダメです。主に〈ラグナロク〉の方が』
しかしその案に対してシオンからストップがかかった。
「え、シオン。なんで?」
『だって教官、〈ラグナロク〉は人類軍の光学兵装……要するに超高温のビームで焼き払う類の兵器なんですよ? そんなもん海水の防壁に当てたら水蒸気爆発確定です』
水が非常に高温の熱源に触れることで起こるのが水蒸気爆発であり、確かに〈ラグナロク〉で海水の防壁を撃とうものならそうなるのは確実だろう。
「その爆発も合わせてクラーケンをどうにかできたりは?」
『〈ラグナロク〉の熱量自体は爆発の時にがっつり持ってかれて防壁破れる威力なくなりそうですし、あの槍の威力を多少なり殺せるレベルの防壁に威力が分散しちゃう爆発がどれだけ効果あるか……』
『しかもド派手に爆発するとなりゃあ、むしろあの槍の邪魔しかねないまであるな!』
そうなるとアーサーの考えた案は使えない。
というより〈ラグナロク〉ではそもそも足を犠牲にさせる段階までいかないというわけだ。
「(つまり、どうあれこちらは戦力になり得ないというわけか)」
〈ミストルテイン〉側で決定打を与えるに足る武装は〈ラグナロク〉に限られる。
朱月であればなんらか魔術などを持っているかもしれないが、ここまで何も言い出してこない以上は有無に関係なくここで出してくることはないだろう。
『まあまあ、そうしょげんなよアキトの坊主。……それに、お前さんならまだやりようはあるはずだろ?』
「……俺なら?」
『おうとも』
楽しげに、そして試すように朱月はカカカと笑う。
『ただの人間の兵器で海だのなんだのを撃てば爆発する。魔術の槍は爆発しない。ならこっちも魔術を使えばいいだけだろ?』
ここまでの流れを踏まえれば当然の、非常にシンプルな解答。
それができれば苦労しないという言葉が普通なら飛び出すだろうが、アキトに限って言えばその普通は当てはまらない。




