8章-それぞれの事情③-
「とにもかくにも、この海にはクラーケンがいる。そんでもってあの霧の中で獲物が来るのを今か今かと待ち構えてるってのが現状なわけさ。……とりあえず霧の奥にいるものの正体についてはこれで説明は終わりになるけど、質問はあるかい?」
確認の問いかけに誰も口を開かないのを確認してキャプテンは「よし」と小さく頷いた。
「じゃあ次は、アタシらがここで何をしてたかについて話そうか。とは言っても途中で事情が変わったりもしてるからちょいとややこしい。そこは先に断っておくよ」
一言そう前置きをしてから彼女は語り出す。
「まず一番最初の話になるんだが、アタシらはちょいと知り合いに頼まれてこの霧の調査のためにここまで来たんだ。今でこそクラーケンのせいだってわかっちゃいるが、最初はただ妙な霧が太平洋にいきなり湧いて出たってことまでしかアタシらも知り合いも知らなかったからねえ」
そういった経緯でこの海を訪れたキャプテンたちはクラーケンの存在とクラーケンによって広げられた霧の持つ性質を知ることになったのだという。
「この霧は簡単に言えばクラーケンの狩場さ。霧に近づいた獲物を惑わせて霧の奥へと招き寄せる。そうして霧の奥にこさえてある異空間まで誘き寄せて完全に逃げられなくしてからじっくりと狩りを楽しむってね」
霧の作り出す魔術は言わずもがな、あとはそれぞれ人寄せの魔術と空間湾曲の魔術ということになる。
説明を聞く限り、後者は厳密には領域の構築――玉藻前の神域のような自分のテリトリーを形成している形のようだが。
「そんな物騒な霧もクラーケンもさっさとどうにかすべきだったんだけどね。霧のせいで気配が撹乱されてて厳密な位置はわからないし、ちょいと他の事情もあって倒すのは厳しい。だからとりあえず、被害が出ないように立ち回ることにしたのさ」
「ああなるほど。だから人払いの術を重ねがけしたんですね」
霧の人寄せの術をそのままにしていては近くを通りかかった船が霧の奥に誘い込まれてクラーケンの餌食になってしまう。
だから対極の人払いの魔術をぶつけることで相殺し、被害が出ないようにしたのだ。
「人寄せの誘導さえなければ得体の知れない霧になんて好き好んで近づきませんからね」
「そういうことさ。実際調査に来た人類軍の船以外はちゃんと避けて通ってくれたよ」
調査に来た人類軍の船員たちは人寄せで奥に誘い込まれそうになって海に落ちかけたり、逆に人払いの影響で真っ直ぐ進んだはずがUターンしていたりと混乱こそする羽目にはなったが、キャプテンたちの尽力のおかげで無事に生還できたというわけだ。
「ひとまず被害は防げつつもどうしたもんかと悩んでたらまずは騎士様たちが来て、次に〈ミストルテイン〉が来た。……正直最初はさっさと帰ってもらえればいいなと思ってたんだが、ドンパチし始めた上にまさかの霧を消すなんて真似までし始めた!」
帰ってほしかったという割に、キャプテンの言葉からは驚きと興奮、そして「面白い」という感情がダダ漏れだ。
「バケモノの割には慎重なのか奥の自分のテリトリーにこもってばっかりのクラーケンとはいえ、狩場をああも派手に荒らされちゃあ黙ってないだろう。そう思って慌ててアンタらを止めに行って一緒に逃げて今に至るってわけさ」
「ここまでで何か質問はあるかい?」というキャプテンの言葉にサーシャが「はーい」と言いながら手をあげた。
「ちょいと知り合いに頼まれてって言ってたけど、それってどこの誰ですか?」
「わ、普通に聞きにくいこと直球で聞いてるよこの人」
「こういうのは変にぼかして聞いても意味ないからねー。それに、誰かはともかくどこかは大体予想ついてるし」
「おや、そうなのかい?」
「ええ。多分だけど≪秩序の天秤≫の差金でしょ?」
サーシャの口にした名前にキャプテンは「本当にお見通しなんだねえ」と感心したように口にした。
つまりはサーシャの指摘が正解だったというわけだ。
「サーシャ、さん。その≪秩序の天秤≫というのは……?」
「あれ? シオンから聞いたことない?」
「関わる機会がなかったので、説明する機会とかなかったんですよ」
「あらそうなの。じゃあシオン、この機に説明してあげなさいな」
「今の流れは師匠が説明するところじゃ……」
「お話とか仮説の話は楽しいけど、ただの説明って面白みがないじゃない? 他にできる人がいるなら遠慮したいかな」
要するにシオンがわかることをサーシャの口から話す気は全くないということらしい。
この様子だとシオンが何を言おうとこのスタンスを曲げることはないだろう。
早々に諦めたシオンは渋々≪秩序の天秤≫についての説明をすることにした。
「≪秩序の天秤≫っていうのは簡単に言えば正義の秘密結社って感じの集団です。目的はこっちの世界での人間と人外のバランスを維持すること……わかりやすいパターンは悪さする人外が人間に被害を出す前に止めるとかですね」
明らかに自然現象ではない霧の調査に人をすぐに手配した、というのもまさに人外による被害が人間に出る前に対処しようという意図からの動きに違いない。
「ありがたい話ではあるが、それは彼らにとって何かメリットがあるのか?」
「さあ? まあ人間と人外が揉めると世界が混乱するのでそれを防ぎたいってのはわからなくもないですけど、正直俺なら面倒なのでやりたくないです」
「お前……」
平然とぶっちゃけるシオンにアキトが微妙な目を向けてくるが、これが本心なのだから仕方がない。
「人間社会で例えるなら、慈善団体みたいなものなんですよ。“世界のため”って考えを本気で掲げて損得勘定抜きで活動してるっていう」
それは素晴らしいことなのかもしれないが、シオンからするとなんとなく胡散臭く感じられてしまう。
せめて≪秩序の天秤≫に属する者がアキトたちやガブリエラのような人種であるとわかればそういう疑いはなくなるところなのだが、この集団は秘密主義で構成員などが関係者以外にはほぼ知られていないし、活動内容も全てが明らかになっているわけではない。
そういう怪しさもあってシオン個人としての印象はあまりよくないのである。
「というか、“幽霊船”は≪秩序の天秤≫の所属なんですか?」
「そういうわけじゃないんだけど、昔から海のトラブルがあるとよく仕事を請け負ってるのさ。普段は海をぶらぶらするくらいしかやることないから、暇潰しにボランティアやってるみたいな感覚だね」
あくまで協力関係でしかなく、“幽霊船”自体は特にどこに所属するでもないらしい。
「でも、頼まれるってことは少なくとも構成員のひとりやふたりは顔知ってるのでは?」
「そりゃあ知ってるけど話せないよ。気持ち的にもそうだし魔法でそこら辺は対策されてるからね」
「あら残念。ちょっと興味あったのに」
サーシャと同じくシオンも少し興味があったのだが、この感じではその辺りの情報を引き出すのは難しそうだ。
とにかく今は“幽霊船”は≪秩序の天秤≫からの依頼でここにやってきたということだけわかっていれば十分だろう。




