1章-ナツミ・ミツルギは一歩踏み出す-
すでに日は暮れ、艦の外には真っ暗な夜空が広がっている時間帯。
ナツミ・ミツルギは〈ミストルテイン〉艦内をひとり歩いていた。
新人ながら〈ミストルテイン〉の操舵手を任されることになったナツミは、副操舵手と交代して休憩に入ったばかり。ちょうどシャワールームで軽く汗を流してきたところだ。
「……いきなり操舵手は、やっぱり大変かも……」
思わず漏れ出た愚痴はまごうことなき本心だ。
そもそもナツミは副操舵手として〈ミストルテイン〉に乗るはずだった。
しかし第七人工島での事件で操舵手になるはずだった人物が死亡してしまい、くり上がりで操舵手になってしまったという事情がある。
普通に考えればいくら本来その座につくはずだった人間が死んでしまったとはいえつい先日士官学校を卒業したばかりの新人に任せる仕事ではない。
しかし、どうも〈ミストルテイン〉の乗組員は少し特別な基準で選抜されているらしく、それに合致する代わりの操舵手が手配できなかったのだという。
その特別な基準とやらについては機密だと言われて教えてもらえなかったわけだが、とにもかくにもナツミの軍人生活はハードモードからのスタートになってしまったわけだ。
ナツミは基本的にはポジティブな性格なのだが、思わず愚痴が飛び出す程度には疲れている。
幸い、操舵の技術については問題ない。
士官学校時代、教師陣から「すぐにでも実戦に出せるレベル」と称されたナツミの腕はここまでの航行では十分通用している。
疲れの原因としては、操舵手としての責任がプレッシャーになっていることが大きい。
だがナツミを悩ませているのは何も自身の仕事だけ、というわけではない。
「(シオン、どうしてるかな……?)」
人工島での一件以降、ナツミはシオンと顔を合わせる機会を持てていない。
単純に操舵手の役目を任されたナツミがブリッジからほとんど動けないというのが一番の理由ではある。
基本的にナツミはこうして副操舵手と交代して休憩を取る時間以外あそこを離れられない。
であれば、その限られた休憩時間でシオンに会いに行けばいいのだが、それを躊躇ってしまっている自分がいる。
命を救われておきながら、シオンのことを危険な敵であると当然のように疑った。
遅すぎるナツミの謝罪も、彼は「仕方ないこと」と諦めたように淡々と言うばかりで正しく届いたかは怪しい。
そんな最後に交わしたやりとりを思い出しては、ナツミは一歩踏み出すことを恐れてしまう。
「(でも……気になるよね……)」
つい数時間前、ナツミは運よく実の兄であるハルマやリーナたちと昼食を共にする機会に恵まれた。
シオン相手ほどではないが操舵手になって以来そういった時間を設けることは難しくなっていたので純粋に嬉しい偶然だったのだが、そこでハルマからシオンがギルや十三技班の面々を避けていることを聞かされたのだ。
ナツミから見て、シオンとギルは間違いなく親友と呼べる間柄だった。
ナツミだけではなく当時のふたりを知っている人間であれば、みな同じように言うだろう。
そんなふたりが言葉を交わすことすらなくなっているというのが、ただショックだった。
シオンは、軍士官学校の時代からあまり人と関わりは持たない人物だった。
話しかければ普通に会話もするが、シオンのほうからそれを広げようとすることなく。そんな彼の一歩引いた態度を察して周囲もまた彼に深く関わろうとはしなかった。
今になって思えば彼の正体もそういった態度をとる理由のひとつだったかもしれないが、そもそも他人にあまり興味がなかったのだろう。
そんなシオンに躊躇うことなく歩み寄ったのがギルだった。
そして気づいたときには、シオンとギルが共にいる光景は当たり前のものになっていた。
シオンがいればギルがいて、ギルがいればシオンがいる。
“技術科の問題児コンビ”なんて呼び名が士官学校内で定着するまで、そう長い時間はかからなかった。
そんなシオンとギルを知っているからこそ、今の状況がナツミには信じられなかった。
「(……シオンと話そう)」
シオンがギルを避けていることにナツミが関係あるかと問われれば、関係はまったくない。口出しするべきではない部外者だということがわからないわけでもない。
それでもナツミはシオンと話すことを決めた。
何を話すべきかも正直考えてはいない。
そもそもシオンがナツミと話をしてくれるかもわからない。
けれど、何もしないままでだけはいたくないのだ。
ここで何もしないままでは、踏み込む勇気を持てなければ、ナツミは本当にシオンと向き合うことができなくなってしまう。
そんな嫌な予感が、ナツミの中で警鐘を鳴らしている。
シオンと真っ向から向き合うために。
あの日、きっと届かなかったであろう謝罪の言葉と気持ちを改めて伝えるために。
しかし、シオンと話そうとは決意したものの、アキトやアンナの指示を受けているときや出撃しているとき以外の時間をシオンがどこでどう過ごしているのかをナツミは知らなかった。
それはナツミに限った話ではなく、他の船員たちも正確には把握していないだろう。
いくら人類軍の協力者であるとはいえ特殊な立場にあるシオンの動向を把握していないというのは、一般的な人類軍人からすると考えられないことだ。
実際、そのことを危険視したミスティがシオンに監視をつけるべきだとアキトに進言している場面に遭遇したこともある。
ただ、人類軍上層部とシオンとの間で「プライベートにあまり踏み込まない」と約束しているらしく、ミスティの意見は結局通らなかった。
そしてその約束を尊重しているアキトもシオンの動向を詳しくは把握していないようだった。
「(ラステル戦術長あたりは知ってるかもだけど……)」
唯一可能性のあるアンナだが、彼女もまた休憩時間中のはずなので居場所がすぐにはわからない。
無暗に探すよりはいいかもしれないが、ナツミの休憩時間もあまり長くはないので悩ましい。
「(士官学校にいたころはどんな感じだったっけ?)」
休日のシオンはというと、かなりぐうたらだったという記憶しかない。
授業や用事がない休日に何をしているのかと何気なく聞いたときには、当然のように「一日ごろごろしてる」と即答した。
暇なら遊ぼうと誘っても、最初に出てくる言葉はいつも「え~」という渋るニュアンスのものだった。
その一方でスイーツバイキングや大きな書店に行くと言えばすぐさま誘いに乗るような簡単な面もあったが、とにかく基本的には怠惰で出不精だった。
そのことを考えると、一番可能性が高いのは「自室でだらけている」という答えなのだが、その場合ナツミはシオンに会うのが難しい。
〈ミストルテイン〉内でシオンに与えられている部屋がどこなのか、知っている人間は非常に少ない。
というのも、知っているのはアキトやミスティ、アンナのような船内の主要メンバーに限られているのだ。
人類軍上層部が協力者として認めているとはいえ、異能の力を持つシオンをよく思わない人間は多い。
私室を知られることでそういった人間が何らかの攻撃を行う可能性も否定できないため、秘匿しているそうだ。
おそらく艦長であるアキトなどの私室があるような高いセキュリティで守られた区画にあるだろうと噂はされているが、それも定かではない。
その噂の真偽はどうであれ、ナツミが訪ねるのは難しいということは確かだ。
さっそく壁にぶつかってしまったナツミは人気のない通路でうんうん唸る。
ようやく決心がついたのだし、聞きたいこともあるのであっさり諦めたくはない。
しかし、シオンが与えられている私室にいるのなら、その時点でどうしようもない。
しかもナツミの知る彼の生活態度を思い出せば思い出すほどそれ以外の可能性がないような気になってくる。
意外と食い意地が張っていることを考えれば食堂という線も考えられるのだが、いくらシオンが図太い神経をしているとしても他の船員が日常的に出入りする場所に入り浸るとは考えにくい。
――せめて、他に一か所くらいシオンの居そうなところってないかな……
そんな風に考えつつシオンと過ごした日々を思い返しているなかで、ひとつ、思い当たることがあった。
「(……お月見するのも好きなんだったっけ)」
たまに月が綺麗な夜があると、シオンはひらけた場所でのんびりとそれを見上げていた。
偶然それを見かけて一緒に夜空を見上げたことも何度かあった。
月を直接見ることができる場所、となれば窓のほとんどない戦艦の中では限られてくる。
そしてその中で誰でも自由に立ち入ることができる場所となれば、一か所だけだ。
「……展望室」
思い至った場所の名を小さく口にしつつ、ナツミはさっそく展望室へと歩き出した。




