7章-双子の語らう夜-
深夜の艦内通路に人気はなく、自分の足音が嫌に響く。
通路の照明はしっかりと点いているので不気味さなどはないのだが、なんだか妙に耳に残ってしまうなとナツミはぼんやりと考えた。
そんなどこか心あらずな状態のままにナツミが足を運んだのはすでに来慣れた展望室だ。
足を踏み入れればいつものように薄暗い室内を大きな月明かりだけが照らしている。
その明かりを頼りに窓のそばまで足を進めたナツミはそこに先客がいるのに気づいた。
「……兄さん?」
「ナツミ?」
双子の片割れであるハルマが窓に手を触れたままこちらに振り返った。
「こんな時間にどうして……ってそれはあたしも同じか」
「ああ。俺はちょっとひとりで考え事したくてここに来ただけだ」
「……あたしもそんなところ」
ハルマがそうしているように窓のそばに立って、空に浮かぶ大きな月を見上げる。
「(なんだかこれだけでちょっと気分が落ち着くんだよね)」
太陽と違って自ら輝いているわけではない月の光は眩しすぎず柔らかい。
そんなどこか優しい光に照らされているだけで少しだけ気持ちが落ち着くような気がしてくるのだから不思議だ。
「なんとなく、月を見てると気持ちが落ち着くんだよな」
「……え?」
「え?」
ハルマがこぼした言葉はまさに自分が今考えていたことと同じだった。
その事実に驚いて過剰に反応してしまって、それにハルマが驚いてふたり顔を見合わせて、という間抜けな事態にナツミは小さく噴き出す。
「俺、何か変なこと言ったか?」
「いや、違うの。ただあたしが考えてたのとおんなじようなこと言われてビックリしただけ」
説明しつつ改めて月を見上げる。
今夜はちょうど満月だったようで、綺麗な円形がこちらを見下ろしているかのようだ。
「あたしも落ち着くなって思って。やっぱり双子だから感性が似てるのかな?」
「いや、双子っていうか……母さんの影響じゃないか?」
突然出てきた母の話題に一瞬キョトンとしてしまったナツミだったが、母と月
を結びつけて考えればすぐに思い当たることがあった。
「そっか、縁側のお月見」
そのお月見は特別なものというわけでもなかった。
満月であろうと半月だろうと、夏であろうと冬であろうと母がその気になれば開かれて、何をするでもなく月を見上げる。気まぐれに母の歌を聞くこともあった。
そんなのんびりとした穏やかな時間を母と子で何度も過ごしたのだった。
今こうしてナツミとハルマが月を見て穏やかな心境になるのも、そのときの思い出があるからなのかもしれない。
そこで会話を途切れさせたふたりは無言のまま月を見上げる。
互いに口を閉じてしまえば展望室はとても静かだったが、その無音は決して苦ではない。
「……なあナツミ。もしかしてシオンと会う約束だったとかじゃないよな?」
「へ?」
数分ほどの沈黙を破ったハルマの謎の問いかけに間の抜けた声が出る。
「なんでシオン?」
「お前、ここで何度かシオンと会ってたんだろ? だから今日もそういうことなのかと……」
ハルマの指摘に「ああ……」と声がこぼれ出た。
確かにナツミはここでシオンと会うことがあった。さらに言えばこの展望室はナツミの私室がある区画からかなり遠い。
ちょっとお月見という理由で来るにはハードルが高めの場所にこうしてわざわざ来ているのには何か特別な理由――例えば誰かと話をするなどというものがあったとしてもおかしくはない。
ハルマがそういう結論を出したのもある意味自然なことだった。
「えっとホントに今日はたまたまっていうか、シオンと会うとかじゃないんだ。それにシオンは――」
出かかった言葉をナツミは咄嗟に止めたが、目の前でそれを聞いていたハルマはそれを聞き逃してはくれなかった。
「……シオンは?」
「シオンはその格納庫のとこで……ガブリエラと話してたから」
実のところ、ナツミは最初からこの展望室に来るつもりで自分の部屋を出たわけではなかった。
当初の目的は、近い内に激しい戦いが起こるのを前にシオンと話すことであり、偶然遭遇したギルに聞いてシオンがいるという格納庫に向かったのだ。
そしてそこで、シオンとガブリエラの会話を偶然盗み聞きすることになってしまった。
シオンの両手を握って祈るように自身の考えを伝えたガブリエラが立ち去るのと、それを見送った後に小さく謝罪の言葉を口にするシオンを見届けて……その後、シオンに言葉をかけることもできないで気がついたらここに居たのだ。
「……どうして、シオンに話しかけなかったんだ? 普段のお前なら、盗み聞きのこと謝るとかしてたんじゃないか?」
そうなのだ。あの場面なら意図せず盗み聞きをしてしまったことを謝るべきだった。
ナツミの性格上、盗み聞きしてしまったことを当事者たちに隠せないことは目に見えている。だから、素直に認めて謝ってしまうのが一番いい。
少なくとも普段の自分ならきっとそうしていたとナツミ自身だって思う。
それでも今日は、その普段通りがどうしてかできなかった。
元々ナツミは、シオンに「無茶しないで」と釘を刺そうと思っていた。
ルリアと個人的な取引までしている様子を見ていて、シオンがヤマタノオロチのときのように彼がひとりで無茶をするのではないかと思った。
だからそういう真似はしないでほしいと話すつもりで彼のことを探していた。
そしてシオンを見つけたときには、ナツミが言おうとしていたことは概ねガブリエラによってシオンに伝えられていた。
それ自体は別に問題など何もない。
盗み聞きしてしまったことを謝ってからナツミもガブリエラと同じように思っているのだとダメ押しのように伝えたってよかった。
それができなかったのは、無意味に思えてしまったからだ。
「なんとなくなんだけど……あたしが何か言う意味があるのかなって」
ガブリエラはナツミの知らないシオンの根本のところにある何かを知っている。それが自分では覆せないとわかっていてなおシオンに自分の身を案じてほしいと願った。
そんな彼女の願いに対して、シオンはどこか申し訳なさそうに、しかしはっきりと謝罪の言葉という拒絶を示した。
だとすれば、シオンの根幹にあるものも知らないナツミの言葉が届くはずがないではないか。
きっとシオンは雑に拒絶したりはしないだろう。
なんだかんだと身内に甘い彼は、きっとナツミの言葉や願いをちゃんと受け止めてくれる。
ちゃんと受け止めて、心の内に留めて、最終的にはそれでも自らの意志を貫く自分に罪悪感を覚えるのだ。
ガブリエラへの小さな謝罪はきっとそういうことだったのだろうと思う。
「あそこであたしもそう思うって伝えても多分何も変わらない。何も変わらないけど、シオンに傷だけは残す気がして……」
意味もなく傷つけるだけの言葉をナツミは伝えることができず、あの場から逃げ出して今ここにいる。
「あたし、どうすればよかったんだろう?」
きっと何も伝えないで逃げるという選択肢は正しくはなかった。
けれどだったらどうすればよかったのかという問いの答えは月の光に照らされながら落ち着いて考えてもわからない。
「兄さんなら、どうした?」
「……わからない。「謝るくらいなら無茶しなきゃいいだろ」ってぶん殴ってたかもしれないけど、きっとそれだって正解じゃない」
窓に触れるハルマの手にわずかに力がこもっているのを視界に収めつつ、ナツミは改めて満月を見上げる。
「難しいなぁ……」
「ああ。面倒なヤツだよアイツは」
ナツミは困ったように、ハルマは眉間にシワを寄せてそれぞれが思いを口にする。
それから十分ほど月明かりの下で考えても、結局ナツミの納得のいく答えが出ることはなかった。




