5章-突撃、ミツルギ家本邸②-
洋室でのお茶をしばらく楽しんだ後、シオンは早川とふたりで部屋に残っていた。
アキトたち三人は両親の仏壇がある別室へ向かった。
三人ともしばらくの間この家にも戻れていなかったそうで、色々と報告したいこともあるのだろう。
実家までついて来ておいて今更だが、流石のシオンもそこに一緒に行くのは憚られ、こうしてこの部屋に残ったというわけだ。
「両親に報告、か」
「イースタル様のご両親はいかがなさっているのですか?」
「……あー、もう、お別れしてしまったんです。十年ほど前に」
あえて明確な言葉は使わなかったが言葉の意味するところは伝わったようで早川は「失礼いたしました」と頭を下げた。
今日初めて顔を合わせた彼はシオンが戦災孤児であることなど知らない。普通であればシオンほどの年齢で親と死に別れている人間など珍しいのだから、彼が気楽に質問してしまったのも仕方がないだろう。
「気にしないでください。別に気にしてませんから」
「恐れ入ります……ただ、失礼を承知でひとつ伺ってもよろしいでしょうか?」
この流れで何を聞きたいのだろうかと疑問に思いつつも、シオンは頷いた。
すると早川は懐から小さな本を取り出した。
「貴方のお父様は、こちらのアベル・イースタル博士ではありませんか?」
手渡された本の著者名にシオンは目を見開く。
「……驚きました。気づかれたのは初めてです」
アベル・イースタル。本を出版できる程度には世間でも認められた農学者であり、他でもないシオンの父親だ。
人類軍はおそらくすでに調査して把握しているのだろうが、こうして誰かにそれを確認されたのは父の死後初めてのことになる。
「たまたま私が博士の著書を愛読していただけで、偶然のようなものですよ。趣味で野菜を育てているもので」
「そういえば、父さんもよく花やら野菜やら育ててました」
家には家の敷地よりも大きい庭があり、そこには父とその助手でもあった母が作った花壇や畑が広がっていた。
シオンはあまり野菜が好きではなくて少し忌々しく思っていたのだけれど、それでも不思議とはっきり思い出せる。
そっと手渡された本をめくれば、ちょうど父の写真が目についた。
はっきり言ってシオンとアベルは全く似ていない。
シオンの外見には母親である紫織・イースタルの面影が色濃く出ていて、シオン自身、鏡に写る自分を見て「母さんが男だったらこうなっていたんじゃないか」などと考えたこともあった。
そういう意味でも、イースタルというファミリーネームの一致から早川がアベルとシオンが親子である可能性に気づけたのは奇跡のようなものだっただろう。
「不思議な気分です。こうして父さんの顔見たのなんて本当に久しぶりで」
紙の上の写真を指で撫でながら、小さく呟く。
シオンは両親を亡くして以降一度も彼らの顔を見ていない。
住んでいた家も全て燃え、親戚もいなかったため写真もデータも手元に残らなかったというのもあるし、意図して見ようと思わなかったというのもある。
シオリはともかくアベルであればこうして著書などから写真を探すことだってできたはずなのに、その気にもならなかった。
「墓も仏壇もないし、祈りもしないし。こうして切っ掛けがなかったら思い出しもしなかった。……薄情な子供ですね、俺」
「私は、そうは思いませんよ」
自嘲するシオンに早川の投げかけた言葉は優しい。
そばに立つ彼を見上げれば、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「イースタル博士について話す貴方は、とても穏やかな表情をしていました。写真を撫でる指はとても優しいものでした。……貴方がお父様のことを愛しているのは、今日初めて出会った私でも見ていればわかりますよ」
「……それは……少し恥ずかしいですね。穴掘って埋まりたい」
恥ずかしさからついふざけたことを口にしてしまうシオンだが、それを見透かしているかのように早川は表情を崩さない。
何もかもお見通しかのように笑みを浮かべたままの彼を前にすると、不快というわけではないのだが正直やりにくい。
「便りがないのは元気でやっている証拠とも言いますし、祈ることが正しいわけでもありません。貴方は薄情などではありませんよ」
「……出会って二時間そこそこで過大評価じゃありません?」
意地の悪いことを口にするシオンを物ともせず、余裕ある態度で早川は笑う。
「伊達に歳を重ねてはおりませんので、人を見る目には自信がございます。……それに、本当に薄情な方であればお坊っちゃまたちは貴方にああも気を許しませんよ」
シオンを友人として連れてきたアキトたちのことを、そして自身の人を見る目を早川は信じている。
こういう真っ直ぐさと頑固さはどこかアキトたちを彷彿とさせた。
同時に、シオンがどうしても嫌ったり突っぱねたりできないタイプの人種だ。
「艦長たちのこと、よくわかってるんですね」
「もちろんでございます。……なんと言っても私、アキトお坊っちゃまたちはもちろん、そのお父様のことも赤ん坊の頃からお世話させていただいているのですから」
「ご本人も覚えてらっしゃらないようなことでも存じ上げておりますよ」などと少々お茶目なことを言い出した早川に思わず声を出して笑ってしまった。
「そりゃもう、家族みたいなもんですね! ぜひとも三人の子供時代のエピソードとか聞きたいんですけど、何か面白い話とかあります?」
「あるかないかで言えばもちろんありますが、不用意に話してしまうとお叱りを受けてしまいそうですからね……」
「そこをなんとか」
「そうですね……イースタル様のことをもっとお聞かせいただけるのなら、検討いたしましょう」
そう提案した早川の様子に悪意などは全く感じない。
単純に主人に仕える身であるというのなら仕える相手の恥ずかしい話など外部に漏らすようなことはしないだろうが、どうやらこの老執事は盲目的に従うだけの人物ではないらしい。
おそらく、間違っていると思えば相手が主人だろうと容赦なく指摘するタイプだ。
思えばちゃっかり“アキト坊っちゃま”呼びでアキトを困らせていたりもしたので、案外茶目っ気もあるらしい。
「ちゃっかりしてますね……でもまあ、いいですよ」
「交渉成立ですね」
この提案に“ひとまず無害と判定はしたものの色々と不明すぎるシオンの情報を手に入れておこう”という早川の思惑があるのは重々承知の上だが、それでもシオンは提案に乗った。
少なくとも、情報を悪用されるなどという心配はないだろう。
そうしてシオンと早川は話に花を咲かせた。ついでに連絡先も交換しておいた。
一時間もかからずに戻ってきたアキトたちに仲の良さを若干不振がられたのは言うまでもないが、ふたりの間で行われた情報交換について彼らは知るよしもないのだった。




