8章-シオンとアンナ②-
結論から言えば、シオンはアンナの予算をそれは見事に食い散らかした。
ただしアンナがランチを食べられる余地は残した。
予算全体からすれば些細なものではあるが、一応はシオンなりの気遣いである。
そんなこんなでふたりは昼食を求めて店が混み始める頃に店を出た。
「ホントにアンタは……」
「教官が先に言い出したことですから。……でもまあそういうわけで、教官が俺になんか負い目だとかそういうのを感じる必要は綺麗さっぱりなくなったでしょう」
シオンからすれば、そもそもお詫びと称して奢られる謂れなどなかったのだ。
それでもあえてアンナの提案に乗ったのは彼女の納得のためでしかない。
ここまで貪り尽くせば十分にお詫びを済ませたとアンナも納得せざるを得まい。
「……話が早いのはいいけど、可愛げないわよね〜」
「逆に教官の中で俺が可愛かったことってあります?」
「そりゃああるわよ」
シオン自身可愛げがない自覚はあるのだが、アンナはそうでもないらしい。
「わかりやすいのはご飯どきね。食事量は可愛くないけど、もきゅもきゅ食べてるところとか小動物っぽくていいと思うわよ?」
「……それはシンプルに恥ずかしいんですが」
「特に山のようなドーナツを食堂で食べてたのを見たときはキュンとしたわ」
シオンの羞恥心など気にせずにこやかに続けるアンナは確実に確信犯である。
それ自体は多少イラッとするのだが、こうしてなんでもない話ができるのは素直に嬉しくはある。
思えば、正体が露見してしまったときですらアンナと距離ができることはなかったのだ。
そういう背景もあって、今回一週間程度とはいえアンナとの間に隔たりができたことはシオン自身が思っていた以上に精神的な負担になっていたらしい。
「あ、でも今日は頼んだメニューお肉系ばっかだったわね」
「そうでしたっけ?」
「うん。お酒に合いそうなのばっかりで恨めしい気持ちで見てたし」
「真っ昼間から何考えてんですか」
「せっかくの休暇なんだから別にいいじゃないのー」と文句を言うアンナと連れ立って砂浜を歩く。
昼時ということもあってか、砂浜全体として人の数が増えてきているように思えた。
「さて、アタシの用事は一応お終いなんだけど……」
「いいんですか? 結局なんにも話が進んでませんけど」
「さっきも言ったけど今すぐじゃなくていいのよ……まあできれば休暇中には決着をつけたいけどね」
シオンとしてもこの状況を長引かせたくないというのは同じだ。
アンナの質問に答えて状況が好転するかは定かではないにしろ、ひとつ区切りをつける必要はあるのかもしれない。
「わかりました。少し考えます」
「正直に言えばあんまり考えては欲しくないんだけどね。細かいことは気にせず本音をぶちまけてもらう方がいいから」
「……そこまでぶっちゃけられるほど素直じゃないんである程度は勘弁してください」
「ま、仕方ないわね」
シオンの性格上気持ちをそのまま正直に話すというのは少々ハードルが高すぎる。
アンナはやや不満そうだが、そこはある程度許容してもらうしかない。
「で、どうする? アンタはギルたちのところに戻る?」
「俺は……」
アンナの言う通りギルたちのところに戻るのが良さそうに思う一方で、アンナに連れられて彼らと別れたときのことが頭を過ぎる。
「いえ、それはやめておこうと思います」
ナツミの様子がおかしかったのは確かだ。
そしてその原因がシオンにあるという予想もおそらく間違えてはいないだろう。
だが、シオンは今のところその原因に心当たりがない。
そんな状況で彼らのところに戻ったところで、また微妙な空気になって楽しい休暇を邪魔してしまいかねない。
ハルマに少し探りを入れるように頼んであるし、今日のところはこのまま別行動した方が良さそうだ。
「もしかして、ナツミちゃんと何かあった?」
「……多分何かあったんじゃないかと」
「アンタが知らずにやらかしたか、本当にアンタの知らないところで何かあったかわかんないってことね」
わずかな情報でアンナは見事にシオンの状況を言い当てた。
まさにその通りなのでシオンから反論できることはない。
「最近、どうもいろいろと問題が多くて」
「……その問題のひとつのアタシが言うのもなんだけど、こういうのはあんまり時間かけると余計に拗れるわよ?」
「はい……」
わかってはいるが、今のシオンがナツミとの問題を解決できる気はしない。
シオン自身が考えるという意味でも、ハルマからの情報を待つという意味でも今は動かない方がいいだろう。
「……ってことはアンタこの後暇なのね?」
「そうですね。ホテルに戻ってゴロ寝しようかと思ってたくらいで」
「じゃあ買い物に付き合ってよ!」
「え、めんどくさいです」
「まあまあそう言わずに。付いてきてくれたらディナーも奢ってあげるから」
シオンの拒否の言葉など気にせずに腕を組んできたアンナがぐいぐいとシオンを引っ張って歩き出した。
振り払おうと思えば簡単に振り払えるのだが、ふとあることに気づく。
「(……これ、気ぃ遣われてるかも)」
ただでさえつい先程シオンに大金をむしり取られたばかりのアンナがディナーを引き合いに出してまでシオンを誘うのは不自然だ。
そうまでしてシオンを連れ回すメリットが彼女にあるとも思えない。
それでもこうして強引に連れ回そうとするのは、シオンを気遣ってくれているから。
シオンの気分転換のためか、あるいはギルたちのところに戻らなかった言い訳を作ってくれるつもりなのか本心はわからないが、何も考えていないわけではないだろう。
「わかりました。でも、夜は安くていいのでアメリカンなステーキハウスに連れてってくださいね」
「はいはい。それじゃあ行きましょう!」
そうしてふたりは砂浜を離れて繁華街へと足を向けるのだった。




