5章-家族の語らい①-
朱月からタイムリミットを伝えられた翌日。
ハルマはひとりで〈ミストルテイン〉艦内の食堂にいた。
連日挑戦していたシミュレーターだが、ハルマは昨日全ステージをクリアしてしまったところだ。
朱月との手合わせを繰り返したことで魔力制御の技能はではなく単純に戦闘能力のほうが向上した結果である。というのが微妙に本来の意図とずれてしまうのだが、それでもクリアはクリア。
これ以上できることもないということでハルマはお払い箱となってしまったわけだ。
ある意味、ちょうどよかったのではないかともハルマは思っている。
夢の中では朱月との手合わせに励みつつ剣を振るう理由を模索していた一方、日中はシミュレーターや実際の出撃などで慌ただしく、落ち着いて考えるということはしていなかった。
朱月はそういったやり方を好まなかったが、時間切れも迫っている現状で時間的余裕も得られたのだ。
これまでとは違うアプローチを試してみる価値はあるだろう。
「とは言っても、な……」
落ち着いて考えるという方法を取り始めて一時間が経過した現在。これといった進展はないままだった。
なんのために剣を振るうのか。
突き詰めればなんのために人類軍にいるのか、という意味でもある。
少なくともつい数ヶ月前までは、父の仇である【異界】や人外を倒してこの世界を守ることがハルマの目標だったわけだが、それはもう意味をなさない。
原因は考えるまでもなく、シオンだ。
シオンのことを知り、シオンを通して人外を知り、今までのように単純な倒すべき存在として見ることができなくなった。
今となってはみると、士官学校でシオンと出会ってしまった時点でそういう運命だったのかもしれない。
そうなってしまった以上、もうあの頃には戻れないし、戻るべきではないと思う。
手合わせが始まるよりも前に、朱月は“真っ当な道”と“修羅の道”という言葉を口にしていた。
そのふたつを選ぶとするなら、ハルマが進みたい道は前者であるとはっきりしている。
復讐に囚われ相手を殺すことだけを目的に進む“修羅の道”には戻れないし、きっと戻るべきではない。
怒りや憎しみを原動力にするのではなく、別の思いを力に変えて進む道を見つけたい。
そこまで答えが出ていてなお最後の一歩が踏み出せないのは、踏ん切りがつかないからだ。
怒りや憎しみを原動力にしたくないという思いは本心だ。
しかしその思いのすぐそばには、それらを本当に捨て去ることができるのかと囁く自分がいる。
他でもないハルマ自身の心が矛盾している。ひとつの方向を向けていない。
こんな心を抱えたままでは決して神剣が認めるような答えなど見つけられまい。
「――ハルマ?」
深く考えに没頭していたハルマがはっと顔を上げれば、アキトが少し驚いた様子でこちらを見下ろしていた。
「兄さんは……昼ご飯か?」
「ああ。少し遅い時間にはなったが」
「相席いいか?」と律儀に尋ねてくるのに首を縦に振ると、アキトはシンプルなサンドイッチとコーヒー、それと小さなチョコマフィンをテーブルに置いた。
サンドイッチとコーヒーはともかく最後の一品は成人男性の昼食としては少々違和感のあるもので、自然とハルマの視線もそこに向かってしまう。
その視線とハルマの頭の中に気づいたのか、アキトは少し気まずそうに頭を掻いた。
「別に、日常的に甘いものをデザートにしてるわけじゃないんだぞ?」
「あ、うん」
「それこそ今まではサンドイッチとコーヒーだけだったんだが……“頭脳労働するなら甘いもの!”って騒ぐヤツとしばらく一緒に過ごしてたからな……」
誰とは言われずともその人物の正体がハルマにははっきりとわかってしまった。
アキトは「すり込みみたいなもんだな」と少し困ったように笑っている。
「兄さんは、あっという間にシオンと仲良くなったよな」
「アンナにも似たようなこと言われたな。……そんなに早いか?」
「早いと思う。……俺は出会ってから今くらい話せるようになるまで一年以上かかったから」
現在親友のポジションにあるギルでもそこまで大差はない。
にもかかわらず、それと同等かそれ以上の仲に半年もかけずに到達したアキトはかなり特殊な例だと言わざるを得ないだろう。
「まあ、俺とは出会った時点で正体がバレてたわけだからな。正体隠しつつ親交を深めるのとは勝手が違うんだろう」
アキトの言っていることもわかるが、それだけではないとハルマは思う。
この短期間でシオンがここまでアキトに懐いたのは、きっとアキトがどこまでも真摯にシオンに向き合っていたからだ。
他の多くの人類軍関係者が“異能を持ち人外と関わりがあるから”という理由だけでシオンを悪と見なす中で、アキトは決してシオンが悪人であると決めつけはしなかった。
シオンと出会ったばかりで彼の人となりすら知らないにもかかわらず偏見まみれの目で彼を見なかったからこそ、シオンはアキトを受け入れたのだろう。
「……兄さん、ひとつ変なこと聞いていいかな?」
「いいぞ。なんだ?」
「兄さんは、シオンを殺そうと思ったこと、ない?」
ハルマの問いかけにアキトは目を丸くした。しかしそれはほんの数秒だけで、すぐにいつもの表情に戻る。
「少なくとも、殺そうなんて考えたことはないな」
「【異界】のスパイかもしれないとか考えなかったのか?」
「最初はその可能性もずっと考えてたよ」
「……だったら、憎いとは思わなかった?」
今となってはハルマもシオンが【異界】のスパイであるなんて思ってはいない。
しかし正体が露見してすぐの頃は、その疑いがあり余るほどにあった。
父を奪った【異界】に属する正真正銘の敵である可能性を視野に入れながら、アキトは彼をどう思っていたのだろうか?
「少なくとも、憎いとは思わなかった」
「……父さんのことがあっても?」
「ああ」
ハルマが確認するように問いかけてもアキトの答えは変わらない。
「もちろん、何もなかったわけじゃない。イースタルへの対応を考えてる内にふと父さんのことを思い出すようなことだってあった」
「…………」
「でもな、イースタルが父さんを殺したわけじゃない。……それに、十五、六の子供に八つ当たりするなんて大人としても男としても恥ずかしいじゃねえか」
「恥ずか、しい……?」
アキトの口にした言葉を繰り返すハルマに、彼は大きく頷く。
「自分の弟たちと同い年の子供に八つ当たりした挙句命を奪うなんて馬鹿げた真似、もししでかしてたら、きっと俺は俺自身を許せなかっただろうよ」
そう語るアキトの表情にも目にも曇りはない。
そしてアキトはその迷いのない顔のままでハルマをじっと見つめる。
「そういう質問をしてくる以上、行き詰まってるんだろうな」
「……うん」
あっさりとハルマの置かれている状況を見抜いたアキトを前に、ハルマは少し居心地が悪い。
せっかくハルマを信じて任せてくれたというのに、それが上手くいっていないと知られてしまって情けないのだ。
失望させただろうかと不安に思いつつアキトの様子を伺うが、見た限りそういったネガティブな感情は感じられない。
アキトはハルマのことを見つめつつ、じっと何かを考えているかのように見える。
「……ハルマ。……頼ってくれてもいいんだぞ?」
「……へ?」
少しためらいがちに、それでいてそわそわしているように見えるアキトに思わず妙な声が漏れた。
「もちろんお前が自分で頑張りたいっていうならそれもいいんだが、周囲に頼れるのもまた重要なことだと思うわけだ。特に最近はな」
今回の件について、ハルマは周囲に頼るということを考えていなかった。
結局のところはハルマ自身が答えを出さなくてはならないから、というのがあったし不用意に話すことはシオンにバレてしまうリスクを高めてしまう。だから選択肢に入れていなかった。
しかし、すべてを承知しているアキト相手なら話をしてもいいのかもしれない。
むしろ相談することで見えてくるものはきっとある。
「(どこかの誰かさんと同じ、なんてのも癪だしな……)」
こちらを頼らずひとりでいろいろと抱え込んではハルマたちをヤキモキさせるとある少年を反面教師として、ハルマは素直にアキトの好意に甘えることにした。




