4章-要請-
台湾からの航行に特にトラブルもなく〈ミストルテイン〉は無事に日本の駿河湾に面する人類軍基地へと到着した。
無事に入港が完了してすぐ、アキトとミスティのふたりは基地の責任者である中部地方支部長に挨拶をするべく基地の司令室へと向かう。
〈ミストルテイン〉の作戦への参加自体上層部、というよりはクリストファーの一存で急遽決定したものだというのは事前に聞いている。
アキトたちが望んだわけではないので謝罪をしに行くわけではないが、強引に予定を狂わされた現地の責任者に誠意を見せておくべきだろう。
作戦の決行まではまだ数日あるが、早めに作戦の概要や標的の人外についての情報を聞いておきたいというのもある。
「――ふむ。来たか」
司令室に踏み入ってすぐ、恰幅のいい中年の男性がアキトたちを迎えた。
じっとこちらを見る視線に悪意はないが、どこか品定めをするかのようであまり心地の良いものではない。
「特別遊撃部隊〈ミストルテイン〉。部隊長のアキト・ミツルギです」
「同じく、副部隊長を務めますミスティ・アーノルドです」
手本のような敬礼と共に名乗れば、男性の側も同じように支部長であることを名乗った。
そのまま簡単にだが握手を交わし話を進めていく。
「バケモノを連れ回す特別遊撃部隊と聞いてどんな変人が来るかと思ってたが、存外まともそうな部隊長で安心した」
「(……周囲からそんな評価を受けているのか)」
目の前の支部長は嫌味を言っているわけでもなく、本当にアキトやミスティを見て安心しているらしい。
確かに一般的な軍人たちからすれば、シオンという怪しい人物を連れ回している上層部直轄の特別遊撃部隊など得体の知れない怪しい部隊に思えても仕方ないとは思う。
しかしながら自分たちが周囲からそういった評価を受けているのだと思うと頭が痛い。
「聞けば、あの十三技班まで面倒を見ているんだとか。……名家の当主とはいえ、まだ若いのに苦労しているな」
「いえ、彼らはよくやってくれています。むしろ、日々自分の至らなさを痛感するばかりです」
実際、〈ミストルテイン〉が活動を始めてから今日までアキトは周囲に頼ってばかりいる。
シオンの力と知識に幾度となく助けられてきたことは言うまでもなく、センサーの問題や暗殺未遂を発端としたシオンとの不和も十三技班の働きによって解決されたと言ってもいい。
部隊長という重要な地位にありながらもアキトはまだ何ひとつ為せてはいない。
「さて、世間話はこの程度にして本題に入ろう」
支部長の指示でモニターのひとつがとある映像に切り替わる。
「これは……オオカミ、でしょうか?」
映像に映し出されているのは銀の近い灰色の毛並みのオオカミのような獣だ。
とはいえ大きさは普通のオオカミのそれではない。周囲の木々のサイズ感からすれば中型アンノウン程度はあるだろう。
「こいつが今回討伐する標的だ」
そう話す支部長は忌々しそうな目で映像に映るオオカミを睨みつけている。
「この辺りはアンノウンの出現が数年確認されていない。それで新たな人類軍基地の建設計画が持ち上がったのだが……このケダモノが邪魔をしてくる」
アンノウンの出現に対して、基地が分散して多く存在すればするほど急な出現に対処しやすくなる。
そういった背景もあり、人類軍は基地の建設に対してかなり積極的だ。
今回の件もその一環なのだろうが、それを問題のオオカミに邪魔されているということらしい。
「問題の人外の目的などはわかっていないのですか? 本人が何かを口にしていたなどは?」
「あのケダモノが言葉を話せると?」
「以前、人語を扱う鳥類の人外と接触したことがあります」
「……少なくともやつに直接接触した者たちからそういった報告は受けていない」
「接触して生き残っている方がいらっしゃるのですね」
ミスティは安堵したように言葉を零したが、その反応に支部長の表情がわずかに不機嫌になった。
何か失言があったのかとミスティは焦るが、アキトも支部長が何に反応したのかさっぱりわからない。
「……生存者という以前に、やつに接触して死亡した者はいない」
「……いない、ですか?」
「ああそうだ。ケガ人こそいても死者はいない。……まるでこちらを嘲笑うかのように殺さずに去っていくのだあのケダモノは……!」
建設作業の邪魔はしておきながら、誰ひとりとして殺さずに去って行く。
外野からすれば死人が出ないのはよいことのようにも思えるが、それをされている側――特に相手と戦っている人間からすれば屈辱的だろう。
支部長がオオカミを敵視しているのは察していたが、単純に建設を邪魔されていることだけが理由というわけではなさそうだ。
「我々はこのケダモノを"グレイ1"と名付けている。資料などもその表記で統一されているので注意してほしい」
「識別用の名前があるということは固有の個体なのでしょうか?」
「これまで十回は接触しているが群れをなしている様子はない。あくまでやつ一頭だけなのだろう」
「それを討伐するために、討伐作戦を……?」
「分身のようなものを出してくる。アンノウンにもそういった個体はいるだろう?」
人工島の大型アンノウンや北米のスライムのように頭数を増やしてくる。
あちらの最大数が未知数であることを思えば十分に戦力を集結させて叩くのが合理的だというのは間違いないだろう。
「具体的な作戦内容については後日改めて話す場を設けるが、ひとつだけ先に伝えておく」
改めてアキトとミスティに向き直った支部長はこれまでと比べて雰囲気が鋭い。
その態度に緊張するふたりを前に、彼は重々しく口を開く。
「今回の作戦、シオン・イースタルの参加は一切認めない。加えてこの基地に君たちの部隊が留まっている期間、彼に監視をつけることを要請する」
淡々と告げる支部長の目は厳しい。
「上層部が協力者として認めているというのは承知だが、我々は彼を信用などしていない。背中を預けられない相手を作戦に参加させる気はない。……この条件を受け入れられないのであれば〈ミストルテイン〉にはこの基地を即刻去ってもらう」
支部長の考えについて理解できないわけではないが、あまりにも一方的だ。
「そちらの考えは理解しました。……しかし敵が人外であるからこそイースタルの力が必要です」
「問題の人外がグレイ1に味方しないという保証がどこにある? 作戦に参加させておいて重要な局面で裏切ることが絶対にないと断言できるのか?」
そう言われてしまえばアキトから反論できることはない。
仮にシオン本人に確認を取ったところで彼が嘘をつかない保証はなく、そもそもそうしたところで支部長を納得させる材料にはならないだろう。
「……艦長、私も支部長のご意見に賛成です」
「ミスティ……?」
「共通の敵であるというアンノウン討伐ならともかく、人外相手の戦闘で彼が裏切らない保証はありません。本人も相手次第では戦わないなどと口にしていました。不確定要素が多い以上、作戦に関わらせないのが最良だと判断します」
これまでになく畳みかけるように主張するミスティに加えて、支部長という作戦責任者からの要請は無視できない。
「この際言わせてもらうが、人外に対抗するのに人外を頼るという状況こそ危険なのだ。彼に依存し過ぎれば、彼がなんらかの形でいなくなった瞬間に大きく戦力が落ちることになりかねん。我々は人類の力だけで対抗できるようになっておく必要がある」
支部長の言葉がアキトの胸に刺さる。
実際のところ、ここまでの戦いはシオンの力があったからこそ最低限の被害で切り抜けてこれたのだ。彼がいなければ〈ミストルテイン〉が沈んでいた可能性すらある。
しかし、シオンがこの先も協力し続けてくれる保証はない。
シオン本人が離れていく可能性はもちろん、人類軍の裏切りで関係が壊れる可能性もある。
そうなったとき、〈ミストルテイン〉はこれまでと同じようにアンノウンとの戦いに勝利し続けることができるのだろうか。
――腹が立ったから、不愉快だったから殺しました
――倫理的によろしくないことも、損得で考えて損しかないことも承知してますが、それでも俺は自分の心に従いました
――……それが、シオン・イースタルの在り方です
数十人のテロリストたちが跡形もなく消えた後のパーティーホールでシオンが口にした言葉が脳裏をよぎる。
彼の心が人類軍から離れたその時、シオンと人類軍の協力関係は、おそらくまるで最初からなかったかのようにあっさりと消えるだろう。
果たしてアキトにそれを止める術があるだろうか。
中東での事件以前ならばともかく、今のアキトにその自信はない。
シオン・イースタルという人間を見失った自分が、シオンの意思を変えられるほどの何かを為せるとは思えない。
「(……少し、距離を取ることも必要なのかもしれない)」
どちらにしろ〈ミストルテイン〉が作戦に参加しないという選択肢はない。
これを機に、アキトは今後のシオンとの関わり方を考え直すべきなのかもしれない。
アキトは大きく息を吐き出してから、支部長の要請を受け入れると返答した。
漠然と胸の内にある不安から目を背けたまま。




