4章-≪天の神子≫ ③-
アンナの見舞いからの人外社会講座特別編から時間は過ぎ、時刻は深夜。
神子というシオンの正体には驚かされたがそれですぐに何かが変わるというわけではない。
さすがに上層部にこのことを報告する必要はあるが、シオンが強い力を持っていることは以前からわかっていたことでもある。
上層部の認識が何も変わらないとはさすがに言わないが、現在の人類軍とシオンの間の協力関係がすぐさま覆るということはないだろう。
シオンは一時間ほど前にすでにベッドに横になって眠る態勢に入ったのだが、アキトは上層部への報告書をまとめているところだ。
静かな部屋にはアキトがキーボードを叩く音だけが微かに響いている。
「……艦長」
唐突にシオンがアキトのことを呼んだ。
普段であれば横になれば数分とかからず眠りについてしまうシオンがまだ起きていたことに単純に驚いてしまい、少し反応が遅れる。
「どうした? ……体調が悪いのか?」
シオンが眠る態勢に入っている一方でアキトが仕事を続けているという状況は別に珍しくもないので彼の眠りの妨げになっているとは思わない。
であれば体調でも悪いのかとアキトは考えたのだが、その問いにシオンは肯定の返事を返してはこない。
それどころかベッドに横たわるシオンはアキトに背を向けていて、表情も様子も確認することはできない。
「別に大したことじゃなくて、ちょっと気になったことがあるんですけど」
「なんだ?」
あくまで背を向けたままで言葉を続けるシオンはアキトの問いかけに少しだけ黙り込む。
「なんていうか、俺の話聞いてどう思ったのかなって」
ようやく投げかけられた問いは、なんとも曖昧なものだった。
「どうってなんだ?」
「どうはどうですよ。艦長はどう思ったのかなって話です」
曖昧な問いを繰り返す様に疑問を抱きつつも、アキトはシオンからの問いについてかんがえる。
俺の話、というのは昼間に話をしたシオンが何者なのかという話題のことで間違いはないだろう。
そして、アキトがその話を聞いてどう思ったのかと聞かれれば……。
「少し嬉しかったかもしれない」
「……俺が神子なことが?」
「いや。話をしてくれたことが、だ」
シオンにとって、人類軍が信用などできない相手であるのは今でもきっと変わっていないだろう。
そんな相手に自身の正体を話すというのはデメリットしかない行為だ。
シオンにそれがわからないはずがない。
にもかかわらずシオンはアキトの問いかけに正直に答えてくれた。
何も知らないアキト相手であればいくらでもごまかしようはあっただろうし、アキトに話せばどうしても上層部にも伝わってしまうことだってシオンであれば承知しているだろう。
「お前にとってデメリットしかないのに、打ち明けてくれた。俺を少しは信用してくれてるんだとわかって嬉しかったんだ」
無知で、無力で、シオンにとって頼ることすらもできない情けないアキトを、多少なりとも信じてくれている。それが純粋に嬉しかった。
「…………」
「この答えじゃ不満か?」
アキトの答えになんの反応も返さなかったシオンだが、やがてゆっくりと体をこちらに向けた。
「不満とかはありません。ちょっと予想斜め上だったたけで」
「そうか。ならいいんだが」
こちらから溝を作ったり距離を置いたりと迷走した自覚はある。
そんなシオンがせっかく多少心を開いてくれつつあるというのに、選択を誤って失敗したくないというのがアキトの本音だ。
幸いそういうわけではないようだが、妙に言葉の少ないシオンの振る舞いは普段と違い過ぎて正直調子が狂う。
「艦長。俺はね、多分艦長が思ってるよりずっとあなたを信用してるんですよ」
静かだった部屋にポツリとシオンの言葉が響く。
「最初から“魔法使い”だからって差別しなかったし、ちゃんと話を聞いてくれたし、当たり前みたいに謝ってくれた。……正直いい人すぎてちょっと苦手とか思ったりもしたっけ」
「……苦手とか言われるとさすがに傷つくな」
「前はって話ですよ」
クスクスと小さく笑うシオンは普段の彼よりも優しい気配を纏っている。
「この数日でどっちかと言うと俺と同類だってわかったし、前よりはずっと親しみやすくなりましたとも」
「それなら、飾らず本性を見せた甲斐もあったな」
「ええホントに。どうせなら最初っからそんな風にしてくれればもっとお互い楽だったでしょうに」
「……最初からこうなら、お前は俺を頼ってくれたか?」
小さく微笑んでいたシオンは、アキトの問いかけに目を丸くした。
しかしアキトにとっては重要な質問でもあるのだ。
もしも最初からもっとシオンと友好的な関係が築けていたとしたら、状況は変わっていたのだろうか。
アマゾンの戦いでシオンが騙し討ちのような方法で〈ミストルテイン〉を遠ざけることも、オボロとの交渉でシオンが一夜限りとはいえ自らの身を差し出すことも避けられたのだろうか。
「そういう問題じゃありませんよ」
シオンの答えは決して冷たい印象はなかったが、淡々としたものだった。
「俺たちの関係がどうであれ、俺はきっと艦長を頼ったりはしてませんでしたよ」
「俺たちが何もできないからか?」
アキトたちには人外に争う力も知識も足りていない。だから頼れないのかと問えばシオンは黙って首を横に振る。
「だって、守るべきものを自分から危険に巻き込むなんて本末転倒もいいところじゃないですか」
「それに、昼間に話したとおりこれでも神の端くれですから。こう見えて、他人に頼らずとも大体のことはできちゃうくらいの格はあるんですよ」とシオンは笑い混じりに答えた。
「だとしても万能なわけじゃないんだろ? お前でもどうにもならないことはどうする?」
「とりあえず〈ミストルテイン〉は意地でも逃しますから大丈夫ですよ」
アキトは何が大丈夫なんだと叫びそうになるのをぐっと堪えた。
これまでは頼るに値する力がないからシオンはアキトたちに頼らないのだと考えていたが、それが間違いだったのだ。
そもそもシオンには他人に頼るという発想がない。
元より本人が大抵のことをこなせるというのもあるだろうが、それ以上にシオンにとって身内と定めた相手は軒並み守るべき対象と見做されている。
頼ることでトラブルに巻き込むという行為自体がシオンの考えに反するのだろう。
「(なら、俺はどうすればいい?)」
アキトとアンナはシオンがひとりで全てを抱え込むことを止めさせたい。もっと周囲に、自分たちに頼ってほしい。
しかしシオンはそんなことを考えてすらもいないし、それ以上にアンナのような守るべき相手を危険に晒すことをよしとしない。
アキトたちの願いは、シオンの願いと真っ向から相反しているのだ。
言いたいことを言い終えたとばかりにいつの間にか眠ってしまっているシオンを前に、アキトはそっと息を吐く。
「……俺たちは、お前に何をしてやれる?」
アキトの問いかけに答える者はいない。言葉はただ虚しく部屋の空気に溶けていくだけだった。




