5章-稲穂と隠れ里④-
「はぁ〜〜〜、立派なお屋敷っすねえ……」
大きな門を潜り抜け、玉藻前の屋敷へと足を踏み入れてすぐにカナエが感心したように言葉を漏らした。
玉藻前の屋敷は決して煌びやかなわけではないのだが、建物の内部はとても広く、床は綺麗に磨かれているし庭の木々などもしっかりと手入れされているのがわかる。
日本有数の名家と言われるミツルギの屋敷と比べても遜色はないし、そんなミツルギの屋敷以上に、古い時代の技術を使って建てられていることを踏まえれば、こちらのほうが金額的にも文化的にも価値があるのではないだろうか。
日本出身者でも思わずため息が出そうなほどの屋敷は当然日本やアジア圏以外の出身者たちにとっては珍しいものなわけで、十三技班の大部分やアンナたちは興味深そうにキョロキョロと屋敷の中を見回している。
「ふふ、この屋敷を気に入っていただけたようですね」
「あ、ごめんなさいね。綺麗だし珍しいしで思わず……」
「構いません。よろしければ後でのんびり中を見て回る時間を用意いたしますよ」
少女からの提案に興味深そうにしていた面々から嬉しそうな声が上がる。
それから少女の導きでアキトたちは屋敷の奥を目指すことになった。
「……それにしても、広い割に人気はないようだが」
長い廊下を少女の先導で進んでいるのだが、誰かとすれ違うようなことがない。
これだけ大きな屋敷となればそれなりの数の使用人でもいなければとても管理しきれないはず。
アキトたちを迎えに来た少女がいることを思えば、玉藻前には使用人なり従者なりがいると考えていいはずなのだが、すれ違わないどころか気配すらない。
あまりにも静かで、少し不気味なくらいだ。
「使用人自体はいるのですが、今は厨に集まっているのです」
「くりや?」
「台所のことだ」
古風な言葉にギルを筆頭に若い面々が首を傾げる中、ゲンゾウが冷静に説明する。
アキト自身知識として知ってはいるが、この時代に実際にその言葉を使う相手と話す機会があるとは思っていなかった。
そういう文化の違いもまた人間と人外の間の隔たりのひとつなのかもしれない。
「で、人手が台所に集まってるってこたぁ……」
「ええ。みなさまをお迎えしての宴の準備をしているのです」
「大人のみなさまにはお酒も用意しておりますよ」という返答にゲンゾウを筆頭に酒の飲めるメンバーのテンションがわかりやすく上がる。
そこに混じってテンションを上げているアンナに少し頭を抱えたくなった。
「ラステル戦術長……一応は自分の立場を考えてくれはしないか?」
「おっとごめんごめん。……でも、日本のお酒は美味しいっていうじゃない?」
「全然俺の話聞いてないな?」
完全に宴と酒というワードに引っ張られているアンナに思わず語気が強くなったが、それを妖狐の少女がまあまあと諫めてくる。
「せっかく宴を催すのですから、楽しんでくださいませ。黄泉戸喫の心配もありませんよ」
「よもつへぐい……ってなんのこと?」
「……確かあの世の食べ物を口にすると、あの世から戻って来れなくなるという伝承だったかと思うが……イースタル。説明できるか?」
横を歩いていたシオンに話を振ると少しだけ驚いたような反応をした。
妙な反応に内心首を傾げたが、シオンはすぐに普段と同じように解説を始める。
「黄泉戸喫は、概ね艦長の説明の通りのことです。黄泉の国――日本で伝わる死後の世界で調理されたものを食べてしまうと、仮にまだ死んでいなかったとしても死後の世界から元の世界に戻れなくなる、っていう話ですね」
「でもここって死後の世界じゃないわよね……?」
「もちろん違いますけど、人の世ともまた別です。異世界って意味では黄泉の国にも近いのでそういう理が自然発生しちゃうこともあるというか……」
「自然に発生するようなものなのか……?」
「人の信仰心なんかは稀に実際に形を成すことがあります。人の祈りでオボロ様という神が生まれたのも同じですね」
要するに、“黄泉戸喫”という概念は太古の時代の人々の信仰心によって生み出されたものなのだという。
それはこの日本においては特にしっかりと根付いてしまっており、この神域の主である玉藻前が意識しなくともルールとして適応されてしまう可能性もある。
「ちょっと待て、俺たち里の広場で団子だの茶だの口にしたはずだが?」
「……あー……忘れてましたね」
「忘れてましたねじゃないんだけど⁉︎」
「まあまあ、仮に黄泉戸喫になってしまったとしても現地の者の許しがあれば出られますから……」
今回の場合、仮にそうなってしまっていたとしても玉藻前の了承が得られれば帰ることはできる、ということらしい。
「ま、とにかくさっさと玉藻様と話をしましょう、ね?」
「そう急かさずとももう広間は目と鼻の先ですよ」
急かすようなシオンの言葉に少女は小さく微笑む。
そんなふたりのやり取りを見ていて、アキトはわずかに引っかかりを覚えた。
「(そういえば、ふたりが言葉を交わしたのは今が初めてだな)」
里の広場で少女が現れてからしばらく。
この屋敷への道中、少女はアキトはもちろん十三技班の面々とも言葉を交わしていたのだが、シオンとは話をしていなかった。
タイミングがなかっただけと思えばそうかもしれないが、口数の多いシオンらしからぬ様子のようにも思える。
アキトは内心首を傾げるが、その答えが出るよりも先に、少女はひとつの襖の前で歩みを止めた。
他の襖とは異なり見事な絵が描かれている襖はどう見てもただの部屋に通じているものではない。
「さあ、ここが屋敷の大広間になります。……参りましょう」
少女が二枚の襖を左右に大きく開いてアキトたちを中へと招き入れる。
そもそもの屋敷の規模から予想はしていたが、問題の大広間はとてつもなく広い。
玉藻前はその気になれば五〇人であっても屋敷に招くことができるだろうとシオンたちは口にしていたが、確かにこの大広間ならば五〇人足を踏み入れたとしてもまだまだ余裕があるだろう。
しかし、そんな広い大広間にアキトたち以外は誰もいなかった。
少女の口振りからこの部屋で玉藻前が待ち構えているのかと思っていたのだが、広間の最奥にある高座にすら誰もいない。
「……すまないが、玉藻前殿は……?」
アキトたちの前に立つ少女に尋ねるが、振り向いた彼女はニコリと笑うだけで何も答えない。
ここまでこちらの質問に当たり前のように答えを返してきたはずなのだが、ここへ来て不自然に何も言わない。
困惑しつつそっとシオンに視線を向けると、彼は彼で状況に似つかわしくない呆れたような表情をしていた。
その傍らに立つ朱月はどこか愉快そうに口の端を吊り上げ。
玉藻前の眷属であるコウヨウは困ったように苦笑を浮かべている。
玉藻前の不在に驚くわけでも戸惑うわけでもなく、むしろ明らかに何かを知っている様子の面々を前に、アキトはひとつの可能性に思い至った。
「……まさか、君が?」
目の前でニコリと愛らしく微笑む少女に問いかければ、二、三度パチパチと瞳を瞬かせてから微笑みを深める。
その次の瞬間、少女の身が青い炎に包まれた。
驚きで言葉を失うアキトたちを尻目に一瞬で大きく燃え上がった炎は、次の瞬間には何事もなかったかのように消え去る。
そして炎が消えたそこには、自身の身をよりも大きな九本の尾を揺らす少女がいた。
「改めまして、ようこそ我らが里へお越しくださいました。みなさまを心から歓迎いたします」
目の前にいる彼女は間違いなくここまでアキトたちを案内した少女だ。
しかし、その所作も言葉の響きも何もかもが先程まで目にしていた彼女とは違う。
この瞬間、アキトは目の前の彼女こそが玉藻前本人であるのだと確信した。




