4章-不愉快な夕食時-
グレイ1の討伐作戦を明日に控えた夜。
ミスティ・アーノルドは〈ミストルテイン〉の食堂で少し遅めの夕食を食べていた。
そんな彼女の機嫌は、はっきり言ってあまりよくない。
その原因は食事をとる前に偶然この食堂で見かけてしまった光景にあった。
「(……あんなあっさりと懐柔されるなんて、歩兵部隊は何をやってるのかしら!)」
ミスティが見かけた光景というのはシオンと監視役の歩兵部隊、そして十三技班の男女数人が共に食事を楽しんでいる姿だった。
確かに作戦が終わるまでの期間、決してシオンから目を離すなと命令を出しているが歩兵部隊の監視は交代制なのだから休憩中に食事を取るべきである。特に監視対象と一緒に食事をするなど言語道断だ。
もちろんミスティはすぐにそれを指摘したわけだが、歩兵部隊の人員は「わざわざシオンと食事の時間をずらす必要もないだろう」と悪びれる様子もなく反論してきた。
監視の任務に支障をきたしてはいないし、監視対象と共に食事をしてはいけないなどという命令を受けた覚えはない。シオンと食事を共にすることについて歩兵部隊のトップから許可も得ているので、文句があるのならそちらに話を通すべきだ。と堂々と言い連ねられ、結局その場は引き下がることしかできず。
彼らはミスティの厳しい眼差しなど気にかける様子もなく和やかに食事を楽しんで去って行った。
正体発覚から今日に至るまで、シオンはほとんど行動を制限されることもなく勝手気ままに過ごしている。そんな姿を見てミスティはいつも苛立ちを募らせていた。
今回ようやくそんな苛立ちから解放されると喜んでいたのも束の間、ふたを開けてみれば結局ほとんど以前と変わりはなかった。
監視を受けているにもかかわらずそれを気にしている様子もなく笑顔を見せているシオンの姿に、ミスティはどうしようもなくイラついてしまう。
シオン・イースタルは疑うべき対象であって、自由にさせるべきではない。
その主張は間違ってなどいないはずなのに、上層部はある程度シオンの自由を認めるような契約を結んだ。
敬愛するアキトもシオンに対して厳格な対応をすることは少ない。
間違えてなどいないはずのミスティは、いつも「警戒し過ぎだ」「もっと状況を見ろ」と言われるばかりなのに、シオンは悪びれることもなく自由気ままに動き、そして陽気に笑っている。
「(……どうして、彼ばかりいつも幸せそうなの?)」
真っ当な人間であるミスティではなく、バケモノのシオンばかりがどうして幸せそうに笑っているのか。
そう思えば思うほど、シオンに対する苛立ちが燃え上がっていく。
「――なあなあ、今回の作戦ってイースタル参加しないってマジなのか?」
食事の手を止めていたミスティの耳に、唐突にそんな言葉が飛び込んできた。
声のした方向に視線をやれば、男女三人が一緒のテーブルについて食事をしているようだ。
夕食には少し遅めの時間帯で食堂にいる人数が少ないからか、大した声量ではない三人の会話も聞き取りやすい。
船員が食事と共に雑談をしていることなど別に珍しくもなんともないのだが、シオンのことが話に挙がっていたからか妙にミスティの興味を引いた。
「らしいわね。ここの支部長の要請だとかなんとか……」
「判断としては別におかしくはないだろ」
おっとりとした雰囲気の女性と冷静な様子の男性が陽気そうな男性の質問に答えている。
冷静な男性の言葉は至極当然の考え方だ。ミスティも心の中で大いに頷きつつ、食事を再開しようとスプーンでスープを掬った。
「そりゃそうだけどさ……次の作戦大丈夫なのかな?」
陽気な男性の不安を滲ませた言葉に、口に運ぶ途中だったスプーンがぴたりと止まる。
「何がだ?」
「だから、イースタルなしで人外相手とか不安じゃねえかって話だよ」
「……そうよね。私もちょっと怖いかも」
平然としているのは冷静な男性だけで、他のふたりは表情からも声色からも不安が滲み出している。
「この艦って最初の戦闘で大型アンノウンを相手にしたり、結構修羅場をくぐってきてるじゃない? なのに船員の誰も怪我ひとつなくここまでこれたのって、イースタル君のおかげだと思うの」
「だよな。……正直イースタルなしだったら第七人工島で御陀仏だっただろうし」
ふたりの言葉を聞いた瞬間に頭に血が上ったことが嫌でもわかってしまった。
その場で「何を言っているの!」と叫び出したくなった衝動を大きく息を吐き出すことで逃がして、ミスティは歯を食いしばる。
とても腹立たしいことではあるが、ふたりの言葉は誤りというわけではない。
シオンはこれまで何度か〈ミストルテイン〉や一般の人々を守ってきている。それについてミスティも理解していないわけではない。
だが多少守られただけで信用するというのは些か甘すぎるのではないだろうか。
「……だとしても、彼に頼り過ぎるというのも危険だ。信頼に値するとは言い難い相手だからな」
冷静な男性の言う通り、シオンを簡単に信用するのは危険すぎる。
これまで〈ミストルテイン〉や人々を守ってきたのにも何か思惑がある可能性はあるのだ。
そんな相手の力を当てにするなど、人類軍の軍人として恥ずべき行為でしかない。
「そりゃあそうだけどさ、使えるもの使わないで失敗したり死んだりしたら、それこそただのバカだろ?」
「そうよ。……それに私、彼のことそんなに悪い子に思えないのよね」
おっとりとした女性に発言に思わず勢いよく彼女たちの方を向いてしまったミスティだが、幸い当事者たちには気づかれていないようだ。
「十三技班の人たちといるところを何度か見かけたんだけど、どう見てもどこにでもいる普通の男の子って感じなのよね」
「あー、わかる。同い年くらいのやつとじゃれてたり、年上連中に頭ぐしゃぐしゃにされてたりな」
「そうそう。そういう姿を見てると微笑ましくなっちゃうのよね……」
穏やかに微笑む彼女の様子からして本気でそのように感じているのだろう。
しかしミスティからすれば正気とは思えない。何を馬鹿なことを言っているのだと立ち上がりかけたミスティだったが――、
「……まあ、俺も極悪人だとまでは思っていない」
ためらいがちな冷静な青年の言葉にその動きが止まる。
ここまでミスティと考えが一致してきた彼がシオンのことを擁護するようなことを言い出したのは完全に予想外だったのだ。
「意外だな。普通に甘いとか叱られるかと思ってた」
「少し前までならそうしてたかもしれないが……直接話す機会があってな」
「マジで?」
「数日前に大量の物資を運ぶ機会があってな。台車も使えず抱えて運んでる途中でいくつか落としてしまったときに、通りかかったイースタルが運ぶのを手伝ってくれた」
「それ、あなたは断ったりしなかったの?」
「落とした物資が後ろに転がったんだが、他にも大量に抱えていたせいで後ろを見る余裕がなくてな……イースタルだと気づいたのが運び終わった後だった。……「気づいてないだろうなーとは思ってました」と子供みたいに笑っているのを見せられて、毒気を抜かれた」
なんてことのない日常風景のような出来事。
そんなことでと思う一方で、そんな何気ないことだからこそ彼にはそれがシオンの本質のように感じられたのかもしれない。
冷静な男性に対して「騙されるな」と叫びたくなる一方で、そんな些細なことに裏があるだのなんだのと騒ぐなど馬鹿馬鹿しいと冷静な自分が囁く。
「俺は接点なんて全然ないけど……戦闘中の艦長とイースタルのやり取りが好きなんだよな」
ミスティが自分の中のふたつの感情と戦っている間に、陽気な男性が話し出した。
「ちょっとふざけがちだけどデタラメに強いイースタルと、冷静だけどたまに大胆なミツルギ艦長がいいコンビって感じでさ。映画のヒーローみたいで、あのふたりが一緒ならなんとかなりそうって気がしてくるんだよな」
陽気な男性の言葉に残るふたりもあっさりと同意した。
「そこにラステル戦術長も加わると、さらに鬼に金棒って感じでさ。カッコいいんだよなー」
「……彼女まで出てくると少々危なっかしくなるがな」
「でも、頼りになるのは本当じゃない。イースタル君がいなくても、艦長と戦術長がいればきっと大丈夫よ」
そうこうしている内に食事を終えたのか、三人は雑談を終えてテーブルから去って行った。
ひとり残されたミスティは食事を再開するでもなく、黙ったまま唇を噛む。
「艦長とあのバケモノがいいコンビなんてあり得ない……っ」
敬愛するアキトと忌むべきバケモノであるシオンがまるで良きパートナーであるかのように話されることも、軍人として反面教師にしかならないようなアンナが頼れる人間と思われていることも、気に入らない。
はらわたが煮えくり返るほどの怒りを胸に抱えたまま、それ以上食事に手を付けることもせずに食堂を立ち去る。
「(あんなバケモノに頼る必要なんてない。……艦長は副艦長である私がサポートすればいい)」
明日の作戦を完璧な形で終えれば、彼らの不愉快な認識もきっと変わっていく。
そう信じて、ミスティは明日への闘志を燃やすのだった。




