5章-玉藻前との語らい③-
シオンたちから玉藻前に話すべきことも、玉藻前からシオンたちに話すべきことも共に片付いた。
双方の用事が片付いたことにはなるものの、話が終わったからとすぐさま帰るのは招いてくれた玉藻前への礼を欠くであろうし、何より別室で休んでいる酔っ払いたちのことを思うとすぐに帰るのは少し難しそうに思う。
となれば必然的にダラダラと話をすることになってくるわけで……
「それにしても、とっくに退治されて死んだものかと思っていたというのに、相変わらず悪運が強いと言いますかしぶとい言いますか……」
「うん千年生きてる妖狐にしぶといだのなんだの言われる筋合いはねえっての」
旧知の中であるらしい玉藻前と朱月が互いに嫌みったらしく言葉を交わす。
玉藻前と朱月であれば玉藻前のほうが妖怪として格上ではあるが、朱月が敬意を示すような様子はない。
下手に彼女の機嫌を損ねれば殺されかねないというのは朱月も承知しているはずだが、それでもこのような態度が取れるあたりそれなりに気安い間柄なのだろう。
「今まで聞くタイミングなかっただけど、朱月ってどれくらい生きてるの? まあ刀に封じられてて生きてるって言っていいのかわかんないけど」
「あ゛? 体のひとつやふたつ無くしてようが魂が残ってりゃ生きてる同然だろ」
「人間基準ではそうは言わないんだよ」
「つくづく人間ってのは面倒だよな」
嫌だ嫌だとわざとらしくため息を吐く朱月に玉藻前がクスクスと笑った。
「そうですね。あなたが言うと説得力があります」
「説得力?」
「朱月は元人間ですからね」
さらりと告げられた新事実に、朱月の眉間に幼い顔立ちに似つかわしくない皺が寄った。
「姫様よぉ……人様の過去を勝手にバラすのは趣味が悪りぃぜ」
「あら失礼? あなたと一緒だとどうも昔のように意地悪がしたくなってしまいますね」
全く反省している様子のない玉藻前の態度に朱月は諦めたような顔になる。
シオンもよく玉藻前の振る舞いに似たような反応をしてしまうので思わず同情してしまった。
「あの……人間が妖怪になっちゃうことってあるんですか……?」
話を横で聞いていたナツミが恐る恐る尋ねてくる。その質問の答えはシンプルにイエスだ。
「日本に限らず、人間から人外に変わっちゃうのは別に珍しくもないよ」
強い未練や憎しみを抱えたまま死んだ人間が死後悪霊になるというのもその一例であるし、西洋でメジャーな例であれば吸血鬼に血を吸われた者が吸血鬼になるとい話もある。
「考えようによっちゃシオ坊だって似たようなもんだろ。限りなく人間のまま“神”に至ったやつなんて初めて見たぜ俺様」
「俺のことはともかく、そういうお前はどういう鬼なわけ?」
「確か……恨み辛みを募らせて生きながら鬼に変じたのではありませんでしたか?」
「姫様、懲りてねえどころか全部喋る気じゃねえだろうな……」
怨念や憤怒を募らせて人から鬼になるに至った。
言葉で聞くだけならシンプルな内容だが、生半可な感情で起こる現象ではない。
「(何があった、なんて聞くのは流石にあれか)」
どんなに軽く考えたとしても、そうなるに足る“地獄”があったのだろう。
それを承知で聞くなんてことはそれこそ鬼の所業だ。
「で、鬼になったもののなんやかんや退治されて〈月薙〉の中ってわけか……」
「はっ! 喧嘩売ってるなら買ってやるぜシオ坊」
売り言葉に買い言葉。いつものような決して穏やかではないやり取りが戻ってくる。
「そもそもお前、なんで〈月薙〉の中にいたくせに〈アサルト〉に組み込まれるまでのこと知らないかな……」
「しゃあねえだろ。お前さんに会う少し前まで眠ってたんだからよ」
シオンに初めて出会ったときの朱月は人の姿もまともに取れないほどに弱体化していた。
“力を使いすぎて”そうなったという本人の言葉に嘘はなかったようで、朱月は〈月薙〉が実際にECドライブの中に組み込まれる過程を把握していないのだ。
「お前が何か知ってれば玉藻様の秘密にしてる内通者の正体だってわかったかもしれないってのに」
「んなもん知らねえよ。そんなに気になるなら姫様に可愛くおねだりでもすりゃいいじゃねえか。お前さんが甘えりゃ口が滑るかもしれねえぞ?」
ニヤニヤと笑う朱月の言葉に玉藻前がボソリと「悪くありませんね」と呟いたのはあえて聞かなかったフリをした。
アンナからも期待するような視線を向けられている気がするが、見なかったことにしておく。
情報はもちろんほしいが、ここで折れては何か大事なものを失う気がする。
「冗談はさておき、いくらシオンの頼みでもこればかりは教えられませんよ」
「ほぉ? 姫様がそこまで肩入れするとなりゃあただの人間ってわけじゃなさそうだな」
「基本的には人間嫌いですもんね」
「あらあら、ふたりで仲良く探りを入れてくるなんて怖いですね」
口では怖いなんて口にしながらもそんなこと微塵も思っていないのは一目瞭然だ。
悠然と構えたままの玉藻前はふたりを前に愉快そうに微笑んでいる。
「ああでも、わたくしの思っていたよりも仲良しだったのは嬉しい誤算ですね」
「仲良くねえけどな」
「仲良くないですけど」
「……いや、仲良しじゃない」
後ろで呆れ気味のアンナはさておき、玉藻前は妙に上機嫌だ。
「良いものにも悪いものにも好かれるのは“天”の名を担うが故なのでしょうか? ……どちらにせよ、朱月が力を貸しているのなら武力という意味ではあまり心配はいらないのでしょうね」
「……これ、信用していいんですかね?」
「あ゛? オロチ狩りで力貸してやったのが誰か忘れたのか」
「魔力はほぼほぼ俺のだったじゃん」
バチバチと火花を散らすシオンと朱月を他所に玉藻前はどこか微笑ましいものでも見ているかのような目をしている。
後にアンナはそのときの状況を「温度差がヤバすぎてちょっと逃げようかと思った」と語った。
「シオン、あなたにひとつ助言をしておきましょう」
「なんですか?」
「あなたは、もっと自らの力を出し惜しむべきでしょう」
シオンを射抜く玉藻前の瞳に、ここまであったはずの柔らかさはない。
真剣な眼差しに思わずシオンの背筋が伸びた。
「この朱月は、もう百年も生きれば神性を得るに足るほどの力ある鬼です。宝珠の力を得たアキトさんも十分に強き者であると言えるでしょう。あなたという“神”の加護などなくとも戦えるでしょう」
後ろで誰かが息を呑む声が聞こえた。それが誰なのかを確認する余裕はない。
まるで縛りつけられたかのように玉藻前から視線を逸せないのだ。
「“天の神子”よ、力を振るう場所を見定めなさい。“神子”たるあなたの全てで立ち向かうべき脅威は、そう遠くない未来に必ず訪れるのですから」




