4章-意外な来訪者-
山間部の集落を尋ね避難を促すこともできずに基地に戻った翌日。
〈ミストルテイン〉の艦長室には、ひとり虚空を見上げているアキトの姿があった。
誰もいない静かな艦長室のソファにだらりと体を預けて天井を見上げている姿はとてもではないが行儀が良いとは言い難い。
こんな姿はアキトが艦長という立場になってから、親しいラムダやアンナはもちろん肉親であるハルマとナツミにすらも見せたことはない。
「(……人類軍よりも信頼に足る人外、か)」
集落で聞かされた話を思い出して、小さく息を吐き出す。
結論から言えば、村の人間の証言は事実だと言っていい。
支部長本人を問い詰めるなどということは流石にできなかったので、人類軍の情報部――テロリストなどを相手にした諜報活動や人類軍内部での悪事を調べる専門機関の知人の力を借りて三年前の記録を軽く調査をした。
事実として三年前に大規模なアンノウンの出現があり、湾岸部の人口密集地の防衛を優先して戦力をそこに集中させたという事実も確認できた。
ただ、それを罪に問えるかと聞かれればそうはいかない。
この地域における、問題の一件以前のアンノウンの出現頻度は旧暦時代から数えても年に数回あるかどうかというレベル。さらに、その一件から今日に至るまでの三年間の出現は一度もない。
そんな地域で起きた大規模出現という緊急事態に対し、この先何が起こるかわからないことを考慮して必要以上に戦力や人員を分散させずに対応することは決して間違った判断だとは言い難い。
――あの状況下で、あの村に防衛戦力やその他の人員を割けなかったのは仕方がないことである。
少なくとも当時の人類軍はそういった結論をすでに出してしまっている。
アキトが今回のことを契機に再び声をあげたところで、おそらく当時の結論はひっくり返らないだろう。
アキト個人としては到底認められないことだが、それが現実だ。
「(……あの村の決断も、当然と言えば当然のもんだな)」
自分たちを見捨てた者と守った者。誰だって後者のほうを好意的に見るに決まっている。
そもそも、彼らを見捨てた男を咎めることもできないアキトに何かを言う資格などない。
きっと人類軍に属する限りは誰であってもあの村の人々の避難を促すことはできない。
むしろ彼らの信じる"オボロ様"を討たんとしている敵でしかない。
アキトにあの村の人々が戦闘に巻き込まれないようにすることなどできないし、そもそも求められてすらいないのだろう。
その事実が胸を抉る。
無意識の内に片手で自身の胸元を握りしめていたところに、何者かの来訪を知らせる電子音が響く。
「……誰だ?」
「えっと、コウヨウ・イナガワです」
「何かあったのか?」
「……その……少しお耳に入れておきたいことがありまして……」
珍しい来客に驚く一方で、自らの考えを主張するタイプではない彼がわざわざアキトの耳に入れておきたいと判断した内容というのが気になる。
崩れていた姿勢をすぐに正してコウヨウの入室を許可し、おずおずと入ってきた彼をテーブルを挟んだ対面に座るように促す。
「お、お邪魔します……」
「あまり固くならなくていい……と言っても難しいか?」
「え、その、すみません……」
どうしてもビクビクとした態度が抜けないコウヨウに苦笑してしまう。
こうなればできるだけ早く話を終わらせるのが彼のためだろうと、早速本題に入ることにした。
「それで、君が俺の耳に入れたいというのは?」
「あ、はい! 作戦に向けてセンサー類の調整をしていて気づいたことがありまして……」
そう言って彼がタブレット端末を使って見せてきたのはこの近隣の地図データだった。
この基地や山間部の集落を含むエリアとその周囲との間に境界線が引かれ、色が分けられている。
「これは?」
「大気中の微弱なエネルギー反応……多分、魔力と呼ばれるものの大きさの比較図です」
「魔力だと?」
予想外のワードに思わず強い語調で聞き返してしまった。それに少し怯んだコウヨウに気づいて、アキトは一度気持ちを落ち着けてから改めて質問を投げかける。
「何故これが魔力の反応だと?」
「反応のパターンを分析してみたら、アンノウンの反応やイースタル君が魔法を使ったときに感知される反応に似ていることがわかりました。特にイースタル君の魔法のほうに近いです」
コウヨウの説明に納得しつつ改めて地図を確認する。
色分けに加えて小さく数字も書き込まれていて、基地を含むエリアの数値が他よりも若干高くなっているらしいことが読み取れた。
「〈ミストルテイン〉のこれまでの観測データと比較しても、この基地周辺の数値だけが少し高いようなんです」
「過去にこのような現象を確認した地域はないのか?」
「グランダイバー討伐後のアマゾンの熱帯雨林が少し近いです。……あとは近くを通過しただけなので正確性には欠けますけど、京都周辺などに少し怪しいエリアはありましたが……」
「京都か……」
京都と言われて思い出すのは地元の風景と、数日前にシオンに聞いた不穏な話題だ。
シオンの口ぶりでは強力な人外が隠れ住んでいるという話だった。
「(グレイ1がいることが関係してるのか?)」
アマゾンの熱帯雨林と京都とこの土地。
その三か所の共通点と言われれば、人外が隠れ住んでいる土地であることが思い付く。
そしてアンノウンの出現が確認されていない土地という点も共通するだろう。
「……人外の手でアンノウンから守られている土地特有の傾向なのかもしれないな」
サンプルは少ないが、可能性としては十分にある。
大気中に魔力の反応があるのもシオンの言うところの結界によるものだと考えれば説明はつきそうだ。
「……だとしたら、誰がこの辺りを守ってるんでしょう? もしも今回の討伐対象だったら大変なんじゃ……?」
コウヨウが顔を青褪めさせているのを視界に収めつつ、アキトはその可能性について考える。
グレイ1があの村を救ったのが三年前。そしてこの三年間この地域でアンノウンが出現していないという時期の一致は確かにある。しかし、アキトには腑に落ちないことがある。
「どうだろうか? 仮にそうだったらおかしな点もある」
「おかしな点、ですか?」
「グレイ1があの村を守っているというならわかるが……こんなに広範囲を守る理由がない」
魔力の反応が確認された圏内に確かにあの村は含まれているが、この基地やそれ以外の人里も含まれている。
グレイ1にこの基地や無関係な人里まで守る理由があるとは思えない。
「可能性は、おそらく低いと思う。……それに仮にそうであっても人類軍が止まるとは思えない」
この可能性を説明したところで支部長や他の軍人たちが信じるとは考えにくい。
それに人類軍の拠点建設が妨害されている以上、このような可能性の話だけではグレイ1の討伐は白紙に戻すことはできないだろう。
幸いと言っていいかはわからないが、この地域は三年前以前もアンノウンの出現数が多くない。
仮にグレイ1の討伐によって結界が消滅するのだとしても、三年前以前に状況が戻るだけであれば危険というほどの事態にはならないのではないだろうか。
「そう、ですか……」
「ああ。個人的に思うところはあるが、俺たちは軍人として戦わなければいけない。……君も釈然としないだろうが、あくまで目の前の作戦に集中してくれ」
不安そうな顔は晴れないが、コウヨウはアキトの言葉にこくりと頷いてくれた。
それから艦長室を去ろうとした彼だったが、部屋を出る寸前に立ち止まると少し不安そうな顔で振り返った。
「……その、ついでのようで申し訳ないのですが、ひとつ質問してもよろしいでしょうか?」
「構わないが?」
「……今回の作戦、イースタル君が参加しないというのは、変更のしようがないんでしょうか?」
先程の魔力というワードにも驚いたが、この話題が出てくるのはさらに予想外だった。
「……信用できるできないは確かに大きな問題だと思うんですが、彼に聞けば本当のこともすぐにわかりますし……戦うにしても、強い人外を相手にするのにイースタル君がいないのは不安と言いますか……」
もごもごと主張したコウヨウだったが、すぐに何かに気づいたかのような顔をして勢いよく頭を下げると「出過ぎた真似でした! すみません! 失礼します!」と叫ぶように言って去って行ってしまった。
「……不安、か」
コウヨウが立ち去り再びアキトひとりになった艦長室で呟いた言葉は、小さく、しかし嫌に重苦しい響きを残して消えていった。




