4章-神子と鬼は企てる-
ブリーフィングルームから立ち去ったシオンはひとり自身に与えられた私室へと戻った。
無言のままにドカリと荒々しくベッドの上に腰を下ろして、ひとつ大きく息を吐き出す。
「随分とご機嫌斜めじゃねえか」
シオンしかいないはずの室内で、心に直接ではなく確かな音として耳に届いた声。
わずかに視線を動かせば部屋の片隅に小さな人影があった。
「……いつの間に実体化できるようになったわけ?」
「そんな疑わずとも最近のことだっての。神子様から魔力をいただいたおかげさまで、な」
一歩こちらに踏み出した小さな人影、実体化した朱月はニヤニヤと笑っている。
「にしても、アキトの坊主がああ言い出すのはわかってたことだろうに」
「……あんな馬鹿な人だとは思ってなかったよ」
「そうか? あんな馬鹿だから懐いてんだと俺様は踏んでたんだがなあ」
ゆっくりとこちらに歩いてきたかと思えば朱月はシオンのすぐ横でベッドに体を投げ出した。
小さな体を伸ばしてだらけながらシオンのことを面白そうに見上げてくる。
「合理性だのなんだのと考えりゃあ楽できる道を損だとわかってても選べない。見なかったことにでもすりゃいいもんを見逃せない」
静かな部屋で囁くように紡がれる言葉にははっきりと嘲笑うようなニュアンスが含まれている。
「だけどよ、シオ坊はそういうの大好きなんだよなあ?」
愉快そうに、そして見透かすように話す朱月は未だ幼い子供の姿をしているというのにそこに無邪気さなんてものはない。
あるのは人を揶揄うような悪意と惑わせるような妖しさだけだ。
「そんなこと、今はどうでもいいんだよ」
「本当にいいのか? そもそもアキトの坊主に頼まれて断った時点でおかしい気はしてたんだがよ」
「相手が悪い。……庇いきれなかったら終わりだ」
シオンが自身にできるすべての力を存分に発揮したとしても、ヤマタノオロチの猛攻の中で〈ミストルテイン〉を守りきれる保証がない。
そうすれば当然シオンの守るべき者たちの命もない。それだけは絶対に避けなければならないのだ。
「でもよお。お前が話に乗ろうが乗らまいがこの船はオロチに挑むんじゃねえか? そうなりゃどっちにしろ全員お陀仏だろ」
朱月の言う通り、シオンが協力しなかろうがアキトが必要と判断すれば〈ミストルテイン〉はヤマタノオロチに対峙することになるだろう。
それはシオンにだってわかっている。
「そもそも、なんか勘違いしてない?」
「何がだ?」
「艦長の申し出は確かに断ったけど、それだけなんだよ」
きょとりと見た目の幼さにふさわしい仕草で首を傾げて数秒。シオンの意図するところを理解したのか朱月の顔はみるみる悪い笑みを深めていく。
「なるほどなあ……協力しねえとは言ったが何もしないなんて言った覚えはねえってか」
「できれば手出しせず京都の皆さんに押しつけたかったんだけど、こうなった以上俺も動かなきゃならない」
〈ミストルテイン〉はヤマタノオロチが京都に差し掛かるよりも前に確実に動こうとする。
京都の人外たちに頼る間がないというのなら、シオンがやる他にない。
「〈ミストルテイン〉が動く前に、近寄る前に、俺がヤマタノオロチに対処する。……そのためにお前の力も存分に借りるつもりだから覚悟しておいてよね」
「カカカ! いいぜえ! お前に死なれちゃあ困るし、神話のバケモノに喧嘩売るなんてなかなか面白えじゃねえか!」
やる気が出たのか体を起こして豪快に笑い出す朱月。
これでヤマタノオロチに挑むために必要な条件のひとつが満たせた。
「つっても、いくら≪天の神子≫様と俺様が力を合わせたところで、多分アレは殺せねえぞ?」
「あ、そこはお前もちゃんとわかってるんだね」
ヤマタノオロチ。神話にも名を刻むあの存在について詳しい情報を把握しているわけではないが、少なくとも人外の手でも殺すことは不可能、あるいは殺さないほうがよいのだろう。
そうでなければ、今よりも神と呼ばれるに足る人外が多くこの世界にいたはずの神話の時代に封印なんて殺すよりも手間のかかる方法を選ぶはずがない。
高い神格を持つ神ならばそもそも不死である可能性もあるし、死後に転生できてしまうパターンもある。
そのどちらだったとしても、殺すのではなく再封印するのがシオンたちの取るべき選択なのだろう。
「封印は、当てがあるからなんとか」
「こないだの魔女どもか?」
「いや、今回は……京都の女帝様に」
「うげ……あの女と繋がりあんのかよシオ坊」
あからさまに嫌そうな顔をする朱月もまた、シオンの口にするところの女帝と面識があるらしい。
日本の妖怪で彼女を知らないものなどいるはずがないとは思っていたので今更驚くことでもないが。
「あの人なら再封印だって不可能じゃない……っていうか京都に押し付ければ最終的にそうなるだろうと思ってたんだよね」
「ああなるほど。妙に京都の連中を評価してやがるなと思ってたが、そういうことか」
京都に隠れ住む無数の人外の中でシオンが直接の面識を持つ、絶大な力を持つ大妖怪。
人類軍への説明はともかく、シオンは最初から彼女にヤマタノオロチを押し付けるつもりだったのだ。
「事前に相談して協力を取り付ける。……少なくとも拒否はされないはず」
「そりゃあいい。だったら後は殴り込むだけか?」
「いや、まだちょっとやることがある」
シオンはベッドから立ち上がり、ひとつ指を鳴らした。その直後シオンの体が歪み、変化し始める。
身長は伸び、体は分厚く。
身に纏う技術班の作業着は人類軍の軍服、特に地位の高い軍人が着るものへと変わる。
黒髪、金色の瞳、精悍な顔つき。そこにいるのは誰がどう見てもアキト
ミツルギその人である。
「すっかり変化の術も板についてきやがったな……」
「神子としての能力上、妖術との相性も抜群なんでな」
声も、さらに口調も彼を真似て話してみれば、我ながらかなりアキトらしく振る舞えている気がする。
これならば相当彼と親密な人間でもない限りは騙せるだろう。
それからシオンは、アキトの顔でとある場所へと通信を始めるのだった。




