5章-小さな鬼の襲来②-
シオン、ハルマ、朱月によって繰り広げられていた騒がしいやりとりもなんだかんだで終わり、どっと疲れた様子のハルマがソファに深く崩れるように腰掛けて大きく息を吐き出した。
「今後このふたりを相手にしなきゃならないのか……」
「馬鹿だなぁハルマの坊主。俺様たちみてえなのを真面目に相手すっからそうなるんだ」
「はいはい朱月は黙ろうなー」
ケラケラと笑う朱月の口にシオンが素早くクッキーを放り込んだ。ただ朱月の発言はばっちりハルマの耳まで届いていたようでハルマからは厳しい視線が向けられている。
「相手が誰でもちゃんと相手してくれるっていうのはむしろ美点だと思うよ」
「ここで言われても素直に受け取れないぞ……」
サムズアップするシオンの胡散臭い微笑みを前にハルマは怒る気も失せてしまったらしい。黙ってコーヒーを口にすると、ふと思いついたように再び朱月を見た。
「そういえば、そもそも朱月ってなんなんだ?」
「なんなんだって?」
「〈月薙〉に封印されてる鬼、とかなんとか言ってたけど、刀に封印されてるってどういうことだとかいろいろだよ」
言われてみればナツミたちはシオンによるかなり大雑把な説明以外は朱月について何も知らない。
日本生まれのナツミやハルマはともかく、レイスやリーナはそもそも“鬼”というもの自体よくわかっていないのではないだろうか。
「あー……説明って言っても俺も細かくは知らないしな」
「そんな相手と共犯者やってるのか?」
「成り行きでね。そもそも共犯者とか言ってたけど、コイツどうせ俺のこと魔力くれる相手くらいにしか思ってないんじゃないかな」
「オイオイ、それじゃあまるで俺様がろくでなしみてえじゃねえか」
「あながち間違ってないだろ。もっとわかりやすく言えばヒモだよヒモ」
ふざけた調子のやりとりは気安いものにも見えるのだが、実際のところシオンはかなり本気で朱月のことをヒモのようなものと言っているようだ。
シオンと朱月の性格や言動の雰囲気はナツミから見るとかなり似ているように思えるのだが、どうやら必ずしも仲がいいとは言い難いらしい。
「ふたりは、私たちが思うよりも関係が悪いのかしら?」
「仲良くはないね。考え方とかノリは合うんだろうけど」
「互いに利用し合う間柄だからなぁ。やり口なんかは好みなんだが」
リーナの直球の質問に対する答えはふたりとも同じようなもので、互いに「決して嫌いではないが仲良くはできない」と断言しているというのは聞いていてなんとも不思議な感覚である。
「同族嫌悪とか、そういうやつか?」
「そういうのとは違う気が……?」
ハルマの問いにシオンが首を傾げる横で朱月はのんびりといつの間にか用意していた緑茶をすすっている。
「いんや、“神子”と“鬼”が同族なわけもねえだろうさ。俺たちのこれは、あれだあれ」
指を彷徨わせながら少し言葉に悩んだ朱月がぴたりとシオンのことを指さす。
「互いに「この男は絶対いつか裏切るに決まってる」って確信してるから気を許さねえってだけだ」
「ああ、確かにそうだね」
「…………へ?」
当事者ふたりはすっきりしたとでも言いたげな顔をしているが、聞いている側からすると理解が全く追いつかない。
「裏切られるって確信してるから? 気を許さないけど? 一緒に行動してはいる?」
「レイス落ち着け。……お前だけじゃなくて俺たちもよくわかってない」
わかりやすく混乱しているレイスの肩をハルマが揺さぶっているが、そのハルマも実際のところは混乱しているだろう。ナツミやリーナも同じようなものだ。
「まあ、みんなにはピンとこない関係なんだろうけど。俺たちってホントに利害関係だけだからさ」
「互いに用済みになればすぐに切れるような縁だ。まあ縁が切れるついでに相手を殺っちまおうと思わねえ程度の情はあるけどな」
そんな関係でいいのかとナツミは思うのだが、本人たちは平然としているし特に疑問も持っていないように見える。
こうなってくるとナツミたちに口出しできるものではないとはわかるのだが、どうしても引っかかってしまう。
そんなナツミの困惑は顔に出ていたのか、シオンは困ったような顔をしながら頭をポリポリと掻いた。
「……正直お前たちにはわかんないかもだけど、朱月は“鬼”だ。日本においてこれ以上ないほどわかりやすい“悪いモノ”で、人間とは根本的に倫理観が違う」
言葉にしながらナツミたちの視線を誘導するようにシオンは朱月へと指を差し向ける。
「こんなぱっと見無害そうな外見してても鬼は鬼。人を食うこともあるし村は滅ぼすし宝は強奪するし病を振りまくことだってある。そんでもって基本的にそれが悪いことっていう認識はない」
ナツミからすれば想像もできないことをシオンは当たり前のように口にする。
そして今まさにそういった危険な存在だと言われている朱月本人もそれを否定せずにニヤニヤ笑っているだけだ。
「だから俺はコイツを信用しない。うっかり信用なんてしたらどうなるかわかったもんじゃないから」
「そんでもって俺様もシオ坊に隙なんて見せやしねえ。こんなガキみたいな面して殺られる前に殺る男だってことも、気に入らねえ相手は迷わず殺る男だってのもわかってっからな」
「……もしシオンがあなたを信用したら、あなたもシオンを信用するの?」
朱月の言葉はシオンが朱月を殺すかもしれないから隙を見せないといっているようにも聞こえた。
だから逆であれば朱月の答えも変わるのではないかと思ったナツミだったが、ナツミの問いを聞いた朱月は一瞬呆気にとられたようにポカンとしてからカカカと特徴的な声をあげて笑った。
「シオ坊がそうも隙だらけだったなら、とうの昔に食っちまってたろうよ!」
大笑いしている朱月はクッキーを豪快に一掴みすると口に放り込んでボリボリと大きな音を立てながら咀嚼する。
その野蛮な振る舞いはたった今口にした言葉を相まってナツミの恐怖心を煽った。
「ナツミの嬢ちゃん。悪いこたぁ言わねえから、鬼にあっさり心を許しちゃならねえ。お前さんみたいな別嬪はあっという間にぱくっといかれちまうからなぁ」
変わらず笑みを絶やさない朱月の言葉は冗談でも言っているかのように軽い。
細められた目の隙間から見える緋色の瞳は、弱い者を食らう肉食獣のような鋭さを秘めていた。
ヘビに睨まれたカエルのように動けなくなったナツミとそれを見つめる朱月。
呼吸すら忘れそうな緊張感はシオンの手が朱月の両眼を隠すように覆ったことで途切れた。
「朱月。ちょっと脅しが強すぎ」
嗜めるように投げかけた言葉は、怒りというよりは呆れのニュアンスを強く感じさせるものだった。
「なんだよ。どうせ後でシオ坊が言い聞かせるつもりだったんだろ?」
「だとしてもガチの食べちゃうぞ宣言とかいらないっての」
少し不満そうにシオンの手を掴んで外した朱月の雰囲気は先程までの恐怖を煽るものとは程遠い。シオンと軽口を交わし合っていたときのようなどこかゆるい空気に戻っていた。
それからシオンはナツミを――いや、ナツミだけではなくハルマやリーナたちに対しても気遣うような視線を向けた。
「ごめん、止めるタイミング逃して驚かせた」
「……いや、大丈夫だ」
シオンの謝罪にハルマが答えたが、その声は硬い。
直接視線を向けられたナツミほどではないにしろ、ハルマたちもまた朱月から恐怖を感じたのだろう。
そんなハルマの様子に顔をしかめたシオンだったが、すぐに表情を引き締めてナツミたちを見回した。
「もう言うまでもないんだろうけど、朱月に気を許しすぎないように」
とても簡単なシオンの言葉に、ナツミは反射的に頷いていた。
“人外を信用するな”
これまでナツミは何度もシオンからそう言われてきたが、今回初めてその意味を正しく重く受け止められた。
もちろんすべての人外が悪いわけではないだろうし、朱月もとてつもなく邪悪な人外というほどではないのだと思う。
それでも手放しに心を許してはいけないし、何も知らないままで近づいてはいけない。それをたった今身をもって理解した。
「……にしても。わざわざこんな小芝居打ってまで警告するなんて、お前にしてはずいぶんと優しくないか?」
ナツミたちから視線を外したシオンが探るように朱月を見つめる。
朱月はただその視線を大人しく受け止めるだけだった
「そうか? ただ退屈しのぎに遊んだだけかもしれねえぜ?」
「ふーん……」
朱月にしばらく探るような視線を向けたシオンだったが、やがて諦めたように視線を逸らした。
それから気を取り直したように妙に陽気な声で話し出す。
「さて、どっかの鬼さんが暗い雰囲気にしちゃったこの楽しいティータイムをどうしたもんか! ……一発芸のひとつやふたつしてもらわないとこの空気はどうにもならないんじゃないかなー?」
「あ! 俺様昼寝の時間だ!」
わざとらしいシオンの言葉を無視しなんとも言い難いセリフを残して、朱月は現れたときと同じように一瞬にして消えた。
「逃げやがったなあのクソ鬼」
「あはは……あの無茶振りは誰でも逃げると思うけど」
シオンはなんとも重い空気だけが残ってしまった室内を見回して、大きくため息をついた。
「冗談抜きでこの空気どうするよ……さすがの俺でもこの中で菓子食ってごろごろとかできないんだけど……」
シオンの言う通り、ナツミも正直今のこの部屋で過ごしたくない。
それくらいの重苦しい空気なのだ。
監視役代行の仕事に空気は関係ないとはいえこれは辛い。
そんなとき――
「やっほーシオン! やっっっと休憩もらったから親友兼相棒が遊びに来たぜ!」
中の空気など知ったことではないとばかりに突入してきたギルによって、一気に空気が変わった、というか強引にひっくり返されたという感覚だ。
正直先程までとの温度差が激しすぎて頭が全くついて行けていない。
「なんだ? みんな黙ってどうした?」
「……ギル。今回についてはよくやった!」
褒めると共にガバッと勢いよくシオンがギルに抱きつけば、事情はともかくシオンの機嫌がいいことだけは察したらしいギルもまたキャッキャと騒ぎ出す。
そんな調子で騒々しいふたりを見ていると、重い気分でいるのが馬鹿らしくなってきた。
「食堂で甘いもの買い込んできた!」と陽気に宣言するギルに引っ張られる形で改めてティータイムの幕は開くのだった。




