7章-天使の事情②-
「……事故?」
「事故です」
「つまり……なんの目的もない?」
「はい……」
シオンの確認に対してガブリエラはなんとも気まずそうにしている。その様子からしても事故であるという言葉にウソはないのだろう。
「ちょうど、半年ほど前のことです。私は王都の近辺に出現したアンノウン……この際もう魔物と呼ばせてもらいますが、とにかく王都を脅かす脅威の討伐のために他の団員たちと戦場に出ました」
機動鎧と同程度の大きさの白い鎧〈ワルキューレ〉に乗って魔物の討伐に赴いたガブリエラたちは、魔物の群れとの戦いを繰り広げたのだという。
そこまでは決して珍しいことではなかったのだが、ひとつ想定外が発生した。
「戦闘中、傷を負った大型の魔物が私たちから逃げようとして空間を歪めたんです」
「……つまり、アンノウンは【異界】からこちらの世界に逃げ込もうとしたってこと?」
「結論から言えばそうだったみたいです。……だからこそ私は今こちらの世界にいるわけですから」
「……ん? それってどういう意味だ?」
ギルが首を傾げるのに対して、ガブリエラは改めて説明を続ける。
「手負いの魔物を逃すのは危険なことですから、当然私たちは逃げられる前に倒そうとしました。そしてそれ自体は上手くいったのですが、歪みを生み出した魔物が死んでしまったことで制御を失った歪みが暴走してしまって……」
「で、暴走する歪みに巻き込まれたガブリエラは魔物の逃亡先だったこっちの世界に飛ばされてきちゃったと」
「はい。シオンの言う通りです……」
「こんな失態、≪戦乙女騎士団≫の一員として情けないです……」と落ち込んでしまったガブリエラだが、シオンはシオンで別の意味で頭を抱えた。
シオンとしてはまだいい。そういう事故だってあるだろうと笑い飛ばせばそれで終わる話だ。
しかし人類軍側がそれを素直に信じてくれるかどうかと言えばノーである。
今この場にいる三人はまだ信用してくれるかもしれないが、他の人類軍がガブリエラの「事故です」という証言を信じてくれるとは思えない。
ガブリエラ・レイルはこちらに来た目的を隠しているに違いない。
信用ならない、危険だ。
厳重に拘束するか、それが叶わないのであればいっそ始末すべきだ。
そんなことを声高に叫びながら騒ぐ輩の姿が鮮明にイメージできてしまう。
人類軍からの信用という意味ではシオンも怪しいのは事実だが、シオンは少なくともこちらの世界で生まれたことが出生届などから証明されていて【異界】との関係が決定的ではなかっただけマシだった。
しかしガブリエラは本人も認める【異界】出身者。しかも騎士となれば【異界】の軍人と同義だ。
いっそ何かの命令を受けてこちらに来てくれていたほうがまだ、“何かを隠している”というようなあらぬ疑惑を向けられることもなくマシだったのではないだろうか。
「……ひとまず、君が事故でこちらに来てしまったということはわかった。それ以降の経緯を軽く聞かせてもらえるだろうか?」
おそらくはシオンと同じようなことで頭を悩ませていたであろうアキトが、話題を変えた。その話題をいつまでも引きずっても意味がないと割り切ったのだろう。
「こちらの世界に流れ着いた私は幸い大きなケガもありませんでした。こちらの世界に来てしまったことはすぐにわかったので、ひとまず人間のふりをして人里で情報収集をしていたんですが、それで一週間ほど経った頃に偶然フォルテさんに出会って……」
ガブリエラの属していた≪境界なき音楽団≫の団員たちは、代表のフォルテ・ウィルソンの生まれ持った魔術的な“目”によってスカウトされていた。
ガブリエラも同じ流れで唐突にスカウトされたとは聞いていたが、裏にそんな事情があったとはシオンも夢にも思わなかった。
「勢いに押されてしまったというのもあるんですが、行くあてがなかった私にはとてもありがたい話だったので、そのまま楽団にお世話になることにしました」
「なるほど……」
「でもなんか意外だなー」
ギルの唐突な「意外」という言葉にガブリエラがコテリと首を傾げる。
「何か意外なことありました?」
「だって、ガブリエラっていかにも俺と一緒でウソとか下手そうじゃん。よく、楽団の人たちにあの家出少女設定とか上手く信じてもらえたなーって」
「あ、あれは……私が話したというわけではなくて……」
歯切れの悪い答えにシオンとギルはもちろん、残る三人も疑問符を浮かべる。
「ギルも言っていた通りウソは得意ではないので、騎士団のこととかだけをぼかそうと思いまして、“自立しようと思って家を出たので、しばらく家に戻るつもりはないんです”としか話さなかったんですけど、どうもそれがいろいろと曲解されてしまったようで」
「親との不仲から家を飛び出した家出少女ってことになったと?」
「はい……墓穴を掘るのが怖くて否定もできず、もうそういうことにするしかなくて」
思えばシオンも“親と不仲”と“家出”という情報とガブリエラの育ちの良さそうな振る舞いから“金持ちの家に生まれたお嬢様が自由を求めて飛び出した”というストーリーを勝手に作り出してしまっていた。
少なくともその時点では“金持ちの家に生まれたお嬢様”だなんて誰も言っていなかったにもかかわらず、である。
シオンがそうであったように、≪境界なき音楽団≫の人々もいろいろと想像力を働かせてしまったということらしい。
「そうして≪境界なき音楽団≫に迎え入れられてから半年はハープを改めて練習したりしながら各地を旅していました」
「“天使”……もとい貴方の〈ワルキューレ〉という機体が目撃されるようになったのは最近のことですが、それまでの期間アンノウンとは戦わなかったのですか?」
「戦わなかったわけではないんですが、そもそも今回の欧州ツアーまではあまり魔物に遭遇しなかったので」
アンノウンとの戦闘自体はあっても、戦闘の規模が小さいこともあって人類軍に気取られることなく対処できていたのだという。
「欧州ツアーでこちらに来てすぐの頃に一度人類軍の方々にしっかりと目撃されてしまいまして……以降は開き直ってあまり気にしないことにしたんです」
「そんなにあっさりと開き直ってよいものなのですか……?」
「隠れることを意識すると動きが鈍ります。それが原因で守れる命をひとつ取りこぼしてしまっては元も子もありませんから」
ひとり人間が死んでしまうくらいなら、自身が人類軍に見つかってしまっても構わない。
ガブリエラは当然のことのようにそう断言した。否、彼女は間違いなくそれを“当然のこと”と考えているのだろう。
ただ、それはミスティのような人間からすれば驚くべき発言に違いない。
「……貴方は、人間の命までも守ろうというのですか?」
ミスティは戸惑いを隠すことなく正面からガブリエラに尋ねた。
その考え自体は決しておかしなものではないとシオンも思う。
現在の状況として、人類と【異界】は〈境界戦争〉の只中にある。
【異界】の騎士であると名乗ったガブリエラにとって、人間はあくまで敵対者に過ぎない。
少なくとも、わざわざリスクを負ってまで助けるべき存在ではないだろう。
それでも事実として彼女は人類軍や民間人を助けてきた。
しかも助けたあとの都市に簡易的なものとはいえ結界まで残していくほどに手厚くだ。
――何故そのような真似をするのか?
人類軍から見れば、疑問に思って当然のことだろう。
「確かに、こちらの世界と私の使える故郷は敵対しています」
戸惑いを隠せていないミスティとは反対に、ガブリエラはあくまで冷静だった。
「けれど、それはこちらの世界の命を軽んじていい理由にはなりません」
「敵対する勢力でも、ですか?」
「私たち騎士にとって武器を持たない人々は等しく守るべき存在です。そこに世界や種族の違いは関係ありませんよ」
ミスティからの確認の言葉に対してもガブリエラの答えに迷いはない。
むしろ、ミスティのほうが堂々とした態度のガブリエラを前にさらに戸惑いを強めている状況だ。
「……とはいえ、故郷の誰もが私と同じように考えるわけではないと思います」
「人間を見捨てる人たちもいるってことか……」
ガブリエラの言葉を聞いたギルが少し残念そうな表情をしたが、むしろそういった人々のほうが戦時中の判断としては正しいだろう。
「それも含めてひとつ、はっきりとさせておきます」
そう前置きをした彼女の空気はどこか張り詰めていて、自然と横に座っているシオンやギルの背筋も伸びる。
「この世界と私たちの世界との戦争に関して、私個人は反対する立場――可能な限り速やかに和平を結ぶべき考える“反戦派”なんです」
戸惑いを隠さないミスティやアキトたちに対し、ガブリエラははっきりとそう宣言した。




