8章-クラーケン討伐作戦③-
裂けた空間の先で上がった巨大な水飛沫。その内側に目を凝らせば、無数の細長いシルエットが蠢いているのが確認できた。
水飛沫が収まった頃にはそれらも海中に潜ってしまったが、クラーケンの足
「うーん、八本かしら? 十本かしら? ここからだとちょっとわかんないわね」
「どっちでも大差はないんじゃないですか? それにイカだって厳密には足は八本で、他二本は腕なんですよ確か」
「そうなの⁉︎ 千年近く勘違いしてたわ!」
『そこの師弟のおふたりさん。さすがに今はもう少し緊張感持ってくれない?』
クラーケンではなくイカの足の数の話をし始めたシオンとサーシャにアンナが呆れながらツッコミを入れた。
一方でキャプテンは大きな声をあげて笑っている。
『まあいいじゃないか! 緊張のしすぎもいいことはないからねえ』
『緊張感がなさすぎるのも問題でしょう!』
「俺はともかく、師匠を緊張させたいならクラーケンあと五体くらいは呼んでこないと……」
『そんなとんでもない“魔女”が味方ってのは頼もしいじゃないか。さあ、始めよう!』
キャプテンの声に合わせ、“幽霊船”後方から無数のミサイルが垂直に発射された。
それらは真っ直ぐに先程水飛沫が上がったポイントに着弾し、直後爆発して無数の水飛沫を上げる。
「当たりました?」
『いえ、防壁で阻まれたみたいです! クラーケンはこちらから離れていきます』
コウヨウの報告の通り、確かにクラーケンの気配はこちらとは真逆の方向に移動しているようだ。
『逃げに転じたか』
「まあ、準備しておいた狩場をめちゃくちゃにされたら普通に逃げますよね」
そこまで知能がなかろうが命あるものの本能として、不利な状況を悟れば逃げようとするだろう。
『それじゃあ第二フェーズといこう! アタシら“幽霊船”は距離を保たなきゃならないが、〈ミストルテイン〉とレイル隊は全力で追いかけてやんな!』
『『了解!』』
アキトとアーサーがそれぞれ了解の返事をするのとほぼ同時に二隻の飛行戦艦がクラーケンのいる方角へと向けて移動を開始した。
それをシオンは“幽霊船”の甲板から見送る。
「あらシオン。寂しい?」
「そうじゃなくて、少し不安です」
クラーケンは逃げに転じているが、霧は未だに生み出され続けているし、隙ができればすぐに自分に有利な空間を作り直そうとするだろう。
それらに対処するシオンは〈ミストルテイン〉と一緒にクラーケンに突撃することはできない。そういう作戦だ。
シオンがいなくとも戦力として十分であるし、シオンの抜けを埋めるための手筈も整えてある。
しかし何も不安がないというわけではない。
「でも、こうやって見送れてるのね。……正直ちょっとびっくり」
サーシャは戯けた様子で口にしているが、実際彼女は驚いていることだろう。
事実、サーシャのよく知るこれまでのシオンであれば決してこのような自分の手が届かない戦場に〈ミストルテイン〉を送り出すという作戦を了承しなかったはずだ。
サーシャがパチンと指を鳴らし、ほんのわずかに周囲の空気が変わる。
おそらくここでの会話がシオンと彼女以外に聞こえないようにしたのだろう。
「実際どうなの? 何よりも失くすことを恐れるはずのアナタらしくないじゃない」
サーシャはおそらくこの世界で最もシオン・イースタルという存在を理解している。
シオンが“神子”になるに至った経緯を。
“神子”となったシオンが何をしたのかを。
シオン・イースタルという“神子”が何を望み何を為す存在なのかを。
その全てを知っているからこそ、シオンが今回のような行動に出ているのが意外で仕方がないのだろう。
「……別に、俺が変わったとかそういうわけじゃないです。そもそも俺だけの感情じゃないですし」
「そうね。半ば呪いみたいなものだし」
大事なものを失うことを恐れるというシオンの気質はそう簡単には変わらない。
こうして不安を覚えている時点でそれは言うまでもないことだ。
それでも。
以前であれば自分ひとりでクラーケンを仕留めに行くくらいしていたであろう場面でこうして少しだけでも我慢できているのは、おそらくアキトのおかげなのだろう。
「アキトさんが約束してくれたんです。絶対に俺より先に逝かないって」
「……それだけ?」
「それだけなんですよねこれが」
サーシャはシオンの答えを聞木、口をぽかんと開けて間抜けな表情を見せた。
それは彼女に師事してそれなりの期間を過ごしたシオンでもほとんど見たことのないかなり珍しい反応だ。
自分が何かしたわけではないのだが、なんとなくしてやったりな気分である。
「それは……うん、悪くないんじゃない?」
少しだけ考えて、それからサーシャは穏やかに笑みを浮かべた。
「悲劇の少年の幼き日の心の傷を癒やすは、たったひとつの小さな約束。――なんて、なかなかロマンチックだわ」
「そんな簡単に癒される程度のものだったのかーとかツッコミ入りません?」
「確かに、物語としてはちょっと微妙だから語る時には盛らせてもらうけど」
戯けたようにそう口にしてから、改めてサーシャは優しい眼差しをシオンに向けてきた。
「実際にシオンが少しだけでも癒されたなら、それでいいじゃない。多少強引な展開でもハッピーエンドの方が好きよ?」
「まだまだエンディングには遠いですけどね」
「でも、きっと大丈夫よ。だから今は信じて自分たちのお仕事頑張ろうじゃないの」
サーシャに促されて、改めて進んでいく〈ミストルテイン〉を見送る。
「(約束して一発目の作戦。ちゃんと無事に帰ってきてくださいよね)」




