1章-シオンの選択、アキトの不安-
時刻は夜。
〈ミストルテイン〉の外はすっかり日が暮れ、都市での戦闘が終了してからすでに数時間が経過している。
戦闘自体は〈サーティーン〉から放たれた一撃でほとんど終わったも同然だったが、事後処理でここまで時間が経過してしまった。
事後処理に時間を要するのは決して珍しいことではないが、今回時間がかかってしまったことはアキトとしてはあまり好ましいことではない。
何せこの数時間、シオンと人類軍の問題はなんの改善もされないままになっているのだ。
戦闘後シオンが〈ミストルテイン〉に帰艦してきた以上、事前に口にしていたようにアキトと改めて話し合いをする意志があることは間違いない。
ただ、その話し合いがどう転ぶかはやってみなければわからないのだ。
「……緊張してるわね?」
アキトは〈ミストルテイン〉内の会議室にアンナだけを同席させて待機している。
シオンと今後についての話し合いをするためだ。
その話し合いに向けての緊張はアンナにも伝わってしまったらしく、心配そうにこちらに目を向けてくる。
「非は完全にこちらにある。その状況であのイースタルがどんなアプローチをしてくるかと考えると頭が痛い」
「……心中お察しするわ」
シオンと親しく信頼もされているアンナだが、彼女もまたこの後の話し合いを楽観的に見ているわけではない。
むしろ彼のことをよく知るからこそ、アンナもまた警戒している。
――アタシがアキトの味方に付いたとしても、大して譲歩はしてくれないと思うわ。
アキトがアンナに話し合いへの同席を頼んだとき、彼女はまずそう言った。
いくらシオンがアンナの言葉には聞く耳を持つとはいえ、盲目的に従うわけではない。
身の安全を脅かされたとなれば、それ相応に責任を追求してくることだろう。
「とりあえず、ミスティを置いてきただけ余計に悪い状況にはならないと思う」
「相性が最悪だからな」
「シオンのほうは無関心に近いんだけどね」
ミスティはブリッジで事後処理を続けてもらっている。その仕事は半分本音で、半分は建前だ。
この場に彼女を同席させてシオンに突っかかられると困る。
「今更だが、クロイワ班長の言っていた意味がわかった。本当に身内に注意しておくべきだったらしい」
シオンは多少ひねくれてはいるものの人類軍に対して非協力的だったわけではないし、敵対する意思もおそらくなかった。……人類軍側が手出しさえしなければ。
シオンと友好的に付き合いたいのなら、シオン本人の動向ではなく人類軍内部の過激派を警戒するべきだった。
それを怠った結果がこの状況というわけだ。
「過ぎたことはどうしようもないし、前を向いていきましょ。……そんな調子じゃ本当にシオンにいろいろ毟り取られるわよ?」
「それは困るな」
冗談交じりの本気の助言に、アキトはネガティブな思考を切り替える。
それと会議室の扉がノックされるのはほとんど同時だった。
「シオン・イースタル。来ました」
「入ってくれ」
これまでならノックはしても返事など待たずに乱入してきていただろうに、こういった些細な振る舞いの違いからも今回の一件でできた溝の深さを感じてしまう。
そんな中部屋に入ってきたシオンは淡々とテーブルについているアキトの真正面に座った。
「……イースタル。その額はどうかしたか?」
開口一番なんと声をかけるべきか悩んでいたはずだったのだが、目の前に座るシオンの額が赤くなっているのが目について思わずそんな質問から会話を始めてしまった。
「……十三技班の面々から少々」
「少々ってアンタ……」
「今日までいろいろ心配かけたことに対していくつかの罰ゲーム提案されて、一番マシそうなデコピン選んだらまさかのダリルさんの義手でやられました」
ダリルの義手についてはアキトも噂を耳にしたことがあるのでしっているが、機械の指での一撃となれば相当なものだったのではないだろうか。
実際に額に真っ赤な痣が残っているのだから、そういうことなのだろう。
「ま、いきなり搭乗機の腕が爆発するよりは大層マシなもんですからお気になさらず」
大袈裟に肩をすくめながらの皮肉に笑うこともできない。
冗談めかして言っているので判別が難しいが、それなりに根に持っていることは間違いないだろう。
「……ひとまずは謝罪させてくれ。今回は俺の監督不行き届きだった」
アキトが一番に選んだ選択肢は、素直に頭を下げて謝罪することだった。
今回の一件は完全に人類軍側の落ち度だ。
まだ仮のものとはいえ上層部が結んだ契約なのだから、末端の兵士まで全員がそれを守らなければならないはずがこの体たらく。
艦長としてこの部隊を指揮するアキトの力不足は否定できない。
「……実行犯のみなさんは?」
「全員拘束して営倉に入れてある。爆破の実行犯に加えて協力者も全員聞き出して対応した」
「ふーん」
尋ねておいて大して興味なさそうな相槌を返すシオン。彼の目は真っ直ぐにアキトのことを見つめている。
「実行犯は彼らなわけですし、艦長殿が謝ることじゃなくないですか?」
「俺の立場上、こういった犯行は実行される前に止めなければならない。それができなかった以上、俺にも非がある」
「……損な性格してますよねホント」
頬杖をつきながらこちらを見る眼差しはいつのまにか呆れたようなものに変わっていた。
ただ、不思議とそこに敵意や怒りのようなものは感じられない。
「とりあえず、艦長殿は俺にどうしてほしいですか?」
「……今回こちらに非があったのは明らかだが、人類軍との協力関係を継続してほしい」
都合のいいことを言っているのは百も承知だが、アキトの望みはこれ以外にはない。
人類軍にとってシオンの知識は他の何物にも代えられない価値がある。この一か月ほどの旅路でアキトはそれを身をもって理解した。
実際、シオンが湖におけるスライムのアンノウンに関する違和感に気づいていなければ、川沿いの都市では軍人以外にも多くの死傷者が出ていたことだろう。
彼から得られる知識は今回のように多くの人々を守ることができる。
シオンがその見返りに何を望むかはわからないが、どれだけのものを望まれるとしてもここで彼を手放すわけにはいかない。
そんなアキトの身勝手な考えを見透かすようにシオンの瞳がこの身を貫く。そして、
「いいですよ」
シンプルな答えにアキトの思考は追いつかなかった。
「すまない。今なんて言った?」
「だから、いいですよ。人類軍との協力関係続けても」
あっさりと了承の返事をしたシオンを見つめたまま、アキトはただただ驚くことしかできない。
「……そこまで驚かなくても」
「いや……正直どんな無理難題を吹っかけられるだろうかと思っていたんだが」
「艦長の中の俺、どういうキャラなんです?」
シオンの質問に、今までアキトの隣にいるだけだったアンナが軽く身を乗り出した。
「そりゃあ、腹黒で油断ならない悪ガキとかでしょ?」
「それは教官の中のイメージでしょ?」
「…………」
「否定してこないし、艦長も多分同意見よ?」
「ありゃー……」
予想外の了承とアンナとの軽快な会話に会議室の緊張感がなくなっていく。
だが、それではいけないとアキトは思い直した。
シオン・イースタルという人物はこうして空気を緩ませることが多いが、それは本人の素の性格だけではなく、周囲を自分のペースに引き込む策略でもある。
こんなにあっさりと協力関係の継続に同意したことを含め、何かがおかしい。
「……イースタル。本当に協力関係を続ける意志があるのか?」
「ええ。……結局のところ俺はひとりですから。人類軍の数の暴力を相手にするのは厳しい」
今回の一件について思うところはあっても、シオンにとっては人類軍と袂を分かつデメリットのほうが大きい。
だからアキトの要望を受け入れようということらしい。
シオンの表情や態度を見る限り、今の話に嘘はなさそうだ。彼の言っていることも決して矛盾しているわけではない。
だが、本当にそれだけだろうか。
以前ゲンゾウが「腹黒で策士だ」と言っていたというのもあるが、アキト自身彼がこのまま泣き寝入りして今回の一件を終わりにするとは到底思えない。
「イースタル。正直に答えてほしい」
「……なんです? 改まって」
「お前は、今回の人類軍の過失に対して賠償を求めるつもりはないのか?」
思えば、シオンはここまで人類軍側に対して何も求めてきていない。
だが、事あるごとにアキトに対して"ご褒美"だの"追加報酬"だのを要求するような人物が人類軍の落ち度に対して賠償を求めたり要求をしてこないというのは明らかにおかしい。
裏があることをほぼ確信しているアキトの問いに、シオンは微笑んだ。
その表情が答えなのだろう。
「心配しなくても、艦長殿にどうこうは言いませんって」
「なら、上層部か?」
「ありゃ、わかってるじゃないですか」
悪びれもせずに肯定したシオンに、アキトはなんとも言えない表情を向ける。
「だってほら、俺の契約相手は人類軍じゃなくて人類軍上層部ですからね。契約に問題があったなら契約相手と直接お話をするのが筋じゃないですか」
言っていることは間違いなく正論なのだが、その発言には明らかな含みを感じた。
この少年、おそらくは今回の一件をネタに上層部をゆするつもりだ。
「こっちは命の危険もあったわけですし? なんてったって人類軍は世界を守る正義の味方なんですから、約束を守れなかった落とし前はしっかりつけてもらわないと」
「落とし前ってアンタ……」
にこやかに言ってのけるシオンにアンナまでもが若干引いているが、当の本人はその反応を前にしても態度を変える様子はない。
「あんまり怖がらせても面倒だし、俺も色々考えて遠慮してたんですけど……十三技班のみんなに台無しにされたので我慢はやめて攻めていこうと思って」
「……出し渋っていた魔法を派手に使い始めたのはそういうことか!」
「はい!」
氷の魔法はアキトがエサをちらつかせて始めて使ったというのに、〈サーティーン〉に仕込んでいた派手な魔法を見せつけるように使ってみせたことに少々違和感は覚えていたが、どうもシオンの中で心境の変化があったようだ。
手札を隠さないようになったことを喜ぶべきか、魔法を使うことをためらわなくなったことを恐れるべきかと言えば、おそらく後者だろう。
吹っ切れた様子で晴れやかに微笑むシオン。
それを目の当たりにしたアキトは、彼に人類軍の協力者で居続けてもらう選択をした自分が正しかったのか、少し自信がなくなってきたのだった。




