8章-突然の気配-
なんだかんだと水泳教室を続けているうちに時間は過ぎ、気づけば空ややや赤くなってきていた。
「この辺りで切り上げた方がよさそうかな」
「だなー」
「……結局ふたりから離れては泳げませんでした」
ガブリエラの泳ぎ自体は十分に上達したとは思うのだが、やはり海への警戒心はなかなか拭いきれないらしくひとりで泳ぐということだけはできなかった。
「ま、泳げるようになるってのは多分達成できてるんじゃないかな」
「海だと怖いんだろ? だったら明日はプール行こうぜ!」
「明日も泳ぐつもりなのかー」
連日、しかも体を動かすような遊びをするというのはシオンの柄ではない。
しかしガブリエラがギルの言葉に目を輝かせてしまったので強く拒否はできない。シオンは身内にチョロいのである。
砂浜から離れてホテルへの道を歩く。
さすがの観光地というところもあってたくさんの人間が街を歩いている。
「さすがに欧州のお祭りの時ほどではないですが、人が多いですね」
「だなー。でも、観光客っているもんなんだな」
「なんでですか?」
「だって、最近世界中でアンノウン増えてるんだろ?」
世界中でアンノウンが増えているとなれば、それだけ人々も不安に感じているはず。
そうなれば観光なんてしようという気分にならないのではないか、というのがギルの考えなのだろう。
それ自体は決して間違えていないはずだが、実際目の前にたくさんの観光客と思しき人々がいることに疑問を抱いているのだろう。
「ある程度は情報規制もしてるんじゃないか」
「そうですね。真摯な対応とは言えないでしょうけど、人々を不安にさせてもあまりよいことはないでしょうから」
ガブリエラの言う通り、下手に本当のことを話して社会全体を不安にさせるのはよい判断とは言えない。
不安に駆られた人々の間であらぬウワサが広まって状況が悪化したり、下手をすれば暴動などが起きて血が流れる可能性まである。
まあ、そんなこと気にせず北欧に不安をばら撒いたシオンが言えることではないのだが。
「あとまあ、ハワイ諸島なら比較的アンノウンも出にくいんだと思う」
「あー、確かにハワイって自然とか豊かだしな」
神話の類も存在しているし、現代にしては神秘の類が色濃く残っている土地だ。
何者かに作られたというよりは天然のものに近いだろうが、アンノウンを阻む力が働いているのはシオンにも感知できている。
昔から有名な観光地であったらしいが、アンノウンの出現例が少ないというのは現代の観光地としてかなりの強みだろう。
「ってことは、やっぱり人外も結構暮らしてるのか?」
「そこらへんは俺も詳しくはないけど、人外界隈でも普通に人気の観光地ではある」
「観光地、ですか」
「ま、人間だって人外だって常夏の楽園なんて言われたら普通に心惹かれるよねって話」
種族柄暑さに弱い種族などはともかく、そういった制約がなければ観光地として整備されていてアンノウンが出にくい土地というのは人外にとっても魅力的だ。
「実際、≪魔女の雑貨屋さん≫ではハワイ旅行のプランも取り扱ってたはず」
「マジでなんでもやってるなあそこ」
「となりますと、実は今も旅行に訪れている人外の方々がいらっしゃるのかもしれませんね」
「これだけたくさんの人が歩いているのですし」とガブリエラが言うのに「かもね」とシオンも微笑む。
そんな矢先のことだった。
「――!!」
感じ取った気配にシオンは弾かれたように振り返った。
ギルとガブリエラがシオンの突然の動きに驚いているが、今はそれを気にしている余裕がない。
「(今の……)」
たった今シオンが感じ取った気配。それはかなり強いものだった。
持ち主の人外はそこらにいるようなものでは絶対にない。
同時に、やや不可解な気配でもある。
「ねえ、ガブリエラとギルは何も感じなかった?」
「俺はなんにもなかったぞ?」
「私も特には……」
ギルはともかく、シオンが感じ取った気配をガブリエラが見逃したというのは少し違和感がある。
何せ微かな気配などではなく思わず反応してしまうようなものだったのだ。
そもそもそれなりの力を持った人外がうっかりで魔力の気配を漏らすとは考えにくい。
「(俺を狙って魔力を放った?)」
単に気配を垂れ流したのではなく、明確な意図を持ってシオンに向かって魔力を放った。
そう考えれば気配が強いながらもガブリエラが感知し損ねた理由の説明はつく。
ただ、相手が何故そんなことをしたのかはわからない。
「(少なくとも俺が人外関係者だってことはバレてるんだろうけど……)」
そうでなければシオンに向けて魔力を発するはずがない。現時点でそれだけは確実だろう。
相手側の目的としては“存在のアピール”や“なんらかのメッセージ”などが考えられるが、イマイチしっくりこないのも事実だ。
存在をアピールしたかったのだとしてそこからどうしたいのかという話であるし、現状はただ魔力の気配を向けただけではメッセージも何もない。
最初に感知した魔力自体もなんらかの細工をしてあったのかぼんやりとしていて、魔力の質などから種族などの予測を立てることも難しい。
シオンに存在を知らせたかったことだけは間違いないだろうが、そこから先がなんとも言えない状況だ。
「……何かあったんですね?」
「あったはあったけど、よくわかんないや」
相手の目的に考えを巡らせるのと同時進行で周囲を意識して索敵しているのだが、問題の魔力の気配は引っかからない。
改めて気配を隠したかすでに近くから立ち去ったのかは定かではないが、今から見つけることは不可能だろう。
「俺が関係者だってわかってて、ちょっかい出してきた誰かがいた。それなりに力のある誰かがね」
「……ちょっかいだけで挨拶なしってことは仲良くしたいってわけじゃなさそうってことか?」
「さあね。悪意がある感じではなかったけど」
悪意がなさそうというのにウソはない。ただ友好的というわけでもないのも事実だ。
「ひとまずよくわかんないや。一応ふたりも注意はしておいて」
相手がシオンとふたりが一緒に歩いていたことに気づいていないはずはない。
わざわざシオンにだけ魔力を向けてきたことを思うと可能性は低そうだが、この先シオンではなくふたりにちょっかいをかける可能性もゼロではないだろう。
「休暇中だってのに、困っちゃうよなー」
「ホントにね」
念のため警戒は少し強めつつ、シオンたちは再びホテルへの道を歩き出す。
そんなシオンたちをとあるビルの上から微笑みながら見下ろす人物がいることを、彼らは知らない。




