1章-月明かりの展望室①-
展望室は戦闘を目的とする戦艦の中にあって、戦闘のためではない施設のひとつである。
飛行戦艦というものは空を航行する都合安易に開閉できる窓を設けることができず、さらに船員が気軽に船外に出ることが難しい閉鎖空間だ。
そして任務内容によっては一か月以上をそんな閉じきった空間で過ごすこともあり得る。
それを踏まえ、〈ミストルテイン〉含め人類軍の飛行戦艦には船員たちのメンタルケアや気晴らしのために娯楽やリフレッシュを目的とした施設がいくつか用意されている。
展望室もそのひとつだ。
それら施設は船員であれば誰でも自由に利用できることになっており、ナツミは特に問題なく展望室に入ることができた。
展望室は主に「外の風景を楽しみつつリラックスすること」を目的に設計されている。
そのため、ベンチやテーブル、観葉植物などの点在する室内は強化ガラスのドームに覆われたような造りになっており、ちょっとした公園くらいの広さの展望室からはほぼ三六〇度を見渡すことができる。
できるだけ自然を感じられえるようにするため人口の照明はほとんどなく、夜も更けてきている今の時間帯は室内全体がかなり暗い。
また、入り口付近から軽く全体を見渡してみるが、ナツミ以外に人の気配はない。
「(ハズレ……かな?)」
人がいないということはシオンもいない、ということになる。
ここにいないとなるといよいよ私室の線が濃厚になってくるだろう。
若干諦めつつも展望室の奥へと歩き出したナツミは、ふと視線を感じて立ち止まる。
咄嗟にその出所を見つめたのと同時に、妙なモノと目が合った。
否、正直に言えば「目が合った」と言っていいのかは少し自信がない。
それは、端的に言えば黒い塊だ。
真っ黒で丸みのある何かに豆のような一対の目のような何かがある。
我ながら“何か”と称し過ぎて頭の中がこんがらがってくるのだが、そうとしか説明できない不可解なモノなのだから仕方がない。
その何かはベンチの影に隠れつつこちらをじっと見つめている。
特にこちらに何かを仕掛けてくる様子もないそれを眺めていて、気づく。
「(このなんだかよくわかんないもの、シオンに関係してるんじゃ……)」
そういえば第七人工島でシオンが初めて人類軍に協力したとき、妙な生き物を使って偵察をした、という噂があった。
その妙な生き物というのがまさしく目の前のモノなのかもしれない。
仮に噂の正体と目の前のモノが別だったとしても、このような不可思議な存在は確実に《異界》か異能の力に関係しているはず。
それが艦内にいるのだからシオンと関係しているのはほぼ確実だろう。
「……ねえ、おチビさん。あなたシオンの……ペットか何か? シオンがどこにいるか、知らない?」
その場でしゃがみこみつつ尋ねてみる。
よくよく考えれば目の前の存在に言葉が通じるのかはわからないが、運よく見つけたシオンの手がかりだ。
このチャンスを逃さずになんとしてもシオンのもとまで辿りつきたい。
それに対して不思議な存在は飛び跳ねるようにして移動し始めた。
かと思えばこちらを振り返って、催促するようにその場で飛び跳ねて見せる。
どうやらついてこいと言っているらしい。
飛び跳ねる不思議な存在に続いて、ナツミは展望室の端――夜空に浮かぶ満月が最もよく見える辺りまで移動する。
ほとんど照明のない空間であるはずなのに、美しい満月から注ぐ月明かりのおかげか他の場所と比べると随分と明るい。
あまりの美しさに目的も忘れて月に見惚れる。
そんなナツミの耳にわずかな息遣いが届いた。
振り向けば、一番月を見やすいであろうベンチに横たわる人影がある。
少し長めの黒髪とその隙間から覗く少々幼い寝顔は、ナツミもよく知っている。
「シオン!」
ようやく見つけた尋ね人に思わず大きな声が出た。……にもかかわらず当の本人はすっかり寝入ってしまっているらしく全く反応を返してくれない。
そしてそんなシオンの傍らにはここまで案内してくれた不思議な存在が、三体いた。
「え、え~……」
元々三体いたのか、あるいはさっき案内してくれた一体が増えたのかナツミにはわからないが、予想だにしない事態に思わずなんとも言えない声が出る。
どことなくシオンを守るような様子でこちらを見ている不思議な存在たちに、ナツミはどうしていいのかさっぱりわからない。
そのままなんとも言い難いにらみ合いをすることしばらく。
先にしびれを切らしたのは不思議な存在たちのほうだった。
三体の内の一体が二度ほど軽く跳ねて助走をつけるようにしてから三メートルの高さまで飛び上がった。
小さな体からは想像できないほどの高さの跳躍をただただ驚きつつ見つめるしかできないナツミ。
そんなナツミの視線の先で、不思議な存在は突如斜め下方向に急降下し――未だ眠りこけているシオンの腹部に勢いよく衝突した。
完全な不意打ちをくらったシオンは「うごぉっっっほっっっ!?」という間抜けな悲鳴と共にのたうち回り、最終的にベンチの上から勢いよく落下した。
思い切り顔面から落下してしまったのか微かなうめき声を漏らしつつ小刻みに体を震わせ額を押さえている。
「いってぇ……一体何が……?」
まだ若干寝ぼけているのかのそりとした動きで顔を上げたシオンがこちらを見る。
「…………は? 何でここにいんのお前?」
本当に驚いているようでシオンの反応は妙に鈍い。
まるでナツミがここにいてはいけないかのような反応に少しムッとしてしまう。
「何よオバケでも見つけたみたいな顔してさ……あたしがここにいたら悪いわけ?」
「オバケ扱いなんかしてないけど……? そもそも魔法とか使える俺がオバケ程度で驚くわけないじゃん」
「別にオバケ扱いに怒ってるわけじゃないから!!」
ナツミの言葉の後半はまるっきりスルーされてしまったらしく、シオンは彼女が何を不満に思ったのか全く理解できていないらしい。
そういえば目の前の男はそういうのを察するのが驚くほどに下手くそだった。そう思うと怒っているのもバカバカしい。
「で、ホントお前なんでここにいるの?」
「話をしにきたの」
「……誰と?」
「シオンとよ」
ナツミの返答にシオンは目を丸くして、それから少し困ったような顔をした。
「立ち話もなんだからこっち座れば?」
ベンチに座り直したシオンがポンポンと隣を叩いて見せる。
逃げたりせずにナツミと話をしてくれるつもりらしいシオンに内心ほっと胸を撫でおろしつつ、促されるままナツミはベンチに腰を下ろした。
ナツミとシオンが並んでベンチに腰掛けると三体の不思議な存在たちはシオンを挟んでナツミの反対側に陣取った。
つぶらな三対の目はシオンの太腿の影に隠れるようにしながらじっとナツミのことを見ている。
「あのさ、この黒くて丸っこいのは……?」
「ん? 俺の使い魔……ってお前は知らないか」
シオンが三体に「並べ並べー」と軽い調子で指示を出すと三体は横並びに整列する。
よく見ると三体は外見こそほぼ同じだがサイズが若干違っていて、左から順に大中小と言う風に並んでいるようだ。
「コイツらは俺が使い魔にしてる幽霊。左の一番デカいのから順に、ひー、ふー、みー、だ」
「……名前雑過ぎじゃない?」
ひー、ふー、みーということは通し番号同然だ。性別があるかは知らないが、まだ一郎、次郎、三郎のほうがはるかにマシだろう。
「コイツらにとっても俺の付ける名前なんてどうでもいいだろうし、呼びやすいのが一番だ」
そういう問題ではないだろうとは思うのだが、当の三体もシオンに同意しているのか頷くような様子で体を上下に動かしている。
本人たちも満足しているようなのでこれ以上口は出さないほうがよさそうだ。
「んで、俺となんの話がしたいんだ?」
「えっと、あのね……」
話したいことはいろいろとある。
あの日、うやむやになってしまった謝罪をもう一度ちゃんとしたい。
何故ギルや十三技班の面々を避けているのか聞きたい。
しかしナツミには、何よりも一番にシオンに言うべきことがある。
「シオン。あの日、アンノウンから守ってくれてありがとう」
本来ならこれはもっと前に伝えるべき言葉だった。
それを勝手な思い込みと最低最悪の疑惑で忘れ去っていたあの日の自分を思うと、情けないにもほどがある。
「シオンに守ってもらってなかったら、きっとあたしはあの日死んでたと思うから……本当にありがとう」
他にもまだ話したいことはあるが、ようやく伝えることができた感謝の気持ちにすっきりした気分だ。
「……別に」
ナツミの言葉を聞くばかりだったシオンがボソリと口を開く。
「別に、感謝されるようなことをしたつもりはないんだ。あれは俺がしたくて勝手にやったことだし」
「だとしてもあたしはそれで助かったんだもん。お礼くらい言わせて」
「つっても……」
妙に食い下がるシオンに違和感を覚えるが、若干頬の赤いシオンを見て彼が少し照れているのだと気づいた。
こうして食い下がってくるのは、多分照れ隠しなのだ。
「あたしのこれもシオンと同じで、あたしが勝手に感謝して勝手にお礼を言ってるの。あたしがしたいことをしてるだけだよ」
「……そっか。だったら俺がとやかく言うのはお門違いだよな」
「うん、そういうこと!」
そう言ってどちらからともなく笑い合う。
もっと気まずい空気になってしまうかと思っていたのだが、シオンとナツミの間に流れる空気は穏やかだ。
まだシオンの力のことを知らなかった頃と少しも変わらない。
「(違う、そんなの最初から関係ないんだ)」
例えシオンに異能の力があろうとも、シオン・イースタルという人間が違う人間になったわけではない。
月を見るのが好きなのも、ベンチで眠りこけるようなだらしなさも、察しが悪いところも、ナツミの知るシオンの姿と変わりない。
そんな当然のことにナツミはようやく気づくことができた。
「それと、あの日は勝手な思い込みで失礼なこと言ってごめん」
「あー……やっぱそれ気にしてたんだ」
続けて伝えた謝罪の言葉に、シオンはどこか呆れたような顔をしていた。
「気にしなくていいって言ったのに……まあでもお前らなら気にするか」
「お前ら?」
「委員長とレイスのこと。アイツらも気にしてるっぽくて……俺としてはミツルギ兄くらいの感じでいいんだけど」
「兄さんくらいの感じって……」
これ以上ないほどにシオンへの敵意を隠さないハルマと同じでいいと言われても反応に困る。というか進んで敵視されたいというのはどういうつもりなのだろう。
「てっきりそのことを改めて謝られるのかと思ってたのに、いきなりありがとうとか言われてびっくりした」
あははと笑いながら言うシオンになんともコメントしにくい。
それからシオンは何かを思い出したかのようにハッとした顔をする。
「そういえば俺からもちょっと聞きたいんだけど、お前、どうやってここに来たんだ?」
唐突なシオンの質問の意味がナツミにはわからなかった。
「どうやっても何も、普通に通路を歩いて……」
「あ、いや、聞き方が悪かった。ここに来るまでになんか変なことはなかったか?」
「変なことって?」
「道に迷うとか、急に全然違う場所での用事を思い出すとか」
妙に具体的な例を出してきたシオンを不審に思いつつ、ナツミは首を振ってそれを否定した。
するとシオンは眉間にしわを寄せて唸り始めてしまう。
「よくわかんないけど……もしかしてあたしがここに来れたのって何かおかしいの?」
我ながら変な質問をしているとは思うのだが、目の前にいるシオンが異能の力を使えるのもまた事実ではある。
もしかしたらそういうこともあるのではないだろうか?
「……実は、今この展望室には人払いの術がかけてあるんだよ」
「人払い?」
「文字通り人を払う――要するに指定した場所に許可されてる人間以外が近寄れないようにする魔法だな」
その魔法をかけている場所に許可のない人間が行こうとすると、一本道のはずなのに道に迷う、突然逆方向に行く用事を思い出すなどの現象に見舞われるのだそうだ。
「それじゃあ、あたしを見たときにあんなに驚いてたのって……」
「ちゃんと人払いしたはずなのにお前がいたからさ。普通に驚くよな」
確かにそう言われれば納得できる。
シオンからすれば間違いなくナツミは今ここにいてはいけない存在だったわけだ。
「でも、なんであたしはここに来れたの?」
「……さあ?」
「さあって……」
あまりに雑な答えに呆れ交じりにシオンを見るが、当の本人はどこ吹く風だ。
「まあ、人外の手で隠された秘密の領域にうっかり人間が迷い込むなんて昔話や神話ではよくあることだしな。宝くじに当たったみたいな感じだろ」
「そんなもんなの……?」
「他に思い当たる節がなくもないけど、確証もないから言わないでおく」
最後になんだか気になることを言われたが、こういう言い方をするシオンは何を言おうと本当に話してくれないというのは士官学校時代から知っているので、無意味な追求はやめておくことにした。
「それはいいけど、そもそもその人払いの術のことあたしに話してよかったの? 兄さ、じゃなくて艦長や副艦長に話すかもよ?」
異能の力や人外についてシオンは人類軍やアキトに対して必要以上に話をしていない、というのはブリッジでのアキトとシオンの会話からなんとなく察している。
以前、アキトが「シオンは人類軍を信用していない」と言っていたことを思えば、シオンが人類軍に対して手の内をあまり見せないようにしていることはナツミにだってわかる。
そんな隠すべき手の内のひとつを、ナツミにあっさり話してしまうのはよろしくないのではないだろうか?
「別に? 艦長たちに知られても問題ないし」
「問題ないの?」
「だって偶然突破しちゃったお前はともかく、普通の人間は術のことを知ってたところで対策なんてできないだろ? だからバレたところで別にって感じ」
言われてみればその通りだ。
それに急に別の用事を思い出すパターンで遠ざけられた場合、術のことを知っていてもその正体に気づけるかどうか怪しい。
「……さて、そろそろ時間も時間だし戻るかな」
ベンチから立ち上がってぐぐっと背伸びをするシオン。
どうやらシオンの中では話が終わってしまったようなのだが、ナツミにはまだ聞かなければいけないことがある。
「あの、シオン」
「ん? まだなんかあるのか?」
「うん。……あのさ、なんでギルや十三技班のみんなのこと避けてるの?」
引き止めようとするあまりかなり直球な問いかけになってしまった。
しかしシオンに聞くのであればきっとこれくらいのほうがいい。
そんなナツミの問いかけに対してシオンは、ぱちりとひとつ瞬きをして――
「避けるも何も、別に話す用事とかないけど?」
まるでなんでもないことのように、いつも通りの軽い調子でそう言った。




