4章-オボロの提案①-
「ああ。戻ったか」
社へと戻ったアキトたちをオボロが迎える。
迎えるその態度が友好的なものであるのはよいのだが、今朝までのことを思うと複雑ではある。
それはアキトよりも当事者であるシオンのほうが顕著だろう。
「温泉はどうだった? 見るに少しは体力が戻ったようだが」
「ええまあいいお湯でした。……体力根こそぎ奪った張本人に言われるのは少々複雑ですが」
「……イースタル。気持ちはわかるが」
にこやかに、しかし明らかに敵意満載でオボロの言葉に応じるシオンをアキトは小声で嗜める。
確かに彼は人間に手を出さないと約束してくれたわけだが、不用意に機嫌を損ねるようなことをすればその約束がどうなるかはわからない。
先程アキトも少々オボロに敵意剥き出しの態度を取ってしまったのだが、今思えばあれも好ましくない対応だったと反省する。
そんなアキトとシオンの様子を見ていたオボロが小さく笑う。
「何、心配するな。お前たちが多少何か言ってきたところで約束を反故になどしないとも」
「……そうなのですか?」
「神様って存在はだいたい約束にうるさいんですよ。こっちが約束を破ればそりゃあとんでもない報いを受けることになりますが、逆にこっちが約束をちゃんと守るのなら……」
「神のほうも約束を違えることはない、と?」
シオンとオボロは大きく頷いてそれを肯定した。
「そういう意味では天の小童に文句を言われる筋合いはない。約束どおり好きにしただけだからなあ」
「そりゃあそうでしょうけど」
不満を隠し切れていないシオンの顔を見て、オボロがにやりといやらしく笑う。
明らかによくないことを思いついた顔だとアキトは直感した。
「恥ずかしがることはあるまい。……お前の体、なかなかによかったぞ」
「オーケー理解しました。今から神殺しと洒落込みましょうか!」
ニヤニヤと笑いながら煽るオボロに対し、おもむろに〈月薙〉を手にしたシオンがアキトの腕の中からオボロに飛びかからんとするのを慌てて止める。
「ここで殺し合いなんて始めてどうする⁉︎ そもそもそんなことができる状態じゃないだろうお前は⁉︎」
「男にはやらねばならないときがあるんです!」
「少なくとも今じゃないだろう!」
バタバタと騒がしいふたりの様子にゲラゲラと笑うオボロ。
その様子にさらに機嫌を損ねて暴れるシオンをアキトは必死に止める。
そんな馬鹿馬鹿しい騒ぎをしばらく続けた後、ひとしきり笑い終えて満足したのか咳払いしたオボロがパンパンと強く手を叩いてアキトとシオンの視線を集める。
「まあ何はともあれ、朝餉としよう」
突然のオボロの提案のすぐ後、村長と大輔が簡単な朝食を持って社へとやってきた。
再び社に足を踏み入れたアキトたちの前には何種類かのおにぎりと玉子焼き、味噌汁というメニューがいつの間にか準備されたちゃぶ台の上に並べられている。
「急に生活感でましたね」
「本来そう頻繁に飯なんて食わなくてもいい体ではあるんだが……タエの飯が美味くてつい、な」
オボロの賞賛に嬉しそうに微笑む村長に対してしっかりと「いただきます」と手を合わせたオボロはおにぎりをひとつ手に取って食べ始める。
その光景を見ていると、オボロが村の守り神であるということを忘れそうだ。
「イースタル。オボロ様は神……なんだよな?」
「まあこれも時代の移り変わりってやつじゃないですかね? どっかの神の眷属は≪魔女の雑貨屋さん≫の通販使ってたでしょ」
確かにそんな話もあったが、アキトの中ではどうにも処理が追いつかない。
シオンはそんなアキトの混乱を意に介することなく、いただきますと手を合わせて玉子焼きへと箸を伸ばした。
「平然と食事をしてる場合か?」
「そうは言いますけど、俺ってば昨日の昼食以降何も食べてないんですよ。艦長だって似たようなもんでしょ」
「確かにそうだが……」
「むしろせっかく出してもらったご飯に手を付けないほうが無礼なんじゃないですかね?」
「そうだな。あまり警戒されるのは気分のいいものでもない」
ついさっき殺し合いを始めようとしていたはずのふたりに宥められるというのは釈然としないが、確かにせっかく用意してくれた村長たちに悪いとは思う。
最終的にアキトは大人しく手を合わせることにした。
朝食を終え、村長と大輔の去っていった社でアキトとシオンは改めてオボロと向かい合う。
「さて、天の小童が約束を果たした以上、昨日の一件を理由に人間に手出しをする気はないわけだが……ひとつ問題が残る」
「問題、ですか?」
「ああ。昨日の件は水に流すとしても、また似たようなことがないとも限らないだろう?」
オボロを討伐しようと声を上げた支部長は他界し、駿河湾の人類軍基地もそれなりに被害を出した。
少なくともすぐに再びオボロを討伐しようとすることはないだろうが、時間が経てばその限りではない。
基地の建設計画があり、それをオボロが邪魔する以上は今回のようなことは必ずどこかで繰り返されるだろう。
「次に似たようなことがあったとして、それは昨晩の約束とは関係がない。俺が人間を殺さない理由もないわけだ」
そう語るオボロの目は鋭く、言葉に嘘も冗談もないことが見て取れる。
しかし次の瞬間にはその鋭い光も消える。
「だが、俺も進んで人間を殺したいわけでもない。そもそも俺は人あってこその神なんでな」
「……人あってこそ?」
「俺は人に祀られて神格を得た存在だからな」
オボロは、人の祈りや思いを受けて神になった存在であるのだという。
それもあってオボロが無意味に人を殺めることを望むことはない。むしろ望めない。
「それはさておき、このままの状況じゃ、いつかまたオボロ様と人類軍はぶつかる。そうなると次はどうにもできませんよ?」
暗に次は庇えないというシオン。
アキト自身シオンを今回のような目に遭わせる気などないが、それ以上に次の戦いが起きてしまったときにアキトやシオンが干渉できるとも限らない。
そうなってしまえば人間側に大きな被害が出ることは確実だろう。
「なに、単にそうならないようにすればいいだけのことだ」
深刻な顔をしているアキトとシオンとは真逆に、オボロはゆったりと気楽な態度でいる。
どうやら彼には何か策があるらしい。
「俺はこの後、渡りを行うつもりだ」
“渡り”という言葉にアキトは覚えがないが、横に座るシオンの驚きは伝わってくる。
それだけの何かであるということはそれだけで確信できた。
「イースタル。その渡りというのはなんなんだ?」
「簡単に言えば、【異界】に渡るってことですよ」
「【異界】にだと⁉︎」
アキトの悲鳴にも近い驚きの声にシオンは黙って頷いた。
「世界の間の隔たりを越えて【異界】に行くための大魔法。それが渡りです」
「そして今回、俺はこの村の全ての人間を連れて渡りを行うつもりだ」
「……ちょっと待ってください。【異界】に人間を連れていくのは大丈夫なのですか?」
【異界】は人外たちが暮らす世界だ。そこに人間を連れていくというのは、【異界】の人外がこちらにくるのと同じで迫害などの危険があるのではないだろうか。
「何も問題などあるまい。あちらにだって人間くらい暮らしているぞ?」
真剣に心配したのが馬鹿馬鹿しくなるくらい軽く返された返答。しかも聞き捨てならない情報が含まれていた。
「【異界】に人間がいるのですか⁉︎」
「あれ? 俺そのへん話してませんでしたっけ?」
「初耳だ!」
「そういう細かい話はあとでにしろ。今は俺の話を聞け」
アキトを宥めてひとつ呼吸をおいたオボロは、口元にわずかに笑みを浮かべる。
「人間にとって俺やこの村が邪魔だっていうなら退いてやればいいだけのこと。……ただ渡りをするのに少し人手が足りないんでな。お前たちの力を借りたい」
一応頼み事の形をとってはいるが、オボロのこの提案は未来に起こるであろう問題を防ぐための唯一の道にも等しい。
目の前で笑みを浮かべるオボロは確実にそれを理解している
完全に相手の掌の上であるということは百も承知だが、アキトとシオンに選択肢はないに等しかった。




