7章-“鬼”とおしゃべり-
朝、穏やかな朱月の夢から覚めたシオンの前には一足先に目を覚ましたらしい朱月が頭を抱えて胡座をかいていた。
「…………」
「え、そんなにショック?」
シオンが目を覚ましたことに気づいていないはずがないのに何も言わない朱月に逆にこちらが心配になってしまった。
少なくとも朱月の弱みになるような夢を見たわけではないはずなのだが。
シオンが声をかけてもしばらくは何も言葉を発しなかった朱月だったが、やがて重々しく口を開いた。
「頭痛てぇ……酒が抜けてねぇ」
「…………は?」
「あ゛ー」と幼い子供の見た目に全く似合わない呻き声を漏らしてシオンの隣に寝そべった朱月からは酒の匂い。
“鬼”と言えば酒が好きなもの。そして昨日の歓迎パーティーでは格納庫で盛大に酒が振る舞われていた。
「お前、昨日親方たちに混ざって酒飲んでたのか!」
「うるせぇ頭に響くだろうが……」
この鬼、シオンの知らぬ間に酒を飲みまくった挙句こうして二日酔いで死にかけているのである。
「……今、子供の姿じゃなかったら確実にぶん殴ってた」
「はっ! 相変わらずガキには甘ぇこった」
「それはお前に言われる筋合いないと思うんだけど」
「あ゛?」
この様子だとまだシオンに夢を覗き見られた事実すら気づいていないようだ。
「どっかのご神木。白いワンピースの女の子」
微かに息を飲む音と共に朱月が動きを止めた。ようやくシオンの言いたいことがわかったらしい。
「お前だって悪ぶってるわりには小さな子を見殺しにはできないんだろ?」
「……あーくそ。飲み過ぎで気が緩んだか」
朱月が二日酔いとは別の理由で頭を抱える様を見てシオンは呆れてしまった。
急にこれまで入れなかった夢に迷い込んだと思えばこれである。
「大酒飲みに定評のある“鬼”がそんだけ酔うなんてどんだけ飲んだのさ」
「なんだったか、アカネとかいう嬢ちゃんがなかなかいける口でな」
「いける口っていうか、確かあの人ワクってやつじゃなかったっけ」
騒ぐの大好き飲むの大好きな十三技班において最も酒に強いのがアカネである。
十三技班のメンバーは基本的にその強さをよく知っているので彼女に付き合うなどという自殺行為はしないのだが、部外者の朱月はそこまで知らなかったらしい。
「いやあ、この俺様と一緒に飲み倒して倒れなかったやつぁ何百年振りだったか」
「アカネさん人間、だったよね?」
生物として別物である“鬼”と張り合えるほど酒が飲めるというのはやや人間の範疇を越えてしまっている気もしなくもない。
「にしても、シオ坊。それだけか?」
朱月が唐突によくわからない問いかけをしてきた。質問自体は非常にシンプルだが、何がそれだけなのかがシオンにはさっぱりわからない。
「それだけも何も、俺はお前とワンピース姿でちょっとお転婆な女の子が仲良くしてるのしか見てないよ」
「ほー」
朱月の反応はとても雑だったが、反応とは裏腹に彼の目がわずかに鋭いことにシオンは気づいている。
「残念ながらお前のこと脅したりゆすったりできるようなネタは仕入れてないから安心しな」
「ソイツは何よりだ。余計なもん見られてたら殺さなきゃならなかったかもしれねぇしなぁ」
「二日酔いで死にかけてるやつに殺されるほど弱くないっての」
最早すっかり慣れてきた物騒な軽口を叩き合ってシオンはベッドを離れた。
朱月はというとまだ起き上がる気になれないようで、シオンのベッドをで我が物顔でゴロゴロしている。
「あぁそういや、あの“天族”の嬢ちゃんだが」
「ガブリエラね。そういえばお前まだちゃんと顔合わせてないよな」
朱月はシオンを通じて彼女のことをある程度把握しているだろうが、ガブリエラはまだ朱月と直接顔を合わせたことがなかったはずだ。
“天族”である彼女ならもしかすると存在には薄々感づいているかもしれないが……
「っていうかお前酒盛りする前に挨拶くらいしとこうよ」
「やめといたほうがいいだろ。どう考えたって“天族”と“鬼”なんて相性が悪い」
そう言って朱月はめんどくさそうに横たわったままヒラヒラと手を振る。
「“天族”なんて直接出くわしたのは初めてだが、大層行儀のいい種族らしい。どう考えたって俺様の苦手な部類だ」
「あー、まあわからなくもないか」
シオンも軽く聞いたことがある程度だが、“天族”は天使のモデルになったような種族だ。種族の性質として思慮深く秩序を重んじるのだと聞いている。
対する“鬼”は日本においては悪の妖怪の代名詞的な存在。人を食うは略奪するわで暴力と混沌の権化のような妖だ。
性質としては真逆と言っても間違いはないだろう。
「(ガブリエラだからすぐさまバチバチするようなことはないだろうし、後回しにしすぎるとタイミング逃しそうだしな……)」
「でだ、その嬢ちゃんだが……なんでまたこの船にこだわったんだろうなぁ?」
「そりゃ、ちゃんと面識があるからじゃないか? 少なくとも見ず知らずの人類軍に同行するよりはやりやすいだろ」
「だがよぉ、あの嬢ちゃんが目指すことを思えばとっとと上層部連中に会いに行ったほうがいいんじゃねえか?」
確かに和平を最短ルートで目指すなら人類軍上層部の説得が最優先事項にはなる。
ただハードルの高さは明らかなのでまずは面識のある〈ミストルテイン〉に同行したいと思うのは別におかしなことではないだろう。
しかし朱月はそれ以外の理由があると考えているようだ。
「もう面倒だから結論から言ってくれるか?」
「俺様としては〈光翼の宝珠〉が絡んでると睨んでる。だってあれは“白き翼の民の秘宝”、なんだろ?」
“天族”が“白き翼の民”とも呼ばれるというのはガブリエラが話していたことだ。
この〈ミストルテイン〉には“天族”の秘宝であるという〈光翼の宝珠〉がある。
そんな〈ミストルテイン〉に“天族”のガブリエラが同行したがった、というのは確かに偶然と片付けるには引っかかる状況ではある。
「どうよ?」
「わからなくはないけど、確信が得られるほどじゃない。そもそもガブリエラがそれに気づいてるかもわからないし」
〈光翼の宝珠〉の魔力については気づいているだろう。しかしそれが“天族”の秘宝であると気づいているかはわからない。
何せ〈光翼の宝珠〉はこちらの世界で人類軍の手に渡っているのだ。いつからこちらの世界にあるのかわかったものではない。
「それに、仮に隠してる理由があったところでガブリエラならそう悪いことにはならないでしょ」
「それを言われちまうとこれ以上何も言えねえな……」
話はこれで終わりだろうと判断したシオンは朝食のために部屋を出ようとしたが、それを朱月が呼び止めた。
「まだなんかあんの?」
「まあいいじゃねえか。あとひとつだけだ」
ベッドの上で寝転がったままこちらを見る朱月は少々嫌な笑みを浮かべながら口を開く。
「秩序を重んじる“天族”の嬢ちゃんと秩序なんてお構いなしに好き勝手するお前は本当に上手くやれんのかねぇ?」
「……さあ? なるようになるんじゃない?」
シオンは朱月の質問に対して雑に答え、それに対する彼からの言葉を待たずに部屋を後にするのだった。




