8章-水上艦 甲板にて②-
――“幽霊船”
広大な海へと旅立ち、二度と戻らなかった船やその船員たちが亡霊となって海を彷徨う。
ただ姿を見せるだけであると言われたり、目撃者になんらかの悪影響を及ぼすと言われたり在り方はもちろん呼ばれ方までも様々ではあるが、欧州から日本まで、地域や文化に関係なく船乗りたちの間で類似した内容が語られてきた怪談だ。
『“幽霊船”……?』
「ああそうとも。お嬢さんの言った通り、もう死んだ船乗りが成仏もせずに彷徨ってるのさ。……まあ、アタシがロゼッタその人かって聞かれるとちょいと違うんだけどねえ」
キャプテンからの説明にミスティは頭が追いついていないのか先程までのようにすぐに言葉を返す余裕はないらしい。
死んだはずの人間が目の前に現れて“幽霊船”などと名乗り始めたのだから当たり前と言えば当たり前の反応だろう。
「……ミスティ、すまないがここからは俺たちで話を進めさせてもらっていいだろうか?」
『……はい。話の腰を折ってしまい申し訳ありません』
アキトの言葉にミスティはほとんど迷うことなく頷いた。
彼女自身自分の頭がキャパシティオーバーしている自覚はおそらくあっただろう。
アキトがこのように言い出したのは話を進めるためというはもちろんだが、そんなミスティに落ち着く時間を与えるための提案でもあったのではないだろうか。
「失礼、こちらの都合で話を止めてしまいました」
「いや、どうせ自己紹介としてアタシらの正体はちゃんと話すつもりだったんでね。ちょうどよかったよ」
「それに、最初にキャプテンの言葉に噛み付いたのは私の部下でしたから……」
キャプテンにしろ騎士団側にしろミスティの横槍に気分を害したということはないらしい。
それからキャプテンは改めて口を開いた。
「でだ、改めて名乗らせてもらうが、アタシらは“幽霊船”だ」
「……先程、人間の女性から指摘のあった名前は? 貴女の名前ではないのか?」
「そこなんだけどねえ……生前のアタシの名前に違いはないんだが、今のアタシの名前としちゃ微妙でね」
赤髪の青年からの問いに対して本当にわからないと言いたげな悩ましげな表情を浮かべるキャプテン。その態度にウソがあるようには見えない。
「むしろこの辺は知識のある人がアンタらのどっちかにいてくれると助かるんだが……」
「それは、そっちの黒髪の男の子が知っているんじゃないかしら?」
キャプテンの言葉に対し、フードの女性がさも当然のようにシオンを指差してそう言った。
結果全員の視線がシオンの方に集中してしまい、少々身じろぐ。
確かに実際に遭遇するのこそ初めてだが“幽霊船”がどういう存在なのか知識としてある程度は把握している。
ただ、それをフードの女性が知っているのは明らかにおかしいわけで。
「……なんで俺が知ってるって知ってるのかも気になりますけど、そう仰るフードのあなただってご存知なんじゃないですかねえ?」
「細かいことは乙女の秘密ってことで。それに、こちらの世界で暮らすアナタが説明する方がわかりやすいと思うのよ。特にそこのかっこいい軍人のお兄さんなんかには、ね?」
相変わらず女性の口元しか見えないが、その口元はそれはそれは楽しそうに笑みを浮かべている。
しかも、どう考えてもシオンに説明させる気でしかないのが明らかな口ぶりだ。
この時点で、シオンは彼女の正体についてほぼほぼ確信を得た。
同時に自分が説明しないと話が進まないこともはっきりと理解した。
「わかりました。俺が解説します」
「そりゃありがたい! 自分のことなんだが、アタシはどうも小難しい話が苦手でねえ」
「軍人としてそれでよかったんですか……?」
「そういうことは上のお偉いさんたちがどうにかするもんさ。現場のアタシらはちゃんと敵だのバケモノだのを追っ払うのが仕事さね」
あっはっはと笑い飛ばすキャプテンにやや微妙な気分になりつつ、ひとつ咳払いしてから解説を始める。
「まず前提として、“幽霊船”っていうのは人々に信じられた怪談が人外として形を得たものです。人外のみなさんはわかるでしょうから説明は省きます。艦長はオボロ様に近いと思ってもらえれば」
「人々の信仰から神になったのと近しい成り立ちというわけか」
「ですです」
突然変異的に成立した“神子”や、神に創造された“天族”とも違う。
人々に信仰されたことでオボロが神に至ったのと同じように、人々が広く「“幽霊船”は存在する」と信じたことによりこの世界に生まれた人外というわけである。
「その上で“幽霊船”は一体の人外というよりは、概念とか現象っぽい存在なんですよね」
「……もう少し噛み砕けるか?」
「要するに、“海に沈んだ船とその船員の亡霊”が“幽霊船”っていう存在になる……“幽霊船”というか吸収されるって言い方が正しいかもですね」
「つまり……乗船中の海難事故で死亡すると“幽霊船”の人外になってしまうのか?」
シオンの補足を受けてアキトが出した結論で概ね正解と言っていいだろう。
「もちろん、船と一緒に沈んだ人間全員がそうなるわけじゃないんでしょうけど、ある程度の条件を満たすと“幽霊船”に取り込まれてしまう。問題のロゼッタさんとやらもそうやって“幽霊船”になっちゃったってわけですね」
「では、彼女がロゼッタと名乗るのを悩むのは何故だ? 取り込まれたなら本人なのだろう?」
「それは、キャプテンがロゼッタさんと他の亡霊たちが混ざり合った存在だからですよ」
赤髪の青年から飛んできた質問に答えると同時に、シオンはキャプテンに確認の意味を込めて視線を投げかける。
キャプテンはそれに迷うことなく頷いて見せた。
「さっきも話したように“幽霊船”は“海に沈んだ船とその船員の亡霊”っていう概念な訳で、言い換えれば“海に沈んだ船とその船員の亡霊”の集合体とも言えるわけです」
「……なるほど。キャプテンはひとりの人外とは言い難いのか」
“幽霊船”という怪談が語られるようになったのは人類の歴史の中では最近だが、それでも数百年は前のことだ。
全てではないとないえ、それまでの間に海に消えていった多くの船と船員を取り込んできたというなら少なく見積もっても一万人以上の船乗りの集合体ということになる。
「どういう経緯なのかは知りませんけど、今俺たちの目の前にいるキャプテンは多くの亡霊の内のひとりであるロゼッタさんが代表として形をなしてるだけ。その内側には他にもたくさんの亡霊が内包されてるはずです」
ロゼッタ・バレンスというひとりの船乗りに、無数の船乗りの亡霊が混ざり合っている状態。
主人格はロゼッタその人だとしても、少なからず記憶や感情は亡霊たちの影響を受けるはず。
その時点でキャプテンが生前のロゼッタと同一人物とは言い難いだろう。
シオンの説明が一区切りしたところで、キャプテンは大きく頷いた。
「助かったよ。アタシはどうもその概念だとか人外としての成り立ちだのがピンと来なくてねえ」
「まあ、元が人類軍人だったなら仕方ないかもですけど」
「何はともあれ坊やの説明で問題ないよ。話にもあった通り、今はアタシがキャプテンを任されてるってだけ中身には他にもオッサンから若いのまで色々いるし、ちょいときっかけがあれば見た目も人格もまとめてソイツらとバトンタッチすることになる。それに、死んじまった船乗りの名前なんて縁起悪いからねえ、やっぱりキャプテンと呼んでおくれよ」
自分が死んでいることも含めてあっけらかんと語ったキャプテンにシオンたちは頷く。
「とまあ、アタシらの自己紹介はこんなところだけど、何か質問は?」
「私からひとついいでしょうか?」
白銀の髪の青年が名乗り出たのにキャプテンは「どうぞ」と先を促す。
「私たちの世界でも“幽霊船”のウワサは聞いています。そのウワサでは幽霊船の船団が彷徨っているという話だったのですが、それと貴女たちは同一の存在でしょうか?」
「ああ、それはアタシらだね。“幽霊船”の人外はアタシらだけだから」
「この一隻だけではないんですか?」
「必要なら増やせるんだよ。何分結構な数の難破船を取り込んでるんでね」
あっはっは、と笑っているが、内容的にはなかなか笑えない。
「ちなみにこの船が人類軍の戦艦なのはアタシが表に出てるからさね。どうもキャプテン次第で船の形も船員の顔ぶれも変わるらしい」
「……つまり、船の中には同じく戦死した人類軍人の亡霊がいると」
「アタシの船に乗ってた連中がね」
「……艦長、〈ミストルテイン〉にこの船の亡霊の遺族とかいたりしませんよね?」
ミツルギ家がそうであるように親が人類軍で子供も人類軍というパターンは珍しくないし《太平洋の惨劇》以降は、そこで戦死した親族の敵討ちを望んで軍人になったなんてパターンも珍しくはない。となると、その可能性は否定しきれないわけで。
「……いるかもしれない」
「わー……」
下手すると死んだと思っていた親が人外になっているという現実に直面する人物がいるかもしれないというわけだ。
ロゼッタと面識があるミスティでも相当混乱していたというのに、血の繋がった親がそんなことになっているなんてことになってしまったら――
「その人、精神的ショックで大変なことになっちゃうんじゃ……」
「〈ミストルテイン〉に乗ってなかろうが、この話を遺族が聞いたら卒倒してもおかしくないだろ……」
「あ、確かにそうさね」
シオンとアキトの会話を聞いていてその可能性に気づいたらしいキャプテンがやっちまったとでも言いたげな表情になった。
「その辺の情報、公にはしない方向で頼めるかい……?」
最終的な結論は上層部に任せなければならないだろうが、どう考えても遺族にとって複雑すぎる情報だ。
できるだけ公にしない方向で上層部に働きかけることも含め、シオンとアキトはキャプテンの依頼に力強く頷いた。




