4章-燃え盛るは鬼の焔-
「「「「「「「「アアアアアアアア!」」」」」」」」
大きく開かれた八つの口から響き渡る叫びが大気を揺らし、黒く小さな蛇が濁流のように空を飛び回る。
大地は裂け、おぞましい声が響き、空が黒い奔流に汚され、巨大なヤマタノオロチがその巨体を荒ぶらせる戦場を前に、ふとシオンの頭には“この世の終わり”や“地獄絵図”という言葉が頭を過ぎった。
そんなどこか他人事のような感想を抱く傍ら、〈アサルト〉に迫ってきた無数の蛇を炎を纏った〈月薙〉が一閃する。
「ったく、キリがねえな」
苛立ちを隠さない朱月が舌打ちする。
同時に、その苛立ちが焦りでもあるのだとシオンは理解している。
この戦いがギリギリのものになるのはシオンも朱月も承知の上ではあったが、それにしても状況は厳しすぎる。
〈アサルト〉はおもむろに急加速すると、蛇の奔流や八つの首を掻い潜ってその内一本の根本へと肉薄する。
「せやあああっ!」
気迫のこもった雄叫びと共に振り抜いた炎の刃がそれを一閃するが、首が重力に従って地面に落ちるよりも先に断面から噴き出した黒いもやが新しい首へと変わってしまう。
『やっぱり、再生速度が上がってる』
最初に首を落としたとき、新たな首が生え変わるまでには少なくともヤマタノオロチが痛みに悶えて叫ぶくらいの時間があった。
しかし、今の再生にはその半分の時間もかかっていない。
ここまでに朱月の斬撃によって十数回は首を落としてきたが、その度に再生速度が増しているかのような印象を受けている。
「やっこさん。眠気が失せてきたんじゃねえか?」
『俺たちが思ってたよりも寝起きがいいってわけか』
一〇〇〇年以上の眠りから目覚めて、多めに見積もっても一日経過しているかどうか。
十分に力を発揮できるようになるまでもう少し時間を要するのではないかと睨んでいたのだが、どうやら予想が外れてしまったらしい。
「さすがに早すぎる気はするんだが……んなこと言ってる場合じゃねえな」
結論から言えば、シオンたちの予想よりもヤマタノオロチのコンディションがいい。
それはそのままシオンたちの勝率の低下に繋がる重要な問題だ。
「もうしばらくすりゃあ日も暮れる。……オロチはともかくちっこい蛇どもは夜闇に紛れて見えなくなりそうだ」
『それ、笑えない』
「ああ、笑えねえな。……だが、この調子でちんたらやってたらそれまでに終わらねえぞ?」
日はすでにかなり傾いてきている。残された時間はあまりないが、ヤマタノオロチの勢いはむしろ増してきている。
あれだけ首を落としているのだからそれなりに魔力は削げているはずだが、肉体に余力があるとなるとまだ再封印は厳しい。
「そろそろ本気で終わらせにかからねえとこっちがやられる。……シオ坊、覚悟はいいな?」
『わざわざ聞かなくていい』
ここまでは深追いはせずに生存率重視の戦法で戦ってきたが、もうそんな悠長なことは言ってられないだろう。
『ありったけ魔力を回す。確実に終わらせよう』
「応!」
身の内に残る魔力をすべて〈アサルト〉の内にある〈月薙〉本体へと流し込む。
想定スペックを超えるエネルギー量にコクピットには警報が鳴り響くが、あえてそれを無視してシオンはさらに魔力を注ぐ。
膨大な魔力はECドライブを動かすにとどまらず、溢れ出た魔力は光となって〈アサルト〉を覆っていく。
「っしゃあ! その首まとめて落とさせてもらうぜ!」
機体そのもののブースターによる加速に魔力による推進力を加えた〈アサルト〉は瞬く間に空を駆け抜けてヤマタノオロチへと肉薄する。
それに八つの首が反応するよりも先に、すれ違いざまに首のひとつを落とした。
さらにすぐさま軌道を変えてもう一本。
距離は保ったままに飛ばした燃え盛る剣閃がさらにもう一本の首を斬り落とす。
ものの数秒で三本の首を失ったヤマタノオロチはさすがに堪えたのか残る首から大きな悲鳴を轟かせた。
その悲鳴に応じるように影から飛び出してきた蛇の群れが〈アサルト〉を狙って殺到する。
その群れの数は四。四つの蛇の群れが濁流のように四方からこちらを狙う。
「雑魚に用はねえんだよぉぉぉっ!」
両手で構えた〈月薙〉に纏わりつく炎がより強く燃え上がる。
朱月はその刃を力強く振るい〈アサルト〉の周囲に炎を撒き散らした。
荒れ狂う龍のように〈アサルト〉周辺を駆け巡る炎は迫る蛇たちを一気に焼き払い、薄暗くなりつつある空を赤く染め上げる。
多くの蛇を消し炭へと変え、ヤマタノオロチと〈アサルト〉の間を阻むものはない。
これを好機と高く掲げた〈月薙〉の纏う炎にさらに多くの魔力を注ぐ。
激しく燃え上がらせず収束させた炎は、やがて鋭く力強い灼熱の刃へと形を変えた。
その対面では再生を終えたヤマタノオロチが八つの口のそれぞれに漆黒の魔力を集め、こちらを狙っている。
今の〈アサルト〉にその攻撃を躱す余裕はない。否、そもそも朱月には躱すつもりがない。
「まとめて焼き斬ってやらあ‼︎」
力強く振り下ろした〈月薙〉から紅蓮の業火が放たれるのとヤマタノオロチが黒の奔流を放つのは同じタイミングだった。
赤と黒は激しくぶつかり合い、大気を揺らし、大地を砕く。
ふたつが拮抗する中、けたたましい警報と共に〈アサルト〉のモニターには各部の異常が表示される。
『魔力の拮抗以前に先に機体が爆発しそう!』
「だったらその前片付けねえとなあっ‼︎」
押し負ければ死が待っているという状況に不釣り合いに朱月が好戦的に笑う。
その瞬間シオンの髪が白く染まった。
同時に勢いを増した炎が黒の奔流を押し切り、ヤマタノオロチを飲み込んだ。
「っしゃああ! 丸焼きだ!」
巨体は炎に包まれ、今なお激しく燃え盛っている。
生き物はもちろん人外であっても到底無事ではいられないだろう。
しかし、シオンはどうしても嫌な予感がして仕方がない。
そんなシオンが見つめる先で炎に包まれて悶え苦しむヤマタノオロチの首のひとつがこちらを見たような気がした。
『っ朱月!』
「!」
シオンの声に瞬時に反応した朱月が機体をわずかに動かした次の瞬間、細く鋭い黒の一閃が駆け抜け、〈アサルト〉の左腕を斬り落とした。
ここまでの攻撃と比べれば極めて弱々しい一撃だが、それでも目の前の敵にはまだ戦えるだけの余力がある。
まだ、終わっていない。
『(でも、こっちは限界だ……)』
左腕は見事に斬り落とされた。そうでなくても先程の無茶が祟って機体の各部が悲鳴を上げているし、魔力だってもうほとんど残っていない。
これではヤマタノオロチの防壁を突破してダメージを与えるのも厳しい。
『(あと少しだってのに……!)』
こうなってしまえば、シオンが選べる道はひとつしかない。
『朱月、お前は離脱を……』
「おいシオ坊」
シオンの言葉を遮った朱月にヤマタノオロチに動きがあったのかと警戒するが、その朱月の注意は別の方向へと向けられているようだった。
シオンもまた朱月が注意を向ける先へと意識を向け、気づいた。
『何か、来る⁉︎』
その何かはこちらに向かって移動してきているわけではない。
今この瞬間、この場に転移してこようとしている。
〈アサルト〉のやや後方で金色の魔法陣が浮かび上がる。
それはとてつもなく大きいもので、その事実はそのまま転移してくるものが大きいということの証拠でもある。
そしてそれだけの大きさのものを転移させるなど並みの人外ではできない。
一瞬京都の女帝からの援軍の可能性が頭をよぎるが、魔力の種類が妖のものとは違う。それ以上に、どこか覚えのある魔力である気がする。
困惑するシオンが結論を出すよりも先に、その答えはゆっくりと姿を現していく。
曲線の目立つシャープなシルエットを目にした瞬間、シオンは「あり得ない」と無意識に零した。
あり得ない。不可能。そんなはずがない。
そんな否定の言葉ばかりが脳内を駆け巡るが、それは確かな現実としてここにある。
わずかなノイズのあと、どうせかかってこないからと特別遮断なそしていなかった通信が繋がった。
『……こちら〈ミストルテイン〉、これより戦闘を開始する!』
アキトの力強い号令と共に、〈ミストルテイン〉の各武装が火を噴いた。




