8章-亀裂-
互いに刺々しい態度のままシオンとアキトはしばらく睨み合う。
そんな膠着状態を先に破ったのはアキトのほうだった。
「まあいい。聞き出したいことは聞けたし、過ぎたことをこれ以上話しても仕方ねえからな」
「そうですか」
「で、ふたつ目の質問の答えは?」
「俺の状態は問題ありません。封じ込めたファフニールも大人しくしてます」
「それがウソじゃないと俺たちが信じるだけの証拠は?」
「ありません。どうしても気になるなら俺に神気でも流してみればいいのでは?」
神気を帯びた魔力をシオンに流して異常が出なければ、ひとまず魔物化の兆候はないという証明にはなるだろう。
「万が一お前の言い分がウソで異常が残ってたら?」
「俺がまたぶっ倒れるだけです」
「…………」
ローテーブルを挟んだシオンへと、身を乗り出したアキトの手が伸ばされた。
それはわずかに迷うような動きのあとそっとシオンの肩に触れ、ごく少量の魔力を流し込む。
「(こんだけ厳しい態度取っておいて、ずいぶん優しく触るんだな)」
少量とはいえ確かに神気を帯びた魔力を体に受けてもシオンに異常はない。
アキトはじっくりとそれを確認してから静かに手を離した。
「少なくともアンノウンに近い状態ってのはどうにかなったらしいな」
「わかってもらえて何よりです」
「他に異常はないんだな?」
「昨日の今日で少し疲れてる程度で、他の不調はありません」
「…………わかった。それは信じてやる」
ようやくアキトの口から出たOKにシオンは息を吐き出す。
ひとまずこれでアキトが事前に宣言したふたつの質問というのは完了だ。
まだ説教らしい説教をされていないのでこれで終わりとはいかないだろうが、ひと段落ではあるだろう。
ソファに体重を預けるシオンの前で、アキトも少し肩の力を抜いたように見える。
あちらはあちらでシオンのウソを見逃さないように気を張っていたのだろう。
「(ほんと、バカな人だ)」
何度もシオンに騙されてきたというのに、未だにアキトはシオンの話を真剣に聞こうとする。
人類軍にとってのシオンは戦力であり情報源でしかない。
警戒する必要はあっても、信頼する必要なんてないはずなのだ。
上手く制御するために友好的に接するのが有効だとしても、その役目はアンナにでも任せておけばいい。
アキトがそこまでする必要なんてどこにもない。
信じられないと見限って、言葉を真剣に受け止めず、気を遣って優しく触れることなどやめてしまえば、きっとアキトはもっと楽にやれるはずなのにそれができない。
「(それももしかしたら血筋なのかな)」
世界のために、見ず知らずの大勢のために犠牲となってきた、お人好しの過ぎる≪月の神子≫の血族。
アキトの在り様がその血筋から来るものなのだとしたら、いよいよ筋金入りということになってしまいそうだ。
とても優しく、とても甘く、とても愚かな男。
――だからこそ、願わくば幸せになってほしいと、愛おしいと思ってしまうのだ。
「イースタル、ひとつ重要なことを先に伝えておく」
「なんです?」
「お前にはこの後すぐ、俺とハルマに封印の手順を教えてもらう」
アキトの言葉に、シオンの思考が一瞬停止した。
「そ、れは、なんのために?」
「封印のために決まってるだろ」
バカなことを聞くなとでも言いたげにアキトはあっさりと答える。
「〈光翼の宝珠〉と〈アメノムラクモ〉が封印に使えるなら、次に魔物堕ちを封印するときにはそのどっちかを器に使うべきだ。そのために俺たちふたりは封印術を使えるようになっておく必要がある」
「いや、でも魔物堕ちの封印術とか最上位の高等魔術ですから、そんな簡単に教えられるものじゃないですし……」
「だからこの後すぐに始めるんだ。世界の状況からして、次の魔物堕ちとの戦いがいつになるかわかったもんじゃねえからな」
アキトの言い分は至極真っ当だ。
今後も魔物堕ちと戦うことになるであろう〈ミストルテイン〉の艦長として、間違いなく最善の選択だと言っていい。
だが、それをシオンにとって最善であるかどうかはまた別の問題だ。
「……イースタル。言っとくがお前に拒否権なんてない。これは“命令”としての指示だからな」
“命令”という言葉を使うアキトの視線は鋭い。
シオンが何を言おうと考えを変える気などないというのがそれだけで伝わってくるほどだ。
「お前が俺たちの身の安全にうるさいってのはわかってる。けどな、俺にしろハルマにしろ軍人になるって決めた時点で危険な目に遭うことも、最悪死ぬことも覚悟できてるんだ」
「……そうね。その辺の覚悟の話は〈ミストルテイン〉に乗る軍人全員に共通することよ。アンタが身を削って守らなくたって、自分の面倒くらいは自分で見れるわ」
「それに、お前が危ないことをするのを望まない人間だっている。俺も含めてな」
軍人などという危険な職業を選んでいる以上は覚悟は当然できている。
正式な軍人となった以上、自分の面倒を見れるだけの能力はある。
何よりもシオンが危険に身を晒すことを望まない人間もいる。
だからシオンが身を削ってまで守る必要などないのだとふたりは語る。
――だからどうしたというのだろう
「そんなこと、関係ありません」
「……どういう意味だ」
「言葉通りです。覚悟ができてようが、守る必要がなかろうが、そんなことは関係ない。そんなことは俺が在り方を変える理由にならない」
覚悟を決めた軍人にとって守られるばかりであることは情けないことなのかもしれない。
頼んでもいないのに守られても嬉しくもなんともないのかもしれない。
だが、シオンにとってそんなことはどうでもいいのだ。
「守りたいから守る。傷ついてほしくないから守る。死んでほしくないから守る。それだけのことです」
「っ、だからどうしてそう思えるお前が俺たちの気持ちを理解できない⁉︎」
シオンの主張に対し、アキトはローテーブルに強く拳を叩きつけた。
こちらを見る目と強く握られた拳からは明確な怒りが見て取れる。
「お前が俺たちに思うのと同じように、お前に傷ついてほしくない、死んでほしくないと願う人間がいる! その全部を無視して、どうしてそうも無茶を繰り返せる⁉︎」
「無茶だろうがなんだろうが、必要だからそうしてるだけです!」
「必要じゃねえだろ⁉︎ 今回は俺たちに封印させることだってできたはずだ!」
「艦長やハルマを危険に晒すなんて論外なんです!」
アキトの怒声に引っ張られるようにシオンの声も大きく荒くなる。
最早シオンとアキトのやり取りはただの怒鳴り合いでしかない。
「そうやって俺たちを危険から遠ざけて、それでお前が死んだらどうする⁉︎」
「それならそれでいい!」
シオンが叫ぶように発した言葉に、アキトとアンナが目を見開いた。
死んでも構わないと叫んだも同然のシオンにアキトも言葉が続かないようだった。
「死んだら死んだで俺の命運がそこまでだったってだけの話です」
“神子”であっても、いつかは死ぬ。
そのタイミングがいつ来るのかというだけの話だ。
「……それに、どうせなら俺は誰よりも先に死にたい」
俯き、吐き出すようにこぼした言葉が対面のふたりに届いたかは定かではない。
ただひとつ言えることは、それがシオンの本心だということだけだ。




