1章-月明かりの展望室②-
ナツミは、シオンがなんと言ったのか一瞬わからなかった。
知らない言語で話されたわけではない。言葉の意味だってわかる。
それでもシオンの言っている意味が理解できなかった。
――別に話す用事とかないけど?
用事がないから言葉を交わす意味も関わる意味もない。
そんなひどく冷たい言葉を、普段世間話をするときのようないつも通りの表情で話すシオン。
そんな姿を見て、体が凍ったかのように冷たくなった。
あんなに一緒にいたのに、あんなに笑い合っていたのに。
それなのにシオンがそんな風に思っているのだとしたら、あの三年間はいったいなんだったのだろう。
あの三年間は、シオンにとってなんの価値もなかったというのだろうか。
「――なーんて、お前にこう言ったところで「はいそうですか」とは思ってくれないよな」
どこか困ったような、少し優しいニュアンスのこもった声に凍り付いたようになっていた体が熱を取り戻す。
「え?」
「他の大多数の人間相手ならともかく、士官学校での俺とギルを知ってる人間にこの言い訳は苦しいよな、やっぱり」
少しばつが悪そうに頬を掻くシオン。
ここでようやく今話していることこそが彼の本音なのだと理解して、一気に体の力が抜けた。
続いて沸々と湧き上がってくるのは、わずかな怒りである。
ナツミは自分の中の感情に従いシオンのそばまで歩み寄ると、とりあえずその肩を殴りつけることにした。
「あだっ! いきなりなんだ!?」
「心臓に悪いのよ! とりあえず大人しく殴られて!」
そうして軽く五発ほど殴らせてもらってようやく気が収まった。
さすがのシオンも何かナツミを怒らせてしまったのだと理解できたらしく、ナツミを落ち着かせるべく再びふたりでベンチに腰かけることを提案してきた。
「とりあえず、ギルたちを避けてるのには事情があるのよね」
「そうだな」
「本音で言えば、避けたくない?」
「……できるならな」
先程怒ったことがきいているのか思った以上に素直に答えてくれるシオン。
これで少なくともシオンがギルたちとの日々を大切に思っていることははっきりした。そのことに胸を撫でおろす。
先程のシオンの演技のような心臓に悪い展開があり得ないとわかっただけでもひと安心である。
しかし、そうなると新たな疑問も出てくる。
「……その事情って、聞いてもいいもの?」
シオンがギルたちを避けなければならない事情。
こうして聞いていいのかわからない程度には、思い当たるものがない。
「どうだろ……十三技班のみんなにバレると絶対ややこしいことになるしな……」
「あたしが黙ってれば大丈夫ってこと?」
「そりゃあそうだけど、お前うっかりしてるところあるし……」
そう言われると否定はできない自分がいる。
自分で言うのもなんだが、あまり隠し事や嘘は得意ではないのだ。
しかし気になるものは気になってしまう。
「……あのさ、「気になる」って空気が欠片も隠せてないんだけど」
「だって、あんなに仲のいいふたりだったのにさ……」
引き下がる気配のないナツミを前に、シオンは苦笑する。
「でもまあ、やっぱり気軽には教えられない。……まあ、条件付きとかならいいけどな」
「条件って、あたしのほうからも何か秘密を教えるとか?」
ナツミの問いにシオンは首を振った。その振る舞いはどこか楽しそうにも見える。
「別にお前から引き出したい情報とかないし、どうせならもっと魔法使いっぽいことしようと思ってさ」
「……魔法使いっぽい?」
やけに勿体ぶる話し方と楽しげな表情。
こんなシオンを学生時代にも見たことがある。これは何か悪巧みをしているときのシオンだ。
「お前は俺の秘密を聞くことができる。その代わりに俺はお前に呪いをかける、なんてどうだ?」
――呪い。
なんとも不穏なそのワードにナツミはゴクリと唾を飲み込む。
「ほら、おとぎ話とかにもあるだろ? 嘘をつくと鼻が伸びるとか、人間になるために声を差し出すとかそういうの」
「それをあたしに……?」
「今回の場合、お前が俺の秘密を他人にバラそうとすると何かが起こるパターンになるかな~」
クスクスと怪しく笑いながらこちらを見ているシオン。
そんな様子とここまで聞いた内容を踏まえ、ナツミは結論を出した。
「よし、じゃあ、どんと来い!」
なんとなく両手を広げてシオンに向き合うナツミに、シオンはぴたりと固まった。
その場にはなんとも言えない沈黙が流れる。
「……ナツミ・ミツルギさん」
「? はい」
たっぷり十秒ほどの沈黙の後、何故かかしこまった様子でナツミを呼んだシオンにこちらもなんとなくかしこまる。
「その、どんと来いっていうのは何?」
「え? 呪いかけても大丈夫ってことだけど……」
シオンの抱える事情をやはり知りたいので、ナツミは提案通り呪いをかけられることを選ぼうと思ったのだ。
そんな返答を聞いたシオンはひとつ大きなため息をつき、ナツミの額を指で突いた。
「あ・の・さ~! お前あの日の俺の忠告完全に忘れてるよな? 人外相手にするときはいろいろ警戒しろって言ったよな?」
「それは覚えてるけど、シオンは人間なんだし……」
「お前らからすりゃ異能が使える時点で人外同然だろうが!」
「あたし的にはシオンは人間カウントなの! それにこんな風に忠告してくれるシオンがあたしに危ない呪いかけてくるとか思えないし!」
ビシビシと額を突つきながらの説教は、ナツミの逆ギレ気味の反論によって止まった。
「危機感が足りないの、もしかしなくても俺のせいか……? ホントコイツいつかヤベーことに巻き込まれるんじゃ……」
しばらくブツブツと独り言を言っていたシオンだが、最終的に諦めたようにナツミに向き直った。
「こっちから提案したことだし、そこまでして聞きたいなら仕方ない。というわけで呪いをかけるぞ」
「うん、わかった」
「……真面目に俺以外の人外にそういうのやめろよ?」
呆れた様子のシオンは指先をナツミの額へと向けた。その指先がわずかに光を放つ。
「呪いの内容は“ナツミ・ミツルギがシオン・イースタルが秘密であるとする情報を第三者に話そうとした場合、いかなる状況においても腹の虫が鳴き話を邪魔される”でいいな」
「……え、ちょっと待って! 危なくはないけど女子としてはめちゃくちゃ嫌な内容じゃないそれ!?」
「秘密を話さなけりゃいいんだよ! それにホントに呪うことになるとは思ってなかったからなんにも考えてなかったんだ!」
ある意味ひどい呪いを制止する間もなくシオンの指先の光が強まったかと思えば、額に静電気のようなピリッとした痛みがあった。
触れて確認してみるが傷などができたわけではないらしい。
「はい、呪い完了。それじゃあ約束通り俺の話もしないとな……」
どこか疲れた様子でひと呼吸おいたシオンは、少し不満気に話し始めた。
「すごくざっくりと言うなら、俺が十三技班に思い入れを持ってるってことを周囲に気づかれたくないんだ」
「……他の船員たちが十三技班の人たちに白い目を向けるかもしれないから?」
この〈ミストルテイン〉には多くの軍人が搭乗しているわけだが、その多くはシオンに大して懐疑的だ。
上層部の判断を支持している穏健派と上層部の判断に異を唱え強く警戒を示している過激派というように程度は分かれているが、シオンを信用していないという点ではあまり違いはない。
そんな環境下でシオンに友好的な人間がいれば、当然周囲の目は厳しくなる。
実のところ、そういったことはすでにアンナに対して少なからず起きている。
シオンに対するアンナの態度は以前のままだ。
以前から生徒と教官というよりは年の離れた友人同士のようにも見えていた親密さで、ふたりは今も当たり前のように接している。
その様子からアンナが人類軍よりもシオンの味方なのではないかと考えている船員も少なからずいるようなのだ。
「……まあそんなとこ。俺が標的になるのはどうでもいいんだけど……不可抗力で巻き込んだ教官はともかく、ギルや十三技班のみんなを巻き添えにはしたくない」
「……みんなのこと大好きじゃん」
「恥ずかしいこと言うなお前は……」
そうは言いつつも否定はしないのだから、そういうことなのだろう。
だからこそナツミには今の状況があまり好ましいものには思えない。
「避ける以外の方法はないの? 十三技班のみんなに事情を説明するとか」
十三技班――特にギルは、シオンに避けられていることにとても傷付いている。
せめて理由があって避けていることだけでも教えることができれば、そういった悲しいすれ違いはなくすことができるのではないだろうか。
しかしシオンは提案に黙って首を振る。
「接触したっていう事実がどこかから漏れるかもしれない。俺としては“十三技班はあの異界人にずっと騙されていた”“今はなんの関わりも持っていない”っていう風に周囲に思ってほしいんだよ」
周囲にシオンの言うような認識を持たせることができれば、十三技班にシオンを原因とするトラブルが起きる可能性はほぼゼロになる。
むしろ周囲から同情的に見てもらえるかもしれない。
シオンはそれを狙って、これまでずっと彼らを避け続けてきたのだろう。
「……でもさ。それってギルや十三技班のみんなは喜んでくれるの?」
ここまでの話でシオンの意図はわかった。
彼はどうあっても十三技班に対して余計な危険が舞い込まないようにしようとしている。
けれどそれはあくまでシオンの考えでしかない。
果たしてはぐれ技班とも名高い十三技班の人々は、そんな風に守られるだけの人たちだっただろうか。
「喜んではくれないだろうなぁ」
困ったように、けれど少しだけ嬉しそうにシオンは答えた。
「事情を全部話したら……その時点でまず誰かの投げた作業道具が飛んでくる予感しかしてない」
金属製の作業道具が飛んでくるというのはなかなか物騒だが、確かにそういう荒っぽさが十三技班にはある。
「で、次に言うんだよ。“そんなもん返り討ちにしてやるから気にするな”ってさ」
誰が言うかまではナツミには想像できないが、それでも十三技班らしい台詞だと思ってしまった。
「……だからこそ巻き込めない。俺のために他の軍人たち相手に大暴れなんてことさせられない」
ふざけた様子のない真剣な声色。シオンにしては珍しいその響きになんとなく緊張してしまう。
「結局のところ俺の我儘なんだけど……この我儘は誰が何と言おうと貫かせてもらうつもりだから」
暗に説得しようとしても無駄だと釘を刺された。
こうなってしまうと、もうナツミからは何も言えない。
「(ああ、そういえば……シオンは十三技班の人たちのことは信じてるんだな)」
ナツミたちがシオンを人類の敵として疑うことを「仕方ない」というひと言で済ませた彼だが、十三技班の面々がシオンのことをそのように見るとは微塵も思っていないらしい。
十三技班の面々も、おそらくシオンのことを敵だなんて思っていない。
そうでなければ避けられていることに心を痛めたり、なんとかシオンを捕まえて話をしようだなんて考えはしないだろう。
シオンとギルをはじめとする十三技班の人々は第七人工島における三年間の中で一番多くの時間を共に過ごした間柄だ。
その重ねてきた時間が築き上げた信頼と絆が、彼らをそうさせるのだろうか。だとすれば、
「(ちょっと羨ましい。なんて、言う資格はないか……)」
最初に当然のように彼を疑ってしまったナツミには過ぎた願いだ。
だからこそ互いを想い合う彼らがどうにか幸せになれないのだろうかと思ってしまうのだが、残念ながら今のナツミにその答えは出せそうにない。
 




