1章-協力という名の悪意-
『……湖内のアンノウンの気配、もうありません。ついでに周囲一帯にも気配はなさそうです』
シオンからの報告でブリッジ内の緊張は解けた。
アキト自身も体を弛緩させて艦長席に背を預ける。
「全員ご苦労さま。シオン以外はそのまま帰艦、シオンは氷漬けにしたポイントどうにかしてから戻りなさい。どうせどうにかできるんでしょ?」
『『『了解』』』
『はーい。ちゃんと綺麗さっぱり溶かしてきます』
はきはきとしたハルマたち三人の返事と気だるげなシオンの返事、それぞれを確認したアンナもまた緊張をほぐすように大きく体を伸ばした。
「なんとか一体残さず倒しきれたわね」
「ああ、退路を塞げたのは大きかったな」
「でも、十品は結構大変よ。最高級のスイーツだの食べ物だとせがまれたら結構な金額が飛ぶと思うけど……」
「人命よりは安いさ」
アンナとアキトのそんな会話をミスティは渋い顔で見ている。
そんな彼女に視線を向ければ、刺々しい雰囲気で口を開いた。
「艦長。貴方があのバケモノとの約束を守る道理はないのではないですか?」
「どうしてだ?」
「そもそも、彼が実力を隠していること自体が問題ではありませんか! 協力者を謳っておきながら手の内を隠すなんて……何か企みがあるとしか思えません!」
強い語調でアキトに詰め寄るミスティ。
普段ならシオンに関するこういった話題はアンナが横槍を入れてくることが多いのだが、彼女は先程までアキトと話してたにもかかわらず今はどこかと通信をしているようだった。
となればこれを諫めるのはアキトの仕事になる。
さてどのようにミスティに言葉を返すべきであろうかと考え始めたアキトだったが――
「……さすがにそいつはどうかと思うぜ」
予想外にもラムダからミスティへ言葉が投げかけられたのだ。
彼もミスティほどではないが他の軍人たち同様にシオンを危険視している側だったはずなので、彼からの擁護があるとは思っていなかった。
それはミスティも同じなのか普段のように鋭く切り返すこともできないでいる。
「人類軍と外部の協力関係は互いの利益のために結ぶもんで、軍側が一方的に何かを強要するのはルール違反だったよな?」
軍から外部に何かを強要するというのは、はっきり言えば脅迫に等しい。
それがまかり通ってしまえば人類軍への権力集中や暴走にも繋がりかねないため、人類軍内部はもちろん外部からも特に注意深く監視されている行為のひとつに当たる。
「それは、そうですが」
「だったらあのガキが多少手の内隠してたところで問題にはならねえだろ。アイツは上層部との契約はきっちり守ってたんだからな」
「しかし彼は我々の理解の及ばないバケモノです! 人の法での拘束だけでは不十分だと思いませんか!?」
ミスティの主張に、ラムダの目が険しくなった。
普段から目つきが決していいとは言い難い彼の剣呑な眼差しにミスティがわずかにたじろぐ。
「そもそも、俺は今回の上層部のやり方が気に入らねえ。……聞いた話じゃ軍とあのガキの契約内容は、あのガキ自身の身の安全を保障する代わりにアンノウンと戦えとかいう内容なんだろ?」
「それがなんだと言うのですか?」
「お前は、"殺されたくなかったらお前を殺そうとする人間のために戦え"って言われて素直に従うのか?」
ラムダの言葉にミスティの表情が凍った。
言い回しのせいでわかりにくくなっているだけで、上層部とシオンの交わした契約はまさにラムダの指摘通りのものだ。
はっきり言ってしまえばただの武力を振りかざした脅迫でしかない。
さらにラムダたちは知る由もないが、裏ではアンナを筆頭としたシオンが学生時代に親しくしてきた人間たちの身の安全もまた契約の内容に含まれている。
表向きの事情だけでも人類軍がシオンを脅しているという構図ははっきりわかる。
それだけでは終わらず、裏では人間の人質まで使ってシオンを脅しているということになる。
どちらにせよ、客観的に"悪"と言えるような行いをしているのは人類軍側なのだ。
「俺ならそんなのは御免だし、そんな契約内容を持ち出した時点で上層部は自分たちが決めたルールすら無視してやがる。……それに頷いたあのガキもまあ何考えてるのかわからねえが、アイツにこれ以上何か要求するようなクソ野郎にはなりたくねえよ」
ラムダの指摘した人類軍がシオンを脅迫しているという事実はミスティにとってかなりの衝撃だったのか、顔色を無くしたまま言葉を発することもできない。
シオンのことをバケモノと罵り「排除すべき」と声高に叫ぶ彼女だが、それはそうすることが正義だと信じているからこそのものだ。
実際、人類軍が人類に仇為す《異界》に関係する者を排除するのは使命と言ってもいい。
しかし、ラムダによって指摘された脅迫という事実は正義とは断言しにくい。
しかも世界の秩序を守る者とも言える人類軍が、自ら定めたルールを破ってまで立場の弱い相手を搾取するようなことをしているのだ。
これを正義と呼べる者がいるとすれば、人類軍が何をしようとそれを正義とできる者――行き過ぎた狂信者のような者くらいだろう。
ラムダも言葉こそ発さないものの苛立ちを隠さずミスティを睨みつけ続けている。
そんな重苦しい空気のブリッジに、パンパンと空気を読まない手を叩く音が響いた。
「シリアスなところ悪いんだけど、ちょっとこっちの話聞いてもらえるかしら?」
「んだよアンナ」
機嫌の悪そうなラムダに少しも怯まず、アンナはアキトに目を向けた。
「シオンがね、ちょっと嫌な可能性に気づいちゃったみたいなのよ」
「……どういうことだ?」
アンナは先程から誰かと通信をしていたが、どうやらその相手はシオンだったらしい。
そしてその通信で"嫌な可能性"について話をしていたのだろう。
問題は、その内容だ。
「この湖の一件、まだ終わってないかもしれない」
そう語るアンナの表情は彼女にしては珍しく、かなり厳しい表情だった。
 




