5章-招待状は突然に③-
玉藻前。
平安時代、優れた容姿と博識さをもって時の上皇の寵愛を受けた美女であり、その正体は強い力を持った九尾の妖狐であったとされる伝説上の存在。
「(ヤマタノオロチを目にした手前、あり得ないとか言うつもりはねえが……)」
だとしても軽いノリで話をしてほしくなかった。
「その、タマモノマエって日本では有名なの?」
「妖怪の中ではメジャーなんじゃないですかね。まあ玉藻前って名前よりも九尾の妖狐って存在のほうが認知度高い気もしますが……」
「へえ?」
日本の文化に疎いアンナなどの面子はどうしてもピンとこないらしく首を捻っている。
彼女らに対してシオンはモニターのひとつにネット上の適当な記事を表示して見せた。
「玉藻前。平安の世で当時の国のトップを誑かして国を乱そうとした大妖怪。とは言っても日本では実際に何かやらかす前にバレて退治されちゃったんですけどね」
「日本では?」
「日ノ本に来る前に大陸の別の国、今の中国だったかで好き勝手やってたんだと」
「確か、王様誑かして無実の人たちを処刑しまくったりして暴政敷いたとか、また別の王子様そそのかして一〇〇〇人の首をはねようとしたとか? 当時は妲己って呼ばれてたみたいですけど」
「それは……やばいわね」
「やばいんですよ」
具体例を聞いて一気にここまでピンと来ていなかったメンバーもすっかり顔色が悪くなってきた。
ざっと概要を把握していたアキトですら改めて言葉にされると恐ろしいと思うし、そんな相手に会いにいかなければならないという現状に頭と胃が痛い。
「そんな不安がらなくても、そういうことやってたのは一〇〇〇年以上前の話です。今はそういうやばいことはしないで京都に作った隠れ里でゆっくり暮らしてるので、変に怒らせたりしなければ害はないはずですから……」
「……万が一怒らせたら?」
ハルマから飛び出してきた質問に対し、シオンは曖昧に微笑んだ。
その目は完全にそらされていてハルマを全く見ていない。
「怒らせたパターンは……考えたくないかな……」
ボソボソとシオンにしては小さな声で発されたそれが彼の本心なのだろう。その隣で朱月もうんうんと頷いている。
「……不安がっていても仕方がない。こうなってしまった以上は招待状に応じるしかないんだ」
「オイオイ。本気で行くつもりかよ?」
「ラムダ、仕方がないだろ。イースタルがここまで言う相手を怒らせて何が起きるかなんて想像もできない」
オボロの一件でも数万の人間に被害が出るのではと危惧したが、シオンや朱月の態度からして玉藻前の力はそのさらに上をいくと見ていいい。
数万を通り越して十数万の命が脅かされたとしてもおかしくはないだろう。
大人しく招待に応じることで、ひとまずはそれを防げるというのであれば安いものだ。
「それにしても、だ。何故あちらは突然俺たちまで招待する気になったんだろうな」
シオンの説明を聞いている限り、少なくとも玉藻前とシオンが約束をした時点ではシオンひとりが彼女のもとに会いに行くだけでよかったはず。
それが何故突然アキトたちにまで範囲が広がったのか、どうにもわからない。
「……艦長だけならまだわかるんです。彼女も〈光翼の宝珠〉の魔力は感知してたはずですから」
ヤマタノオロチに対抗できるほどの魔力を持つ〈光翼の宝珠〉とその契約者であるアキトに興味を持つ、というのは確かにあり得る話だ。
しかし、その場合でもあくまでシオンとアキトのふたりだけを呼び寄せれば済む話なので、こんなにも大人数を招待する必要はない。
「単純にシオンと仲が良いからとかじゃないの? 優しくしてもらえるくらいの仲ではあるんでしょ? もしかしたらアンタが人類軍の真っ只中にいるの心配してるんじゃない?」
シオンに対して比較的優しいという玉藻前からすれば、シオンが彼を危険視する人類軍の只中にいる状況は決して安心できるものではない。
だからこそ人類軍にあってシオンに好意的な人々に会ってみたいと考えた、というのがアンナの推測だ。
「ありそうっちゃありそうなんですけど、なんか引っかかるというか……」
「俺様もしっくりこねえんだよな。……シオ坊と仲良くしてるってだけであの女が人間風情にそこまで興味持つか?」
「人間風情って……」
「俺たち鬼も大概人間に興味なんてねえが、あの女狐も似たようなもんだろ」
「そうでもなければ無実の人間を処刑して楽しんだりはしないだろ」と言われてしまうと受け入れる他ない。
「それに、よく考えるとメンバーの選定基準も少し気になります」
「そう? 普通にアンタと仲良い人間って感じじゃない」
アキトから見てもアンナの言う通りシオンと仲の良い人間の名前が列挙されているだけに感じる。
しかしシオンははっきりと首を横に振った。
「だって、俺と仲が良いことが基準なら十三技班の他のみなさんとか、食堂のおばちゃんだって仲良しですよ」
「人数が多いから絞っただけじゃないの?」
「いや、時の為政者の寵姫だった女で、今も隠れ里の長をやってるような大妖怪だぞ? その気になりゃ四、五〇人くらいはもてなせるだろうよ」
仮にここにいない十三技班全員と食堂のおばちゃんを含めてもその基準には満たない。
その程度の人数であれば全員招くことだってできるはず、というのがシオンと朱月の共通の見解だった。
「あと、ミツルギ兄が含まれるのもちょっと違和感あります」
「……確かに、俺は手放しに“仲良し”かって言われると微妙なラインにいるな」
明確に敵意があるわけはないし他の人類軍の人間と比べれば十分好意的であると言えるが、人外に対するハルマの敵意は本物だ。
単純に“シオンと仲が良い人間”とは定義しにくいし、シオン相手はともかく玉藻前という人外相手にははっきり敵意を示す可能性が高い。
高確率で敵意を示してくるであろう相手をわざわざ招待するかと考えると、確かに違和感がある。
「そうは言いますが、そこまで細かく調べることが可能なのですか? 貴方への態度なんてそれこそ心でも読まなければわからないでしょう?」
「そうですね。だから多分、心とか記憶を探って調べたわけじゃないんです」
ミスティの指摘に何か確信を得た様子のシオンは顎に手をやりつつブツブツと呟き始める。
「俺の心を読んでたなら十三技班全員とおばちゃんも含まれるはずですし、艦内の人たちの俺に対する敵意とかを探ったならミツルギ兄が候補から外れたり、セレナさんあたりがリストに入ってたりするはず」
「誰の心を読まずにシオ坊の周りを探ったとなると……千里眼でこれまでの様子でも見たか?」
「過去も含めて俺の艦内での様子全部見たんだとしたら、やっぱり十三技班全員とおばちゃんも入ってくるよ」
ふたりで話を進めるシオンと朱月の会話を聞きつつ、アキトは脳内で情報を整理する。
まず第一に、シオンや艦内の人間の精神を読み取るというアプローチはされていないと見られる。
第二に、シオンの〈ミストルテイン〉内での生活を過去からさかのぼって観察したというパターンもないと見ていい。
その二種類のアプローチの可能性を否定したとして、残る手段は何があるか。
相手が魔法を使える以上人間には想像できないような手段も可能ではあるが、そもそも交友関係の調査というシンプルな問題に対しては難解なアプローチをするほうが難しい。
人間でも一番に思いつくであろう“対象の観察”と、人間にはできない反則技同然の“対象の精神の読み取り”という手段が否定された今、残されている可能性は、
「……内情を知る人間への聞き取り、という線はあるか?」
思わず口からこぼれた考えに、シオンと朱月の議論が止まった。
「「それだ!!」」
顔を見合わせて叫んだふたりはそのままアキトへと詰め寄る。
「そうです、それです! それならこのメンバーも納得できます!」
「単純に、誰かから見てシオ坊と仲が良さそうな人間に絞られてるってわけか!」
「それなら、食堂以外で顔合わせない食堂のおばちゃんとか、べったり一緒に過ごすわけじゃない十三技班の他の人たちが含まれないのも妥当ですし、その誰かが“仲良し”と思ってればミツルギ兄が含まれることもあり得る」
当事者とは別の誰かの主観に基づくため、シオン本人や実際に選ばれているメンバーの内心との乖離が発生した。
それがシオンの覚えた違和感の正体というわけだ。
「つまり、艦内の誰かの心が読まれ、その人物の認識をもとにメンバーが選出されたということですか?」
「……あれ? でもわざわざ適当な誰かの心読むくらいなら俺の心読むほうが早い気が」
ミスティの指摘通り無作為に誰かを選んで精神を読み取ったとした場合、その人物がシオンの交友関係をあまり把握していなかったら無駄骨になる。
精神を読み取るという手段が取れるのであれば、シオンの精神を直接読み取ってしまうほうが早い。
それをしていないのに、誰かの客観的な認識で招待する相手を選べているのだとすると、つまり――、
「……この船にあの女の息のかかったやつが紛れ込んでるのかもなぁ」
そう結論を出した朱月は、とても愉快そうに目を細めていた。




