1章-悪くない日々へと-
アキトとアンナとの話し合いが行われた会議室を出たシオンは、そこでひとつ大きく背伸びをした。
上層部との話し合いに前にトラブルが起きてしまったわけではあるが、こうして無事に乗り切れているし大した問題ではない。
むしろそれをきっかけに十三技班との問題が解決――というよりはぶち壊しにされて最早どうでもよくなったというのが正しいが、とにかく彼らと距離を置く必要がなくなったことのほうがシオンにとっては重要だった。
これをきっかけに十三技班もまたアンナと同じく人質候補になってしまったわけだが、こうなってしまった以上、シオンが守ればいい。
危険から遠ざけようと距離を置くよりはずっとシンプルでわかりやすいだろう。
「――さて、格納庫行くかな」
会議室に行く前までシオンはずっと格納庫にいたのだが、十三技班の面々に話し合いが終わったら戻って来いと言われている。
おそらく仲直り記念だのなんだのそれらしい理由を並べて食べ物やら酒やらを格納庫に持ち込んで騒ぐ算段なのだろう。
最近そういった騒ぎとは無縁だったのでシオンとしても歓迎するところだ。
意気揚々と格納庫に向けて歩き出そうとしたシオンだったが、曲がり角から現れた人物の姿に足を止めた。
ハルマ・ミツルギ。シオンや人外を深く憎む男。
ただその一方で今回の爆破には無関係であることははっきりとしているらしく、こうしてここにいること自体は何もおかしなことなどない。
「……シオン、少しだけ時間いいか?」
そんな男はシオンに正面から向き合ってそう言った。
断ることは簡単なのだが、なんとなくシオンの中でブレーキがかかる。
「(……なんか、元気ない?)」
シオンを見る目にどことなく覇気がない。
それにシオンに時間があるかと尋ねてくるという行為も、ミスティほどではないがシオンに対して攻撃的だった今までの態度と異なっている。
これまでの態度を思えばシオンの了承など待たずに話を始めてくるほうが自然だろうに。
「いいよ。人を待たせてるから手短にしてほしいけど」
「わかった」
結局シオンはハルマの話を聞くことを選んだ。
それに答えたハルマからはやはり普段ほどの勢いは感じられず、気分が落ち込んでいる様子が伝わってくる。
そのまま通路の壁に背中を預けたハルマを見習って、シオンもそのすぐ隣で壁にもたれかかる。ふたりの距離は一メートルもないのだが、ハルマがそれを嫌がる様子はない。
「まず最初に、お前に謝らないといけないことがある」
「俺のほうには心当たりないけど?」
「……今回の爆破事件。俺は少しだけ知ってた」
食堂でシオン暗殺への協力を持ちかけられたこと。
今回の実行犯がまさにハルマにその話をしてきた人間であったこと。
それをハルマは淡々と説明した。
「やめておけと釘は刺したけど、結局こうなった。それに俺が艦長や戦術長に報告してたなら未然に防げたかもしれない。……お前を無用な危険に晒した。ごめん」
わざわざこちらに向き直って頭を下げたハルマ。
そんな彼に、シオンは言葉が出なかった。
「……あのさ、それ、わざわざ謝るようなことじゃなくないか?」
「これはお前の命に関わることで、俺が動けば防げていたはずのことなんだ。知らないフリはできないだろ」
大真面目に言ってのけたハルマに、シオンは天を仰いだ。
「……なんなの? ミツルギの一族は全員そういう感じなの?」
「なんの話だ?」
「妹も長男殿もお前もクソ真面目が過ぎるって話!」
自覚のないらしいハルマに思わず声が荒くなる。
わざわざシオンのことを探し出してまで感謝と謝罪を伝えてきたナツミ。
自分の知らないところで末端の兵士がやらかしたことに対して、年下かつ信用に足らないシオンに迷わず頭を下げたアキト。
そして、やはり直接の関係はなく計画を止めようとまでしておきながら、防げたかもしれないことを見逃してしまったからと憎く思っているシオンに頭を下げたハルマ。
この兄妹、本当にどれだけ真面目なのだろう。
「というか、お前としては俺がその連中に殺されちゃったほうがよかったんじゃ? 自分で言うのもなんだけどさ」
真面目な性格はともかくとして、ハルマにとってのシオンは憎き人外の関係者だ。
ハルマの憎しみの根源は「尊敬する父を卑怯な手で殺されたこと」にある。
愛する者を殺された恨みは並大抵のものではないはずだ。
「……《異界》のやつらのことは変わらず憎いし、お前のことだって信じてないし嫌いだ。それでも、卑怯な方法で殺そうとは思わない」
「なんで?」
「お前、何も悪いことなんてしてないだろ」
ためらうことも口ごもることもなく、当然のこととでも言うようにハルマはそう答えた。
「人工島でもさっきの町でも、人を守ってくれることはあっても傷つけることはしなかった。そんなお前をなんの理由もなく殺すなんておかしいと思ったんだ」
「そうして油断させて、あとでとんでもない悪事やらかすかもよ?」
「かもな。だとしても証拠も理由もないのに手を出すなんて、俺はしたくない」
「……そっか」
真剣なハルマを前にこの場を茶化すのも憚られて、シオンは何も言えない。
ふたりの間に少しの沈黙が流れた後、ハルマが口を開いた。
「だから、ひとつはっきり言っておきたいことがある」
急な言葉に視線だけで続きを促せば、ハルマの真剣な眼差しがシオンを貫く。
これまで向けられていた憎しみの目とは違うが、それ以上の感情の込められた目だとシオンには感じられた。
「俺は、お前が何か決定的に悪事に手を染めない限り、お前に銃を向けない。そう約束する」
全く予測などしていなかった言葉にシオンはただ呆然とする。
「……急にどうした?」
「さっき言ったとおり、今のお前に手を出す気はない。それをはっきりさせたかったんだ。……卑怯な手でお前の命を狙ってるかもしれないとか思われるのも癪だしな」
ようやく言葉を絞り出せたシオンとは違い、ハルマはすらすらと自分の考えを語る。
後半の言葉は少しだけ拗ねているかのようにも思えた。
「三年間そこそこ話す間柄だったのに、背中に銃口向けるような男だと思われてたのは正直ムカついてる」
「問題はそこなのか」
確かにこのハルマ・ミツルギという男は明るく品行方正な優等生だったし、そうあることを大切にしていた節もある。
そんな彼を、あの時シオンは「信用できないから」と遠ざけた。
その態度はシオンがハルマが爆破の実行犯たちの仲間、あるいはこの機に乗じて自分を害するかもしれないと考えていた証拠でもある。
彼はそれが不満だったらしい。
「それで? 俺が何かやらかしたときはどうするつもりなんだよ」
「真正面から銃口向けて、正々堂々殺してやるよ」
きっぱりと「殺す」と言われたというのに、妙に清々しい気分だった。
同時に「こうでなくては」と自分が思っていることにも気づく。
「うん、そうだね。それがいい」
「何がいいんだよ」
「正々堂々としてて、なんかヒーローっぽいなーって」
真っ直ぐで、正しくて、悪を倒して、人を守るヒーロー。
「そんな人間はいるはずない」だとか「綺麗事だ」だとか騒ぐ輩もいるのだろうが、シオンはそういうヒーローが嫌いではない。
クソがつくほど真面目で、悪党予備軍のシオンを前にしても決めつけず、真正面から向き合おうとしてくれる。
そんなミツルギ家の面々はきっとヒーローに相応しい。
――そんなヒーローになら、いつか殺されてもいいかもしれない。
目の前のハルマにそれを正直に言えば微妙な表情をされてしまうだろうが、それがシオンの本心だった。
シオン・イースタルは悪しき者である。
悪である自分が正しいヒーローに倒されるというのなら、それはきっと悪くない終わりだ。
そっと浮かべた微笑みを見てバカにされていると勘違いしたハルマの怒鳴り声を背に、笑顔のままシオンは走る。
そのまま駆け込んだ格納庫ですでに繰り広げられていた十三技班のバカ騒ぎに混ざって、今度は声を上げて笑う。
「(うん、悪くない!)」
敵とも言える人類軍の真っ只中にあっても、信頼できるアンナや十三技班の人々がいる。
もしものとき、正しくシオンを裁いてくれるヒーローがいる。
否応なしに始まってしまったこの日々も、案外悪くないもののようだ。




