8章-麗人との遭遇④-
女性に悩みを打ち明けるとは決めたものの、シオン・イースタルの名前は人類軍から公表されてしまっているし、ガブリエラも扱いとしてややこしいので名前を出すわけでにはいかない。
そういう事情も含め、あまり得意ではないが情報をぼかして悩みについて話すことにした。
大切で、味方でいると約束した友達がいること。
その友達が無茶ばかりをすること。
その友達についてナツミが知らない大事な何かを知る新しい友達ができたこと。
ナツミには大事な友達に何もしてあげられないのではないかと気づいてしまったこと。
大事な友達に寄り添える知識や能力のある新しい友達に嫉妬してしまっていること。
そんなナツミの話を、彼女は静かに聞いてくれた。
「――なるほどね」
ナツミが全てを話し終えてから、女性はゆったりとした動きで手元のコーヒーを口に運んだ。
「つまり、大切な男の子に自分よりも相応しい女の子が現れた気がして悶々としてるのね」
「……いや、ちょっと違いませんか⁉︎」
女性による総括に一拍遅れてナツミは声を荒げた。
静かな店内に響いてしまったツッコミに周囲の視線が集まってやや居た堪れないのだが、女性はそんなこと気にせずにこてりと首を傾げた。
「あら、違うの?」
「違うっていうか……そもそもあたし、友達の性別について何も言ってませんよね?」
あくまで“約束をした大事な友達”と“新しい友達”という話し方しかしなかったはずなので、そこから性別を特定することなんてできないはず。
それなのに正面の彼女が当然のように前者を男の子、後者を女の子と断定していることがそもそもおかしいのだ。
「そこは勘よ勘。なんとなくそんな気がしただけだったけど……まあその反応からして正解だったんでしょ?」
「それはまあそうなんですけど」
「お姉さんにはこのくらいお見通しよ」と語尾にハートでもつきそうな調子で話されて、恐ろしいやら頼りになりそうやらで微妙な心境になってしまう。
「さて、時間もあまりないしサクサク進めましょう」
ナツミの心境について気づいているのかいないのか――ここまでの流れを考えると気づいていてスルーしている線が濃厚ではあるが――女性はすぐに話を進めていく。
「……そうね。ひとつアドバイスとして言えるのは……」
「言えるのは……?」
「アナタのその考えは、よくないわ」
女性からストレートに投げかけられた言葉に、ナツミの視線は自然と下がった。
自分でもガブリエラへ嫉妬を向けることが悪いことだという自覚はあった。ただそれを真正面から指摘されると少し心に来るものがある。
「そう、ですよね。あの子は何も悪いことなんてしてないのにあたし……」
「ううん。そこじゃないわ」
「そこじゃない」という言葉の意味がわからず下がっていた視線を上げれば、女性は困ったようでいて少し呆れたような表情でこちらを見ていた。
「お姉さんがよくないと思うのは、アナタが自分のことを悪い方にばっかり考えてることよ」
「でも、あたし何もわかってないし、何もできないし、その挙句嫉妬したりしてるし、」
「よくもまあそんなにネガティブなことばっかり出てくるわね……」
「その口? その可愛いお口が悪いのかしら?」なんて冗談混じりに笑いながら女性の綺麗な手がナツミの唇を摘んだ。
当然上手く言葉を口にできなくなるナツミに彼女はケラケラと笑ってきて思わずムッとしてしまったのだが、彼女のグリーンの瞳に宿る優しい気配に気づけば苛立ちは萎んでいく。
「まず第一に、確かにアナタは新しい友達が知ってることを知らないのかもしれないけど、新しい友達が知らないことを知ってるんじゃないの?」
確かに、出会って間もないガブリエラと比べれば、士官学校の頃からの付き合いのあるナツミの方がシオンのプライベートなどの細々したことはよく知っているはず。それは間違いないだろう。
「次に、アナタは本当に何もできないのかしら? 目に見えて助けてあげることは難しいんだとしても、できることがないって決めつけるには早かったりはしない?」
ガブリエラのようにシオンと共に戦ったり彼の知らない知識をもたらすことはナツミにはできない。無茶を止めることだっておそらくはできない。それは事実だ。
しかしそれらができないからと言って何もできないとは限らないのも、間違いではない。
「最後、嫉妬って言い方をすると聞こえが悪いけど、言い換えれば憧れや自分もそうなりたいっていう感情でもあるはずよ。悪い方向にばかり捉えないでいいの」
ガブリエラがそうできているように、ナツミもシオンを理解し、助け、隣に立てる人間でありたい。
それは決して悪い願いではないのだと、彼女は言ってくれる。
「どんな時でも、自分のことを悪く考えたり嫌いになったりするべきじゃない。それじゃあきっと上手くいくものも上手くいかないわ。……だから今のアナタの考え方はよくないの」
ナツミの唇を摘んでいた手が離れ、「わかった?」と問われる。
その問いにゆっくりと頷けば目の前の彼女はほっとしたように笑みを浮かべた。
「ホント、なんでそう自分のことを嫌いになっちゃうの? 最近の若い子ってみんなそうなのかしら?」
「みんな、ですか?」
「お姉さんの身内にもひとりとんでもなく自分のことが嫌いな子がいるのよ。しかも死ぬほど頑固」
曰く、その身内の子に対しても今ナツミにやってくれたように諭したものの、結局は改善できないまま離れてしまったらしい。
「可愛い顔してるくせに性格は可愛くなくてね! 絶対今もそのままよあの子!」
先程までの落ち着いた態度から一変してぶつくさと文句を言う女性にナツミは愛想笑いを浮かべることしかできない。
そんなナツミに対して女性はやや鋭い視線を向けると「とにかく」と言い放った。
「アナタは少し悪い方向に考えすぎよ。もっとポジティブになりなさい」
「は、はい!」
やや乱暴な印象を受けるアドバイスではあるが、間違いなくひとり自己嫌悪しながら悶々としていた時よりは気持ちが軽くなっている。
少なくとも以前よりはマシな解決策を模索ことができるかもしれない。
「あと、もうちょっと自分勝手になってもいいと思うわよ」
「どういうことですか?」
「無茶するお友達にそんなに気を遣わなくていいんじゃないのってこと」
そう話す女性は少々機嫌が悪そうに見える。どうもナツミの話に出てきたシオンについてムッとしているようだ。
「聞いてる感じ、そのお友達はアナタだけじゃなくて周囲に心配かけまくってるんじゃない?」
「まあそうですね」
「しかも、心配かけてる自覚あるくせにやめないんでしょ?」
「はい」
「だったらアナタが気を使ってやる義理なんてかけらもないじゃないの!」
最終的に女性はまったく苛立ちを隠さずに声を荒げた。
「あっちがそれだけ自分勝手やってるんだもん。アナタが遠慮する必要なんてないわ」
「でも、シオ、じゃなくてその友達はあたしたちを守ってくれてるわけですし……」
「いいえ、全然守れてない!」
ナツミのフォローを女性はバッサリと切り捨てた。
「確かに、命や体は守れてるのかもしれないけど、心がそっちのけじゃないの。アタシに言わせればそんなの守れてる内には入らないわ」
そう叫ぶように口にした女性は、ビシッと効果音が聞こえそうな勢いでナツミに指を突きつける。
「アナタが大事な人に無茶してほしくない、傷ついてほしくないって願うことは絶対に間違えてもないし悪いことでもないはずよ」
「でも、それが相手を追い詰めることになるかも」
「ならいっそ追い詰めてやればいい。追い詰めて追い詰めて追い詰め倒して、無茶をやめさせるの」
とんでもない暴論が女性から飛び出してきてナツミは驚く。
しかし彼女はそんなナツミの驚きなど目にも入っていないようだ。
「自分勝手な相手に遠慮なんてしてたら何も変わらないの。自分勝手にはそれを上回る自分勝手をぶつけてやんなさい!」
そう言われて思い出したのは、シオンと十三技班の攻防の結末だった。
彼らを守るべく突き放すことを選んだシオンの勝手と、あくまでシオンと共に歩く道を望んだ十三技班の勝手が譲り合うこともなくぶつかり合ったそれは、最後にシオンが折れたことで決着が付いた。
あれがなければシオンと十三技班の人々は今のように笑い合ってなんていなかったかもしれない。
「……そう、かもしれないです」
あの日の格納庫で、ガブリエラは「無茶をしないでほしい」と伝えるだけだった。
ナツミに至っては勝手に諦めて言葉にすらできないで立ち去ってしまった。
どちらもシオンに遠慮して、十三技班の彼らのようにぶつかりあう選択をまだしていない。
ぶつかり合うことはシオンを傷つけるかもしれない。
けれど、それくらいしなければシオンにはきっと届かないのだ。
「ありがとうございます。まだ考えないといけないこともあるけど、どうすべきか見えてきたかもしれないです」
「それは何より。……ちょっとヒートアップしちゃった自覚はあるからそこは忘れてもらえると嬉しいわ」
冷静になったのか少々バツの悪そうな女性の態度に小さく笑いが漏れた。
女性の方もそれを見て同じように笑みを浮かべてくれ、ふたりでしばらく笑あった。
店を出れば、もう間も無く日が完全に沈む時間帯だった。
ナツミと女性の宿泊先は方向が真逆らしく、ここで彼女とはお別れになりそうだ。
「アナタのお友達、筋金入りの自己中頑固野郎よ。徹底的にわがまま言ってやりなさい」
店の前で改めて別れの挨拶を交わせば、女性はナツミの肩を叩きながらそんなアドバイスをしてくれた。
「負けちゃダメよ?」と笑う女性に頷き返せば、満足したようにヒラヒラと手を振りながら彼女は歩いていく。
「(あ、……結局名前も聞かなかった)」
あんなに話し込んでおいておかしな話なのだが、なんとなくタイミングを逃してしまって名前を聞くことも自分の名前を名乗ることもしなかった。
少しだけ寂しい気もするが、女性はすでに曲がり角に消えてしまったので後の祭りだ。
「(また、どこかで会えたらいいな)」
そんな偶然は奇跡のような確率でしか起こらないのだと理解していてなお、ナツミはひとりそう願うのだった。




