5章-新しい関係-
女王バチとの戦いを終えて数時間後。
ハルマは格納庫の一角で〈セイバー〉を見上げていた。
「(本当に、やれたんだな)」
朱月に戦場での博打を持ちかけられたとき、話に乗っておきながらも不安がなかったわけではない。
自分の出した答えが神剣に認められるかも確信があったわけではなく、上手くいかない可能性も十分にあっただろう。
そんな博打に勝って、神剣を扱う力を得て、こうして戦いを無事に終えて〈ミストルテイン〉に戻ってくることができた。
怒涛の展開すぎたその事実を今更実感しているというわけだ。
「今回のヒーローくんはこんなところで何ボーッとしてるのかな?」
おもむろに真後ろから聞こえてきた声に振り返れば、ちょうどシオンがふわりと舞い降りたところだった。
「ヒーローってお前」
「事実じゃん? 俺なしであんな強いアンノウン倒すなんてなんだかんだ初めてだし」
「むしろやっとやれたかって感じだけどな」
シオンの笑いまじりの言葉にハルマはため息をつきながら肩をすくめた。
これまで、中型以下のアンノウンはともかく〈ミストルテイン〉が大型のアンノウンやそれ以上の敵を前にしたときは常にシオンと〈アサルト〉に頼る形になっていた。
今回の一件はそんなあるべきではない状況からようやくあるべき形に近づくことができたというだけで、ハルマやアキトにとってはやっとスタートラインに立てたと言ったところだ。
「でも、うん。やれたんだ」
ようやくシオンに頼らず、押し付けずに戦えた。
まだたった一回だけだがそれができた事実は素直に嬉しい。
「そんなに俺が暴れてるの不満だったわけ?」
「不満どうこうよりは情けない気持ちが強かった。……まあ今後はそうならないように頑張らせてもらうけどな」
「負けず嫌いだなー」
「まあな」
ケラケラと笑うシオンがハルマの隣に立って〈セイバー〉を見上げる。その目はじっと〈セイバー〉の胸部――コクピットのすぐ後ろにあるであろうECドライブを見つめている。
「結局、ECドライブの中身は〈アメノムラクモ〉だったんだって?」
「らしい。俺もそう聞いたというか、よくわからないけど伝わってきたって感じしかないんだけどな」
魔力を流してそれが途切れずに剣に届いたときに、神剣の名前と大まかな使い方が頭の中に流れ込んできた。
あくまでそれだけで、アキトやナツミが体験したように言葉で語りかけられる機会はないまま、以降神剣側からは何もない。
「で、お前はその辺りのことを調べにきたのか?」
「ありゃ、よくわかったね」
「兄さんが〈光翼の宝珠〉といろいろあったときのお前を見てたからな」
アキトが宝珠と契約したときのシオンはずいぶんとアキトの体の状態を気にかけているように見えた。
ブリーフィングルームでの一件もそうだが、ウワサでは深夜の医務室でもそれにかんれんした口喧嘩をして医療班のお叱りを受けたらしい。
アキトをそれほど心配したのなら、同じようにハルマを心配するのは予想できた。
ただし、冷静に考えるとシオンに大事にされてる自覚あると言っているのと同じなので、ハルマは細かなことはシオンには黙っておくことにした。
幸いシオンはそんなハルマの内心には気づかないでくれたらしい。
「わかってるなら話は早い。さっそくちょっと屈んでデコを出そうか」
「はいはい」
指示通りにシオンの身長に合わせて腰を屈めれば、すぐに彼の額がハルマの額に触れる。
「……今更なんだけど、手で触れるとかじゃダメなのか?」
「ダメではないけど効率はこれが一番いい。うっかり見逃しとかしたくないからこれで我慢我慢」
誰であろうと額と触れ合わせるというのは顔が近くて居心地が悪いのだが、それが身内でもなく男友達となると余計にむず痒い。
むしろシオンは何故平然としていられるのだろう。
「……艦長みたく“神権契約”とかじゃないね。あと初回だったからちょっと魔力枯渇気味?」
「言われてみれば少し疲れてるかもな」
「今のうちに言っておくけど、戦場で暴れ過ぎて魔力枯渇とかにならないようにね。俺がすぐ治療できればいいけど下手すると命に関わる」
「わかった。注意する」
「……まあ、これについては艦長のほうがやらかしそうで心配なんだけど」
そう言いながら額を離したシオンは呆れた表情を隠していない。
「ったく、戦艦ひとつずっと魔力防壁で覆いっぱなしとか初心者がやることじゃないってのに」
「あー、確かに俺たちもいきなりやられてビックリしたんだよな」
事前に何も言われていなかった中でいきなりあんなことをされた事実のインパクトで霞んでしまっていたが、それをそのまま戦闘中ずっとやっていた事実もとんでもない。
魔力防壁を扱うことがどの程度大変なのかはハルマには正確にはわからないが、シオンの反応を見るに我が兄ながらなかなかに無茶をしているらしい。
「なんかごめんな」
「いや、ミツルギ兄が謝ることじゃないよ」
アハハと笑いながらヒラヒラと手を振るシオンの言葉。
決して特別なことなどない普段通りの言葉なのだが、ハルマにはひとつ気になっていることがある。
「なあシオン。その“ミツルギ兄”っていうのやめないか?」
ハルマの提案にシオンが目を丸くして動きを止めた。
「んん?」
「だから、普通にハルマって名前で呼んでくれていい」
「なんでまた急に」
「……俺にとっては急でもないんだよ」
いつか、シオンがナツミを名前で呼び始めたのに気づいたときから気になっていたのだ。
ただシオンの味方と断言できない自分がそれを気にするのも、名前で呼べというのもおかしな話に思えてそのときは何も言えなかった。
しかし、自分の中でそういったことの整理がついた今なら話は別だ。
「ずっと引っかかってたし、この機に改めてほしい」
「改めるって……いいの? 後々俺のこと殺すときに邪魔にならない?」
シオンから当然のように飛び出してきた“殺す”という言葉に少しだけ怯む。
確かにハルマはシオンとそういう約束を交わしていて、ふたりの間にはそれによる特殊な距離感ができていた。
それもまたシオンにあの呼び方をさせていた要因なのだと気づく。
「正直、今の俺にお前が殺せるかって聞かれると無理だと思う。気持ち的な意味でな」
「それは……お前も絆されちゃったと?」
「間違ってはないかもしれないけど本人が使う言葉じゃないだろ」
絆されたなどという表現、シオンを危険視している人間が使うならともかくシオン本人の口から飛び出してくるのはおかしい。
しかし本人は至って真剣な様子で顔をしかめている。
「いや待て、なんでここで顔をしかめる」
「だって予想外というか……こうなるとは思ってなかったというか」
「そんなのこっちが予想外だよ」
急な申し出に困惑はされるだろうとは思っていたが、“殺す”という物騒な宣言を撤回して嫌な顔をされることなど予想できるはずがない。
「もちろん、お前が何かやらかすっていうならその限りじゃない。……そういうことも含めて目の前のことをちゃんと考えるって決めたんだ」
今のハルマにシオンを殺そうなんて気持ちはない。
しかし何かのきっかけでシオンが変わるようなことがあれば、剣を向けることもあるだろう。その果てに命を奪わなくてはならないこともあるかもしれない。
今の自分の考えに囚われず、最善を模索し続けるというのはそういうことだ。
「だったらなおさら名前呼びはよくないんじゃ」
「いいんだよ! 俺がいいって言ってるんだから!」
なおも食い下がろうとするシオン相手に思わず大きな声が出た。
格納庫にいる人々が不思議そうな目を向けてくる中で、ハルマはシオンの両肩をガシリと掴む。
「俺は、目の前のことにちゃんと向き合って考えるって決めた。お前相手だって神子だとか性悪だとか怠け者だとかそういうイメージにだけ囚われるつもりはない。だから変な距離感はいらないんだ」
「しれっと悪口混ざった気がするんだけど⁉︎」
「とにかく今後は名前で呼べ! 俺から言いたいのはそれだけだ!」
バシンとシオンの華奢な両肩を強く叩いてからハルマは踵を返した。
シオンの返答は待たずにさっさと格納庫の出口を目指す。
「(なんか、わりと恥ずかしいこと言った気がする……!)」
名前で呼べというのはもっと精神的な距離感を縮めたいと言っているも同然だ。
なかば勢いだったが、それを本人に面と向かって言うというのは冷静になってみると気恥ずかしい。
ただ、恥ずかしさの裏に清々しさがあるのも事実だった。
ずっとどこか歪な関係だったシオンと、ようやく真正面から向かい合える。
胸の内にあったモヤモヤとしたものが晴れて、視界がクリアになったような気分だ。
心のありようだけで確かに変わった自分に小さく笑みを浮かべつつ、ハルマは足取り軽く通路を行くのだった。




