4章-イレギュラー-
「……シオン、アンタなんかあった?」
〈ミストルテイン〉内の会議室のひとつでシオンの顔を覗き込んでくるアンナ。
わずかに心配そうな様子を見せる彼女に対してシオンは曖昧に笑ってみせる。
「ちょっと夢見が悪かったんです」
「悪い夢で体調崩すような繊細な人種だとは思いませんが」
「興味あります? 昔とある山奥の墓地で発生した大量のゾンビとバトル繰り広げる羽目になったときの夢だったんですけど……」
ここぞとばかりに嫌味を言ってきたミスティに対して実際の夢とは別の話題を提案すれば顔色を悪くして「結構です」と首を横に振った。
そんな戯れを見ていたアキトがわざとらしく咳払いする。
「全員揃ったところで、始めていいだろうか?」
アキトの言葉にアキト、アンナ、ミスティの三人が頷けば、アキトから視線を向けられたミスティが手元のタブレットを操作して会議室のモニターに情報を映し出した。
「中東におけるテロリストたちの活動において、アンノウンの出現を誘発する誘導装置と、それをテロリストたちに提供した謎の第三者が存在することが明らかになりました。現在その両方についての調査が進められていますが、協力者シオン・イースタルの見解についても把握しておきたいと本部からの要請が来ています」
普段シオンに頼ることに否定的なミスティだが本部からの要請ということもあってか大人しい。とはいえ、内心ではおそらく面白くないと思っているだろう。
「はっきり言えば、今回の件は想定外もいいところだった。俺たちはその可能性を全く考慮に入れていなかったのだからな」
深刻な表情のアキトが言うように、テロリストたちの奇襲作戦についてこちらがしていた予想は"なんらかの手段によるアンノウン出現位置の予測"だったわけだが、実態は全く異なっていた。
人外や異能の類が関わっている可能性まで考えられただけでも人間としては十分に広い視野だと思うが、この手の問題は結果が伴わなければあまり価値はない。アキトが深刻に受け止めてしまうのも仕方がないことだろう。
「気休めですが、今回はしょうがないことだったと思います。……俺もそうですが、異能に通じる人間でも絶対に予想できなかったようなことですから」
アキトに対して一応のフォローを入れるが、あまり効果はなかったようで彼の表情は厳しいままだ。
そんな空気を変えるようにアンナが口を開く。
「過ぎたことをどうこう言っても仕方ないわ。さっさと話しを進めましょ。……で、早速だけどシオン、そもそもアンノウンの制御なんて【異界】のほうでもできないことだって話だったはずよね? そこはどうなの?」
「そうです! 今回の件は貴方の情報が誤っていたことが原因とも言えるのでは?」
「まあ確かに俺のほうにも落ち度はありますが……少なくとも俺の知る限りでは不可能だったはずなんですよ」
結果的に間違いであったのは確かだが、この情報に関してはシオンはもちろん、もっと多くの知識を有する他の人外に聞いたところで同じだったはずだ。
「……ひとまず、何故人外にアンノウンが制御できないのかを聞かせてほしい」
アキトの言葉に対してひとつ頷くと、シオンは少し居住まいを正してから口を開いた。
「まず大前提として、あらゆる犠牲を許容すればアンノウンの制御はできます」
「……では、貴方は虚偽の情報を流していたと?」
「虚偽のつもりはありません。眼鏡副艦長だって絶対にあり得ないと思ってることわざわざ口にしないでしょ?」
「程度によります」
「じゃあ"死んだらできること"を"可能なこと"として人に説明します?」
シオンの例えにミスティは口を噤む。それを確認してから三人に対して指を二本立てて見せた。
「アンノウンを制御できないとする理由、その一。人外にとってそれをするということは最大級の悪、あるいは汚らわしいことだと見なされるから」
「……いまいちピンと来ないわね」
「簡単に言えば、魔物になり下がる必要があります。人間視点で考えると……ゴキブリとか自分の一番嫌いな生き物に生まれ変わる必要があるって感じです」
人外にとって魔物とは本能で嫌悪感を覚える対象だ。
多種多様な種族、価値観の存在する人外だが、その価値観だけはどれだけ真逆の価値観を持つ人外同士であっても相違がない。
"この世で自分が一番なりたくないものになる"という選択をすればアンノウンの制御も不可能ではないが、まず自発的にその選択肢を選ぶ者がいるとは思えない。
「その二。仮にその一の選択をしたとして、自我を保つのは不可能です」
「……知性のないケダモノになってしまうということか?」
「普通の人外であればまさしくそうなりますし、飛びぬけて強い人外が辛うじて知性を残すことができたとしても、穢れにのまれた時点で単なる破壊神にしかなり得ないでしょう」
つまり、アンノウンを制御するために同族になり下がれば、その時点で制御しようとした目的すら見失う可能性が高い。それでは本末転倒というわけだ。
膨大な穢れに晒された結果本人の意志とは別で魔物になってしまうパターンも存在するが、そのパターンであれば自我を失うか知性ある破壊神になるかの二択なので、装置を作ってどうこうなんて真似ができるとは思えない。
「そもそも、仮に知性を残してアンノウンの制御ができるようになったとしても、それを装置にして人間に渡す理由がないと思うんですよね」
ひとまず諸々の"あり得ない"を無視して、十分な知性を残したまま魔物になることに成功し、さらにそれを装置にできるだけの技術をもった存在がいると仮定する。
しかしその存在がテロリストたちにアンノウンの誘導装置を与える理由はどこにあるだろうか。
「人間社会を混乱させ、侵攻を容易くしようという【異界】の企みと考えればおかしくないのでは?」
「……まあ絶対にないとはいいませんけど、非効率もいいとこじゃありません?」
ミスティの考えの通り、"人間社会を混乱させて侵攻を楽にする"ことが目的だとする。
しかしそれならば、装置を作る手間をかけてまでテロリストを介する理由がない。
「前に似たようなこと話しましたけど、デカい拠点に直接アンノウンの大群を放り込んだらいいだけの話じゃないですか。中東でテロリストそそのかしてちまちまやってる理由なんてないんですよ」
以前の話では"空間転移で制御していないアンノウンたちを送り込む"という方法を前提としていたが、もしもアンノウンの制御が可能なら尚更重要拠点を直接襲うのが一番だろう。
「……人間同士の戦いに偽装しようとしているのでは?」
「それ、多分自分でもしっくり来てませんよね?」
何かと人外を悪者にしたがるミスティだが、頭が悪いわけではない。
シオンの指摘通り、自分でそのように口にしつつも違和感には気づいているようだ。
「正直、方法に関しては俺だってわかりませんから考えるだけ無駄だと思うんです」
「なんのためにそんなことをしているのかについて考えるほうが建設的だと言いたいのか?」
「そうです。さっすが艦長」
少しふざけて見せるシオンに呆れるでもなく、アキトは難しい表情のまま考え込む。
「テロリストに提供した時点で、社会、あるいは人類軍に損害を与えるのが目的だったというのは間違いないだろう」
「……そうですね。そこにズレはないと思います」
「社会や人類軍に損害を与えて利益を得るのは【異界】の人外たちか、実行犯となった≪中東解放戦線≫とは別のテロ組織といったところか?」
「俺が言うのもアレですが、こちらの世界に暮らす人外も含めておきましょう」
シオンの言葉に三人の驚きの視線が集まる。
まさかシオンが人外を可能性に入れるとは思っていなかったのか、一番驚いているのはミスティだ。
「……貴方にとって味方ではないのですか?」
「同じ人外でも色々いますよ。人間だって人類軍とテロ組織に分かれてるくらいなんですから」
これまでの〈ミストルテイン〉が接触してきた人外はおそらくシロと見ていいだろうが、他にもこちらの世界に住む人外はいる。
その一部が何かしらの悪巧みをしている可能性は否定できないだろう。
「そうなってくると、だいぶややこしい話になってくるわよね……」
【異界】と人類軍の間の境界戦争という構図はそのままで、そこに"人類に仇為す【異界】外部の人外たち"が加わる形になる。
それが【異界】と協力関係にあるとすればまだ話はシンプルだが、基本的にこちらの世界に暮らす人外は【異界】との関わりが薄い。
最悪、【異界】とはまた別の思惑を持って暗躍する第三勢力という可能性も否定しきれない。アンナの言う通り、話はややこしくなってしまう。
「現状言えるのは、誘導装置を作り出した存在は科学的にも魔術的にもイレギュラーな存在だってことです。その目的がなんであれ、早めに尻尾を掴んでおくべきだと、本部の人たちにもお伝えください」
誘導装置は実物を確保することもできているのでまだいいが、提供者については存在以外何もわかっていない。
そしてアンノウンの誘導という強い人外でもできないことをやってのけた存在が、さらにこちらの想像を越えたことをできないという確証はない。
「(一日でも早く正体を突き止めないと、相当まずいことになる)」
シオンがそんな胸騒ぎを覚える中、会議室での時間は過ぎていった。




