8章-麗人との遭遇①-
〈ミストルテイン〉の乗員たちが休暇を開始して五日目。
観光客で賑わう街の中をナツミはひとり歩いていた。
「(あたし、何やってるんだろ)」
進むナツミの足取りはお世辞にも軽いとは言えない。
表情も明るくはなく、周囲の雰囲気とはどうもミスマッチだ。
休暇が始まって初日にシオンとギクシャクしてしまったナツミだったが、それ以降今日に至るまでシオンとは一切接触していない。
ナツミたちの宿泊しているホテルはそれなりに大きなものなのだ、いくら同じホテルで寝起きしていても案外鉢合わせすることはない。
要するに、会おうと思ってタイミングを合わせなければ会えないのだ。
しかし、今もなおシオンとの関係に悩んでいるナツミからシオンに会おうとうごくことはないし、ナツミがシオンを避けたがっていると知っているシオンの側からナツミにアプローチがあるはずもない。
となれば会えないのはただの必然なのだが、その必然にナツミは寂しさを覚えているのだ。
「(……ガブリエラとは毎日一緒なのに、なんて)」
人伝にそんな話を聞いたり実際に遠目に目撃したりして、アンナに連れられてどこかへ行った初日も含めてシオンがガブリエラと顔を合わせていない日はないのだとナツミは知っている。
それは別におかしなことでもない。
シオンとギルの二人組にガブリエラも加わって“いつものふたり”から“いつもの三人”として定着しつつある彼ら三人組。
シオンたちは新しく形づくられた仲良し三人組で目一杯休暇を楽しんでいるだけだ。
いっそ微笑ましいはずのことに、ナツミが勝手に気持ちをざわめかせているだけに過ぎない。
その事実に昨日気づいてしまってから、ナツミは度々自己嫌悪に陥っていた。
そういう背景もあって少しでも気分を変えようと街へ出たわけだが、結局はホテルの部屋にいた時のことばかり考えている。
街へ出た意味がないとわかっているが、それでも気持ちが切り替えられないのだから仕方ない。
「(これじゃダメだ……ひとまず甘いものでも……)」
好きなものを食べて気分を明るくしよう。
そんな学生時代から何度もくり返してきたようなシンプルなアプローチを思い浮かべたナツミだったが、次の瞬間には頭の中にケーキを頬張ったシオンのイメージが浮かんでいた。
「(……服、オシャレな服でも探そう……!)」
甘いものはダメだとすぐに方針を変更したが、今度は中東でのドレス選びや先日水着を見せた時のシオンの姿が頭を過ってしまった。
「…………あたし、重症じゃん……」
シオンのことを一旦考えまいとしているはずが、何かとすぐにシオンのことを思い浮かべている事実に頭を抱えたくなった。
ナツミ自身が自覚していた以上に自分がシオンと時間を過ごしていたのだということを突きつけられたような気分だ。
それが不愉快かと言わればそういうわけではないが、少なくとも今の状況では嬉しくない気づきである。
大きくため息をつきながら俯くようにトボトボと歩く。
人の多い観光地で前を見ずに歩くのは危険だという当たり前なことを失念していたナツミは――、
「わっ⁉︎」
「おっと!」
前方不注意により見事に見知らぬ誰かに衝突した。
ナツミの歩く速度が遅かったので双方転けるようなことはなかったが、完全にナツミの落ち度であることに違いはない。ナツミはすぐさま頭を下げる。
「ごめんなさい! あたしちゃんと前見てなくて……」
「そんなに慌てなくても大丈夫よ。お姉さんも周りを見てなかったからね」
謝罪に対してかけられた優しい言葉に顔をあげれば、黒髪の女性が綺麗な笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
日除け目的に大きなつばのある帽子、サングラス、オシャレなノースリーブのワンピースというわかりやすいバカンスのスタイルの女性はガブリエラとはまた別の系統の目が奪われる美女だった。
そんな彼女をぼーっと見つめてしまっていたナツミだったが、女性は女性でぼーっとしているナツミのことをサングラス越しにじっと見つめている。
「アナタ……」
「は、はい……?」
声をかけられてなんとなく姿勢を正してしまったナツミを女性はさらにしばらく観察し、
「もしよかったらなんだけど、これの使い方を教えてもらえない?」
「これ……?」
女性が指差す先にはタッチ式の電子案内板がある。
大きなモニターに触れて操作することで周辺の地図や観光案内などを簡単に確認できる観光地によくある設備だ。
「使い方って……」
「いや、わかってるわ。これはわざわざ使い方を教わらなくてもどうにかできるようなものなのよね?」
女性の言う通り、使い方と言われても「画面上の案内などに従ってボタンなどをタップしていく」だけなので教えるも何もない。
しかし見たところ、女性はそれがわかっていてなお電子案内板をどう使えばいいのかわからないということなのだろう。
「えっと……じゃああたしが代わりに操作しましょうか?」
「そうしてもらえると嬉しいわ」
「昔からこういうものには弱くて……」と肩落とす女性に代わってナツミは電子案内板の前に立つ。
「それで、何を調べたんですか?」
「知り合いにこの辺りにすごくおいしいパンケーキを出すお店があるって聞いたんだけど、細かい場所がわからなくって」
ひとまずパンケーキをキーワードに調べてみれば五つほどの店がリストに表示される。
「あ、多分このお店ね」
「じゃあ場所出しますね」
電子案内板を操作すれば画面下から地図が印刷されてくる。
それを女性に手渡せば「へー、こんなことまできるのね」と感心したように地図を覗き込んでいる。
「本当にありがとうね。ここまでお世話になっちゃったし何かお礼がしたいんだけど……」
「お礼なんてそんな。あたし、あなたにぶつかっちゃいましたし」
「そのことを差し引いてもアナタのしてくれたことのほうが大きいと思うの。やっぱりこういうのはフェアにしておかないと……」
それから少しうんうんと唸った彼女は、やがて何か閃いたのか表情を明るくした。
「お嬢さん、この後時間はあるかしら?」
「え、はい。特に予定はないですけど」
「それじゃあ、お姉さんとお茶しない?」
サングラスを少し下げてグリーンの瞳を覗かせた女性はそう言ってウィンクして見せた。




