4章-アキト・ミツルギは兄である①-
目が覚めて、見慣れない天井を見上げて少し戸惑ってから、そういえば自分がアキトの私室で世話を焼かれることになったのだと思い出す。
眠る前と比べればいくらか疲れも取れて動かしやすくなった体を起こせば、すぐそばのローテーブルの上で事務仕事か何かをしているらしいアキトがこちらを見ていた。
「……ん、おはようございます」
「ああ、おはよう。と言ってももう昼も過ぎているがな」
指摘されて時計を確認すれば表示されている時刻は十三時を過ぎている。
よくよく考えれば眠りについたのが何時だったのかも把握していないが、アキトの態度を見るに相当長い時間眠りこけていたのかもしれない。
「体調はどうだ?」
「だいぶマシですね」
「食欲は?」
口を開くよりも先にシオンの腹がきゅるるると間抜けな音を鳴らした。
言葉にするよりもわかりやすいアピールにアキトは小さく笑いをこぼすと、小さな四角い容器をシオンの前に差し出した。
「サンドイッチですね」
「ああ。確実に腹を空かせているだろうと思って準備しておいたんだ」
さらに水の入った小ぶりのペットボトルをシオンに手渡すアキトだが、未開栓だったものを体調の悪いシオンでも開けやすいように一度開栓してゆるく閉め直してから渡すという気遣いを流れるようにやってのける姿に感心半分呆然半分という具合である。
空腹からがっつこうとするシオンをアキトがゆっくり食べろと嗜める一幕などありつつ遅すぎる朝食を終えれば、アキトの大きな手がシオンの額に添えられた。
「熱などはないか」
「まあただの疲れですし……」
「それだけ弱っていれば風邪を併発することだってあるだろ。まあ今のところ問題ないようだがな」
「熱がないならシャワー浴びてもいいですか? 寝汗かなんかわからないですけどちょっとベタベタするんですよ」
正確にはわからないが、おそらく温泉で体を清めてから最低でも二十四時間以上は経過している。
シオン自身特別綺麗好きというわけでもないが、一度気になってしまうとさっぱりしたい気分になってくるものだ。
「それは構わないが……ひとりで立てるのか?」
「んー多分大丈夫ではないかと」
ベッドから足を下ろしてすっと立ち上がって見せる。
シオン自身問題なさそうだと判断し颯爽と歩き出そうとして――盛大によろけた。
間一髪でアキトに支えられて床に体を打ちつけることこそなかったが、なかなか危なかった。
「……ダメじゃねえか」
「艦長、素が出ちゃってますよ」
「それで誤魔化せると思ってんなら大間違いだぞ?」
支えられた状態から少々乱暴に抱き上げられすぐにベッドに転がされる。
仁王立ちしてこちらを見る目は厳しい。
「早速ひとつ学んだ。お前の大丈夫は基本信用できねえ」
「そんなことないと思うんですが」
「今の流れでそんなことないって言い張れるお前の神経を疑うぞ」
普段周囲に見せている“艦長”としての言動がログアウト気味になっているあたり割と本気で怒っているのだとシオンは察した。
「いやー俺自身イケると思ったんですけど……」
「それはもういい。で? どうする?」
どうするとは、という意味を込めて首を傾げてみせればアキトは指を二本立ててみせた。
「シャワーを浴びたいなら選択肢はふたつ。ひとつ、温泉のときと同じように俺に介助されながら浴びる」
「パスで」
深く考えるまでもなく気づけば即答していた。
しかしこの年齢で他人に体を洗ってもらうというのはやはり精神的に厳しい。
「ふたつ、濡れタオルで体を拭く」
「でもそれ、自分の手が届かない範囲もあるのでは?」
「俺が拭くから問題ない」
「却下です! ていうかそれひとつめの選択肢とほぼ変わんないじゃないですか!」
叫ぶシオンに対してアキトは意地悪く笑っている。その表情を見て、アキトはシオンがこういった反応をするのがわかっていたのだと察する。
「趣味が悪い……」
「自分の体調も考えず無茶しようとするからだ。少しは大人しくしてろ」
鼻息荒くアキトはそう言ったが、思いついてしまった以上シャワーは浴びたい。
それにここで引き下がるのは負けた気がする。
「じゃあ折衷案です。俺はとにかくシャワーを浴びます。その途中で俺がひっくり返ったらそのまま介助コースで構いません」
立ち上がるときは対して問題なくできたのだから、先程シオンがすっ転んだのは油断して動いたからということが大きいと思われる。
注意してゆっくりと動けば、おそらく歩いたりシャワーを浴びたりすることはできる。
もしそれでも失敗したら大人しくアキトの手を借りる。
じっとアキトを見つめる目にシオンが意地でも譲る気がないと察したのか、最終的にアキトは折れた。
それから十数分後。
無事にシャワーをひとりで浴び終えたシオンはさっぱりとした気分と達成感でから上機嫌でベッドに腰かけていた。
途中若干危ない場面はあったが、素早く魔法で対処することで転倒せずに済んだ。
そんなことに魔法を使うなと言われそうではあるが、何をどう使おうとシオンの勝手なのである。
「ふふん、この調子ならもう明日くらいには自室に戻っちゃってもいいんじゃないですかね?」
「調子に乗るな。それから髪はちゃんと乾かせ」
アキトはシオンが肩にかけていたタオルを掴むと、ガシガシと生乾きだったシオンの髪を拭き始める。
「艦長、あんたはお母さんかなんかですか⁉︎」
「お前みたいな手のかかるガキ持った覚えなんてねえよ」
そんなやりとりをしている間に乱暴に髪を拭かれ、さらにはいつの間にか用意されていたドライヤーであっという間に髪を乾かされてしまった。
「……なんかこう、手馴れてません?」
シオンは目を覚ましてからなんとなくあった疑問をアキトにぶつける。
目を覚ましてすぐのタイミングから、軽めの食事を用意されたり体調を聞かれたりこうして髪を乾かされたりと世話を焼かれてきたわけだが、どれもこれも妙に手馴れている印象があった。
アキトがもう少し年齢高めの女性だったならまったく違和感などないところなのだが、彼は二十代も半ばの男性である。
「まあ、俺は兄貴だからな」
ドライヤーやタオルを片付け終えたアキトはシオンのすぐ隣にドカリと座る。
「十年前に母さんが事故で死んでから、ハルマとナツミの面倒は結構見てたんだ。そうこうしてたら父さんも死んじまったから尚更な」
「……そういえば、そうでしたね」
ハルマやナツミと友人として過ごしていたシオンは深く踏み込むことこそしなかったが、彼らの両親が他界していて年の離れた兄が親代わりになっていることくらいは知っていた。
アキトは兄貴と口にしているが、一般的な兄よりはずっと保護者としての立ち位置でふたりを見守っていたのだろう。
「じゃあ、あのふたりにもこんな感じで世話焼いてたんですね」
「……いや、ふたりに対してこんな感じにはならなかったな」
「へ?」
話の流れからして、これまでに年の離れた弟と妹の面倒を見ていたからこそこうも慣れた調子でシオンの面倒が見れるものなのだと思っていたのだが、他でもないアキト自身がそれを否定した。
どういうことだとアキトの顔を見上げれば、数秒の間をあけてから小さく噴き出した。
「今のところ、笑う要素ありました?」
「いや、悪い。そのだな……」
呼吸を整えて、それでもやはり笑いを隠しきれていないアキトがシオンに向き直る。
「ハルマもナツミもしっかりしてたからな。お前ほど手がかかってない」
「それこそ髪を乾かしてやったのなんて、あいつらが小学校に上がる前くらいだったぞ」と言って再び笑い出したアキトを前に、シオンは少し遅れて顔を赤くした。
「小学生以下で悪うございましたね!」
拗ねるシオンを前に、アキトは普段の艦長らしさなど完全にどこかに捨て去って声をあげて笑うのだった。




