4章-リーナ・フランツの考察③-
「さっきはちょっと悪ノリしちゃったけど、シオンとなんでもないってのは正直聞くまでもなくわかってたのよね」
アンジェラをふたりから引き離してくれたリンリーは軽い調子でそう口にした。
だったらこれまでの会話は一体なんだったのかと言いたいところではあるが、それ以上に確信がはっきりと伝わってくる彼女の口ぶりのほうが気になる。
シオンとナツミの間に何もないという事実を当事者ではないリンリーがここまで断言できるということは、その根拠となるなんらかの情報を知っていると考えるのが妥当だ。
「……もしかして、シオンって誰か好きな人がいたり?」
ナツミの質問は今まさにリーナが口にしようとしたものだった。
シオンの心がナツミ以外の誰かに向いていることを知っているのであれば、ふたりの間に何もないと確信するのに十分な根拠になるはずだ。
しかし質問に対してリンリーは黙って首を横に振る。
「むしろ逆よ。シオンってば全然人のこと好きにならなそうだから、ナツミちゃんとも仲良しではあってもどうこうはなってないだろうなーって」
リンリーの笑い交じりの答えに彼女の隣でカナエもうんうんと頷いている。
しかしリーナはふたりの言葉がいまいちピンと来ないでいる。
「私から見ると、かなり人の好き嫌いが激しいイメージなんですけれど……」
リーナの知るシオン・イースタルという人間の他人への態度は0か1という印象だ。
基本的には他人に対してどこまでもフラットで、マイナスもなければプラスもない。
話しかけられれば邪険にすることなく対応はするが、あくまでそれだけだ。自分から必要以上に相手に関わろうとするようなことはない。
士官学校入学初期のシオンはまさにそんな調子で、よくも悪くも誰に対しても平等だった。
それとは対極的に、一度内側に引き入れた相手に対してはずいぶんと甘い人間だ。
特に最も近くにいるギルに対してのそれは顕著で、彼に対しては少々きつい物言いをしつつも無碍にすることは決してない。
士官学校時代に友人と呼べる間柄になって以降はリーナやハルマたちにも優しく、意外にも各々の誕生日にはプレゼントをしっかりと用意して祝ってくれるほどだった。
そういうエピソードを思い出すと、人を好きにならなそうというイメージがどうにも結びつかない。
「言い方が悪かったっすね。正しくは、誰かひとりを好きにならなそうって話っすよ」
そう説明したカナエはどこか呆れたような様子だった。
「一度身内判定されるとめちゃくちゃ甘くなるけどそれだけっていうか……誰も彼も平等に身内!って感じなんすよね~」
「そうそう。ギルが目立って甘やかされる感じに見えるけど、シオンの中では身内判定さえしてればギルも私たちも同じなのよ」
「そう、なんですかね……?」
言いたいことはわかるのだが、残念ながらリーナには思い当たる節がない。
友人というカテゴリーにはいるもののリーナは十三技班の面々ほどシオンと接する機会がないので、その差がそのまま受けている印象の違いになっているのかもしれないとひとまずは結論づける。
「だとすると……」
リーナの隣で縮こまるように湯船に体を沈ませているナツミがどこか不満そうにもごもごと口を動かす。
「だとすると、可愛いとか言われてもそこに深い意味はなかったり……?」
目を泳がせているナツミにその場の空気が一瞬だけ停止した。
「そもそもシオンくんってそういうの気にするんすか? 前に三徹して髪もぼっさぼさだったアタシ見ても顔色一つ変えなかったんすけど」
「お世辞とか言えるタイプじゃないし、本当に可愛いとは思ってるんじゃないかしら?」
「……わたしはたまに可愛いって言われますけど」
「アンちゃんは実際お人形さんみたいで可愛いっすからね~」
顔を寄せた十三技班の三人は速いテンポで意見を交わしていく。
最終的にリンリーがナツミに「口にした以上は本気でそう思ってるはず」と宣言した。
「それはそれとして可愛いと言われた経緯を詳しく教えていただけますでしょうか?」
「そうっすね! ラブコメの気配を察知したっすよ!」
アンジェラに加えてカナエにまで詰め寄られているナツミを横目に、リーナは静かに考えを巡らせる。
「……リーナちゃん。難しい顔してどうしたの?」
無意識に眉間にしわでも寄ってしまっていたのか、リンリーが気遣うように声をかけてきた。
「いえ、大したことじゃないんですけど……シオンって結局どんな人間なのかなって思ってしまって……」
リーナはシオンのことを冷静に見極めようと決めているわけだが、こうして彼に近しい人間の話を聞いてみて自分に見えていなかった側面に初めて気づいた。
距離感が違えば見えるものが違うのは当然だとは思うのだが、新しい情報を得てリーナの中にあったシオン・イースタルという人間のイメージが少しぶれてしまっている。
「もう一度、ちゃんと最初から考え直さないと……」
シオンが信用に足るのか否か。人類にとって味方なのか敵なのか。
「そんなに難しいやつじゃないと思うけど?」
なんでもないことのように口にするリンリーを見れば、リーナの真剣さとは真逆にまるで世間話の最中かのような気楽な表情をしている。
「単純に自分のしたいように行動するだけよ?」
「したいように、ですか?」
「そうそう。そもそもやりたくないことは死んでもやらないようなやつだしね」
それ以上細かい話をすることはなく、リンリーはアンジェラとカナエを回収して湯船を出た。
その背中を見送りつつ、リンリーの残した言葉について考える。
「……今の状況はシオンの意思に反していないの?」
人類軍に疑いの目を向けられたまま、協力者という名で都合よく戦わされている状況がそうであるとはリーナには思えない。
それでもなお彼が今の状況を受け入れ続けている理由。
そう考えたときに一番に浮かんだのは十三技班の面々と笑い合うシオンの姿だった。
「(十三技班のみんなのために、身内と思う人たちのために、ここにいる?)」
一時は十三技班の面々に余計な悪意が及ばぬように動いていたほどなのだ。その可能性は十分にある。
そして、リンリーたちが言っていたように身内であれば同等だと言うのなら、その範囲は十三技班だけには留まらない。
「(まさか、私たちも守るべき対象なの?)」
ナツミやレイスのことをそういう対象としているのだったらわからなくはない。
しかし、未だにシオンを味方と認めていないリーナも、悪と断定すればシオンを殺すと宣言しているハルマをもそういった対象として見ているのだとすれば、それは身内に甘いなんて簡単な言葉では言い表せられない。
もっと別の、常人の理解を超えた何かだ。
「……リーナ?」
心配そうなナツミの声に対して咄嗟に「なんでもない」と返し、彼女と共に湯船を出て脱衣所に向かう。
その最中も、行きついてしまったひとつの可能性が頭から離れることはなかった。




