7章-とある都市の話-
「隊長。輸送ヘリによる避難は半分まで完了しました」
「わかった。引き続きできるだけ早く済ませよう」
「はい」
人類軍のテントの下、隊長と呼ばれた男は自身の指示を受け、部下が小走りで去っていくのを見送る。
それから改めて目の目の光景――広場に着陸した輸送ヘリに民間人が乗り込んでいく様子を見渡した。
北欧のとある小さな都市では、今まさに避難が進められているところだった。
北欧各国と人類軍からの避難指示が出されてから十日ほど。
複数の国家の全国民を避難させるというのは言葉にするのは簡単だが実現するのはそう簡単ではない。
そんな無茶をなんとか実現させるべく、陸海空のあらゆるルートから人々を避難させようと人類軍による努力は続けられている。
この男もまた、空路での避難を進めるためにこの都市に派遣されたというわけだ。
「(やむを得ないとはいえ、小さな都市が後回しになるというのは気分の悪いものだな)」
人手にしろ輸送ヘリにしろ無限に存在するわけではない以上、避難の優先順位はどうしてもつけなければならなくなる。
ここのような人口の少ない小さな都市よりも人口の多い都市のことを優先するというのは判断として正しい。
それを頭で理解していても心が受け入れるのはなかなか難しいものなのだが。
「(……とにかく、早く避難を終わらせるだけだ)」
アンノウンというものは神出鬼没であることが最大の脅威である。
国境を監視していれば接近を察知できるというわけではなく、どんな場所にでも空間に亀裂を作り出して突然に現れるというなんとも厄介な相手だ。
空に大きく刻みつけられた魔法陣のおかげで近い内に出現するという予測ができているだけ今回はマシだが、それでも厳密にいつ現れるかまでをわかっていない以上は少しでも早く避難を完了させるのが最善だろう。
避難を開始して四時間ほどで半分が完了した。単純に計算すればあと四時間で残りも終えることができるはず。
そんなとき、男のすぐそばで警報がけたたましく鳴り響いた。
「隊長! 都市から北の方角にアンノウンの反応です!」
「アンノウンの反応だと? 出現反応ではないのか⁉︎」
「いえ、空間の歪みなどは確認されていません!」
通常のアンノウンの出現は、まず空間の歪みなどの出現反応が確認され、それに続くようにそこから出現したアンノウンの反応が確認される。
もちろんどこか別の場所で出現したアンノウンが対処されないまま移動してきたパターンであれば出現反応なしでアンノウンの反応が確認されることもあるが、避難が現在進行形で進められているこの都市の周囲にはかなりの数の人類軍の偵察部隊が散開しているはずだ。
普段以上に警戒を強めている偵察部隊の網にかからず、都市の警報が鳴るほどの距離まで接近することができるとは考えにくい。
つまり、問題のアンノウンはただのアンノウンとは考えにくいということだ。
「反応の大きさは?」
「徐々に増大しています! 現時点で一般的な大型アンノウンの水準を越えました」
「問題の個体で確定というわけか……!」
考え得る最悪の展開が起きてしまったわけだが、男は決して狼狽えはしなかった。
「緊急の救援要請を出せ! 合わせて護衛部隊をすべて問題の反応へと向かわせろ。少しでも避難の時間を稼ぐんだ!」
男に与えられた任務は民間人を避難させること。アンノウンが出現したとしてもそれに変わりはない。
むしろアンノウンがこうして出現してしまった以上はより早く避難を終わらせなくてはならないだろう。狼狽えている暇などないわけだ。
「隊長! 問題のアンノウンが移動を開始しました。真っ直ぐこちらに向かってきます!」
「都市への到達までどの程度だ?」
「移動速度は速くはありません。……偵察用ドローンからの映像来ます」
部下の言葉を聞いた男はすぐさまテント内に設置されたモニターの側に移動する。
映し出された映像を見るに、体長はとんでもなく巨大というわけではなくその全身は黒い鱗に覆われている。
背からはコウモリのような翼が生え、尾は長く太い。さらに巨大な口には鋭い牙を携えている。
その姿を見た者は、その存在をなんと呼ぶべきなのかをすぐに悟っただろう。
男も例外ではなく、気づけば無意識の内にその呼び名を口にしていた。
「――“ドラゴン”」
神話や御伽噺に語られる、多くの人々に知られる伝説上の生き物。
そして、その多くが人間を害するもの描かれる存在。
それが映像の先に確かに存在していた。
「……翼はあるが、空を飛ぶ気配はないな」
男も“ドラゴン”の姿に動揺しなかったわけではないが、部下たちの前ということもあり意識して冷静な言葉を口にした。
物語などで語られる“ドラゴン”は空を飛ぶことができるイメージが強いし、問題のアンノウンにも翼はある。
もしも飛行できてしまうなら厄介だったが、今のところその素振りがないのは幸いだ。
どれだけ巨大で恐ろしい存在であろうと、近くに来なければどうということはない。
距離がある内にひとりでも多くを避難させるのが目下のなすべきことである。
「ヘリだけではとても間に合わない。車両もありったけ使って避難を――」
男の言葉を遮るように再びの警報が鳴り響く。
何事なのかと問いかけるよりも先に、男は映像に映る“ドラゴン”の様子に目を奪われた。
“ドラゴン”は天を仰ぐように顔を空へと向けながら大きく口を開いている。
その様子は、男には人間が深く息を吸い込んでいるかのようにも見えた。
やがて、その口の中で黒い炎が揺らめいた。
その姿を見た瞬間、男はなんとも言えない恐怖を感じた。
何かよくないことが起こるという漠然とした予感に男が何事かを口にしようとしたのとほぼ同時に、映像の先で“ドラゴン”が首を振り下ろし、そして――……




