1章-とある兵士の最悪な日-
太陽が空高く輝く正午過ぎ。
北米大陸の西海岸、その一角にある大きくも小さくもない港町。
普段であれば平穏な時間が流れ町には人の姿もあるのだが、今日に限ってはその光景はない。
町の至る所からは黒煙が立ちのぼり、崩れた建物も散見される。
そんな街中を七メートルほどの人型機械兵器――機動鎧が駆け抜ける。
「……なんて日だ」
そんな機動鎧の操縦席で青年は舌打ち混じりに悪態をつく。
話は今から約三十分程前までさかのぼる。
この港町の一角にある人類軍基地にて、アンノウンの反応が確認された。
出現地点は町から距離にしてほんの数キロ。
中型アンノウンであればものの数分で到達できる距離に出現した反応は七つ。その七つの反応は迷うことなく町へと向かってきた。
青年たち機動鎧部隊は出現の報が入ると同時に出撃命令を受けたが、それでもアンノウンたちの侵入のほうが出撃よりも早い。
人類軍側は完全に後手に回った形になる。
とはいえ、出撃さえしてしまえば事態は解決に向かうはずだったのだ。
港町の基地に配備されている機動鎧は二〇機。出現したアンノウンの二倍以上の戦力だ。
アンノウンとの戦闘において、平均的な腕前のパイロットの操る機動鎧一機で中型アンノウン一体を倒すことが可能であるとされている。
その計算に当てはめれば、七体の中型アンノウンの殲滅は決して難しいものではない。
少なくとも青年たちはもちろん基地の人間も全員がそのように考えていた。
しかし、現実はその予想を容易く裏切った。
機動鎧部隊の出撃、散開が完了し、これからアンノウンとの戦闘を開始しようというタイミングだった。
七つのアンノウンの反応全てが消えた。
各機動鎧のものはもちろん基地のセンサー類からも消え去った反応に部隊が混乱する中、パイロットの断末魔と共に機動鎧五機の反応がロスト。
以降、アンノウンの反応は全く感知できないまま着実に友軍機の反応は消えていき、これまでに全部で九機の反応が消えた。
「ホラー映画じゃねえんだぞ……!」
見えない敵に仲間が一機、また一機とやられていくというベタなホラー映画のような状況。
そんな事態に悪態をつきながら、青年は機体の各カメラを介して目に見える範囲に必死に注意を巡らせる。
どうも敵はセンサー類にこそ反応しないが、姿が消えているわけではないらしい。
これまで死んでいった同僚のパイロットたちは反応をロストする前に、敵の姿を目にしていたようなのだ。
その多くは若干の違いはあれど似たようなことを口にしていた。
――このゴリラ野郎! と。
詳細は変わらず不明だが、どうやら敵アンノウンはゴリラのような姿形をしているらしい。
そして目視でその姿を捉えることさえできれば、計算通りに機動鎧で対抗して倒すことも十分に可能なはずだ。
同僚を殺された憎しみ。自分たちが暮らす町で好き勝手されている怒り。
執念にも近い強烈な感情を原動力に、瞬きすらも最低限に周囲を警戒する。
そして、ついに見つけた。
機体から九時の方向。一〇〇メートルほど先にある建物の影からその巨体が姿を現す。
その姿は確かにゴリラと呼ぶにふさわしいものだった。
獣というよりは人間に近い体躯で、全身は白に近い灰色の体毛で覆われ腕が大きく逞しい。
二息歩行も可能だろうが、まさしくゴリラやサルのように腕も使った四足歩行で建物の影から躍り出てきた形だ。
すでにあちらも青年の乗る機動鎧の存在に気づいているようだが、それはこちらも同じだ。
そして予想の通りセンサーに反応はなくとも姿ははっきりと見えている。
この条件であれば青年の方に分がある。
青年はまだ人類軍に入って三年程度だが、機動鎧での実戦経験は豊富だ。
この北米大陸は世界的に見て、比較的アンノウンの出現数が多い。
小さな港町の基地に二〇機もの機動鎧が配備されているのもそこに理由がある。
初めて見るタイプのアンノウンだが、勝てる自信はある。
相手が動き出す前に機動鎧用のマシンガンを向け、発砲する。
巨体の割に俊敏に動く中型アンノウンが器用に弾丸を回避しながら接近して来るが、慌てるほどのことではない。
弾丸をかいくぐって迫る巨体が十メートルまで迫ったタイミングでマシンガンを構えるのと反対の腕で近接戦闘用の〈ソニックブレード〉を抜き放ち、高速で振動する刃を突き出した。
中型アンノウン自身がこちらへと迫ってくる運動エネルギーも助けに、その胸に〈ソニックブレード〉を深々と突き立てる。
そうして動きの鈍った中型アンノウンに対し、追い打ちとばかりに至近距離からマシンガンの弾丸を頭部に撃ちこんでやれば、巨体から完全に力が失われる。
「はっ! ざまあみやがれ!」
突き立てていた刃を抜いて巨体を地面に転がしながら吐き捨て、通信で撃破の報告をいれつつすぐさま周囲の警戒を再開する。
最初に確認できた反応は七つ。
友軍から倒したという報告を受けていない以上、最低でもまだ六体のアンノウンが残っているはず。
そうなると一体倒した程度で気を抜くわけにはいかない。
だが、こうして警戒さえしっかりとしていれば倒せない相手ではないということは、今の戦闘でわかった。
反応が捉えられないことで不意打ちされやすいだけで、決して個体として強いわけではないのだ。
「ゴリラども、皆殺しだ……」
“血眼で探す”という言葉そのもので周囲を見渡しながら、町を駆ける。
「……いやがった!」
大きな道路に出た直後、二〇〇メートルほどの距離に灰色の影を見つけた。
迷わずそのアンノウンに向かって突撃しようとしたその時、カメラに映る映像がわずかに暗くなる。
直後、強い衝撃が機体を襲った。
想定外の衝撃によってバランスを崩した機体はそのまま勢いよく地面に倒れる。
操縦席の中で様々な警報音がけたたましく響き渡る中、状況を把握しようとモニターを見ると同時に、青年は言葉を失った。
仰向けに倒れた機体の真上。馬乗りになるように中型アンノウンの姿があったのだ。
視認していた中型アンノウンは距離があったので、この個体ではない。
であれば、視認していた個体に気を取られている内に接近を許したということだろう。
悪態をつきつつなんとか振り払おうとするも、機体の両肩を押さえつけられているのかまともに身動きができない。
馬乗りになった中型アンノウンが獰猛な目でこちらを見下ろす中、青年の耳は不自然な音を拾う。
まるで金属が軋むようなその音はしばらく続き、そして次の瞬間、機体の両腕がもぎ取られた。
機動鎧は基本的に腕で様々な武装を操って戦う兵器だ。
肩や腰に多少の武装を持つ場合もあるが、残念ながらこの機体にそんなものはない。
つまり青年はたった今、目の前の中型アンノウンに抗う手段を奪われたということだ。
しかも腕がなければ立ち上がることすらもできない。完全に手詰まりだ。
「クソ!」
叫ぶように吐き捨てながら正面にある機器に拳を叩きつける。
「クソ、クソ、クソ、クソォォォッ!」
目の前で心なしか笑っているかのように見える中型アンノウンに。何もできない自分に。怒りをまき散らすように叫びながら拳を何度も何度も叩きつける。
「こんなところで、ゴリラごときに殺されるってのかよ……!」
そんな終わりを青年は望まないし、受け入れられない。
同僚十人近くの仇をたったの一体しか殺せず終わるという情けない結果で終わりたくなどない。
「……神でも悪魔でもなんでもいい……俺はこんなところで死にたくねえんだよ!」
青年はまるで血でも吐くような声で叫んだ。
この状況でもしも生き残れるというのなら、神や悪魔などの実在するかもわからないものに祈るというバカなこともやってもいい。
ただ、青年自身こんなことをしても無駄だとわかってはいる。
あくまでこれは最後の悪あがきでしかない。
少なくとも青年はそのつもりだった。
『……はいはーい。神でも悪魔でもないですけどお助けしますね』
わずかなノイズの後に通信で届いた気の抜けるようなメッセージ。
まだ高さのある少年の、妙に緊張感に欠ける軽い調子の声と言葉に青年は叫んだ口を開けたまま呆然とする。
『あ、そうそう。くれぐれも動かないでくださいね。一緒に斬っちゃったら笑えないんで』
直後、センサーがこちらへ接近する機体の反応を示した。
ミサイルかと見紛う速度で接近してきたそれは、一瞬の内に青年の乗る機動鎧を組み敷く中型アンノウンの背後を駆け抜ける。
直後、中型アンノウンの首が落ちた。
「…………は?」
首を失ったことで倒れこんできた巨体のせいで機動鎧はまだ動きようがないが、それでも青年を脅かす脅威は一瞬にしてなくなってしまった。
急激な状況の変化に正直に言って思考が追い付いていない。
『えっとご無事ですかね? 俺、間違ってそっちの機体ごと斬っちゃったりしてないですよね?』
「あ、ああ。こっちの機体はなんともない」
『そいつは何より』
日常会話のような軽さの言葉の中、倒れこんできた首なしの巨体が横から蹴り飛ばされて機体の上から転げ落ちる。かと思えば今度は倒れていた機体が抱き起こされた。
『損傷は腕がもがれたくらい……あとはご自分で退却できますね?』
「そう……だな、問題なさそうだ」
機体の状況を確認しつつ、青年はようやく自身を助けてくれた存在を目にする。
それは黒い機動鎧だった。
一般的に機動鎧は角ばっていて全体的に各部が太く力強い印象を与えるシルエットのものが多い。
しかし目の前の機体は真逆で、スラリとした細身のシルエットが印象的だ。恐らくは新型だろう。
「救援感謝する……それで、そちらの所属は……?」
『あー、そうですね……』
通信越しに微妙な様子を見せた黒の機動鎧はおもむろに腰の火器を手にすると、ためらいなくそれを発砲した。
光学兵器特有の光の弾丸が駆け抜け、静かに迫ってきていた中型アンノウンの頭部を撃ち抜く。
「……そっちのセンサーは、ゴリラどもを捉えられているのか?」
今の中型アンノウンは完全に機動鎧のカメラの死角から接近してきていた。
それに反応できたということは、センサーで感知できたということに違いない。少なくとも青年はそう考えた。
『いえ、こっちのセンサーもダメダメですよ。幸い俺なら感知できるんですけど』
妙な言い回しに青年の中で疑念が膨れ上がる。
対する通信相手は、困ったようにわずかに息を吐いた。
『……俺の所属は、特別遊撃部隊〈ミストルテイン〉……って言えば、お察しいただけます?』
〈ミストルテイン〉に“黒の新型機動鎧”。
それらの情報は、青年も耳にしたことがあるものだった。
「お前……人外の協力者か……!?」
ほんの数週間前に人類軍全体を震撼させたビッグニュース。
人類軍に協力する、異能の力を持つ者。
驚きを隠すことのできない青年の言葉に、通信越しの少年は小さく笑う。
『ご名答♪』
無邪気で楽しげな声の直後、黒の機動鎧は天高く飛び上がった。




