5章-揺らぐもの②-
シオンを殺すことができるか?
ハルマはその質問に対する答えをすぐには返せなかった。
「……殺す理由がない」
「じゃあ、殺す理由があれば殺せるか?」
「…………」
シオンが明確に悪であると確信できる出来事があれば、必ず殺す。
ハルマはそう決めたし、それをシオン本人にもはっきりと伝えた。そのはずだった。
なのに、いざシオンを殺すことを考えただけでそれ拒もうとする自分がいる。
「もう少し前ならまだよかったんだがなぁ? 今となってはすっかり情が湧いちまってるじゃねえか」
朱月の言葉に反論できない。
頭ではあの日決めたことを貫くべきだとわかっているのに、こちらが気の抜けるような笑顔が、自分たちに向けられる優しい瞳が、昼間垣間見てしまった寂しげな表情が、ハルマの考えを阻もうとする。
言い訳なんてできないほどに、ハルマの心はシオンを敵ではないと見なしてしまっていたのだ。
「つっても、シオンひとり殺せないくらいなら別に大した問題でもねえんだよ」
「だったらどうしてこの話をしたんだ」
「ちゃんとそこも説明してやっから焦るなよ」
そう言ってキセルで一服する朱月にはずいぶんと余裕があるが、逆にハルマにはあまり精神的な余裕がない。
自分でも気づいていなかった自分の変化。
しかも頭で考えてそうあるべきだと思う考えと自分の心が反しているという事実に、言いようのない焦りのようなものがある。
本音を言えば、今すぐにでも気持ちを落ち着けて今度の身の振り方を考えたいくらいだ。
「さて、ハルマの坊主はシオ坊にすっかり絆されちまったわけだが、本当にそれだけなのかをちゃんと確認しておかなきゃならねえ」
「……どういう意味だよ」
「シオ坊を殺せねえお前さんは、人外を殺せるか?」
「それは……殺せる」
そう、人外を殺せるかと問われれば、殺せる。
例えば今この瞬間に朱月がハルマに襲いかかってきたなら、すぐにその細い首をへし折ろうと行動できる。拳銃を持っていたならすぐにでも引き金を引ける。
幼い外見に対するためらいが全くないとは言わないが、ちゃんと殺せるだろう。
「……そうだな。その目は確かに殺せるヤツの目だ。……けどお前、少し考えただろ」
確かに朱月の問いに対して、ハルマは一瞬考えた。
しかし時間にして一秒か二秒程度の軽いものだ。日常会話でもよくあるくらいのものだろう。
「それが何か問題なのか? 俺は脊髄反射で行動するほど短気じゃないつもりだけど」
「確かにハルマの坊主はそういう人間じゃねえんだろうが……例えば一年前のお前だったらどうだ?」
「一年前……?」
一年前であればまだ普通に軍士官学校に通っていた頃だ。
日々人類軍の軍人となるために勉強と訓練に明け暮れながらも、シオンの秘密も知ることなく友人たちを笑い合って――その一方で【異界】や人外への憎しみを燃やしていた頃だ。
「当時のお前さんなら、一秒たりとも考えなかったんじゃないか?」
朱月はニヤリと妖しい笑みを浮かべながらハルマを見つめている。
「人外とわかったらその瞬間には銃口を向けてただろ? 隙があったならすぐさま引き金だって引いてたんじゃないか? 実際シオ坊が正体晒した瞬間、そりゃあ見事に殺す気満々だったもんなぁ?」
最後の言葉に目を見開くハルマを見て、朱月はさらに愉しそうに笑みを深めた。
「あのときにはもうシオ坊とは共犯者だったんでよーく覚えてる。魔物どもを蹴散らすシオ坊に恐怖やら殺意やらいろいろと向けられちゃいたが……お前ほどの殺意を向けてた人間はいなかった」
そこで一転して表情を変えた朱月は大きくため息をつく。
「それが今となってはどうだ? シオ坊だけならまだしも、他の人外相手ですら即答できないほど殺意も闘志も弱まってやがる。……仇討ちに燃えて研ぎ澄まされてた刃がずいぶんと錆びついちまったもんだ」
馬鹿にするような言い回しに腹が立つ一方で、朱月の言っていることが事実であるのも理解できてしまった。
彼の言う通り、以前よりハルマの憎しみは曖昧になっている。
そうでなければ、こうして朱月と隣り合って座って話などしているはずがない。
そんなことにすら今まで気づいていなかった。
「……だから、剣は俺を未熟と見なしたのか?」
「未熟っつーよりは、芯がないと思ってやがるのさ」
くるりと朱月の手の内で回ったキセルがまばたきひとつする間に一振りの刀へと姿を変える。
それを夜の闇にかざしながら、朱月はハルマを横目で見た。
「御剣春真は、なんのために剣を振るう?」
「それ、は……」
“アンノウンや【異界】の人外たちを排除し、この世界の人々を守る”
学生の頃のハルマだったならきっと何も迷うことなくそう答えられていた。
しかしシオンを殺すことに迷い、人外を殺すことに一瞬の思考を要する今のハルマは軽率にそんなことを言えない。
それが間違っているかと問われれば、少なくともハルマはそうは思わない。
ただ「人外であれば殺すべき悪だ」と安直に考えていたあの頃から、もっと視野を広く持って目の前にあるものを見ることができるようになった。
それは決して悪い変化ではない。むしろよりよい方向に成長できたと思える。
……しかし、それがハルマの中にあった“戦う理由”を曇らせてしまったのは紛れもない事実だ。
「とまあ、いろいろ話してきたがここからが本題だ」
朱月の手元にあった刀が風に運ばれるようにハルマの手元へと移動してきた。
刀はまるで手に取れと言わんばかりにハルマの前から動かない。
「あの剣を満足させるのに必要なのは、剣を振るう確かな意思。お前にはそれを見つけてもらわなきゃならねえ」
「確かな意思、か……」
「前のように憎しみを理由にするも結構、新しい理由を見つけ出すも結構。真っ当な道だろうが修羅の道だろうがそこに信念がありゃあの剣は応えるだろうよ。……ただ、」
脅すように、挑発するように、妖しい光を宿す緋色の瞳がハルマを写す。
「ここで道を選べば、きっとお前さんは引き返せなくなる。せいぜい悩めよ若人」
その後「あとはまた次の夢で、な」という言葉を最後に、ゆっくりと夢は終わりを告げるのだった。




