序章-束の間の語らい-
〈ミストルテイン〉のあった格納庫から再び中央管理塔の地下を目指すべく、シオンはハルマたち監視役に導かれるまま、地下を走る車両に乗り込んだ。
一直線の線路を走るだけではあるが、それなりの広さのある人工島の約半分を縦断するため車両での移動時間は短くはない。だいたい三〇分は必要だろう。
そんな移動中の車両の中は、重苦しい沈黙で満ちていた。
「(気まず……)」
移動を始めてからずっと変わらない最悪の空気。普段であれば軽口のひとつでも叩くところなのだが、この空気の原因は紛れもなくシオンなのでさすがにそうもいかない。
車両の両サイドの壁と一体化するような形になっているシートの左側にシオンとそれを挟むようにハルマとレイス。対面する反対側正面にリーナとナツミが座っている形になる。それぞれの表情を盗み見ると、表情も各々かなり違うことに気づいた。
ハルマは最初に見たのと同じ暗い色の瞳のまま、感情を感じさせない表情をしている。もっと怒りに満ちていたとしてもおかしくないと思うのだが、アキトの言うように状況を鑑みて怒りを抑えているのかもしれない。ただ、シオンが少しでも妙な真似をすれば即撃ち殺しそうな警戒は雰囲気から十分過ぎるほどに感じられる。
シオンから見てハルマの反対側に座るレイスは、戸惑っているのがわかりやすい。もともと穏やかであまり争いを好まない少年だ。シオンがこの三年間正体を黙っていたということは理解しているだろうが、だからといってすぐにシオンを敵として認識できるようなタイプではない。
次に正面に座る内のひとりであるリーナだが、真っ直ぐにシオンのことを見ている。その瞳はただ冷静にこちらを注視しているだけだ。明確な敵意はないが、こちらを警戒していることはわかりやすい。学生生活の中では心優しい年相応の少女という印象が強かったが、今は感情を抜きにしてシオンのことを見極めようとしているのかもしれない。
そして最後、ナツミの態度は他の三名と明らかに異なっていた。
ナツミはチラチラとシオンのことを見ている。他の三名が監視のためにこちらを注視している中でその行動はかなり浮いている。監視対象から目をそらすなど、どう考えても監視役のすることではない。さまよう視線からはあからさますぎるほどに迷いが伺え、その口も何かを言おうと小さく開きかけては閉じるという動きをしばしば繰り返している。
そんな行動から読み取れる彼女の考えはといえば、ひとつしかない。
「ねえ、シオン。ひとつ質問してもいい?」
重苦しい沈黙の中、迷いつつもはっきりとしたナツミの声はやけに大きく聞こえた。彼女自身もそれに驚いたかのように少し肩を震わせている。
「……何かあるなら、聞いてくれていい」
うろたえる彼女に対して、シオンは可能な限り優しい声を出したつもりだ。直前の行動からナツミがシオンに何か言いたいことがあるのは予想できていた。彼女からどういう言葉が出てくるかはわからないが、この気まずい沈黙よりは幾分かマシだろう。
シオンの返答に対してナツミはわずかに迷う素振りを見せた。自身の兄を含めた周囲の反応も気にしているようだ。それから他の三人が静止をかけてくる様子がないことを確認し、軽く咳ばらいをしてからシオンを真っ直ぐに見つめた。
「最初にアンノウンたちが出てきた時、どうして助けてくれたの?」
アンノウンが出た時に助けた。それは商業地区での一件に違いないだろう。それをどうしてと尋ねてくるナツミに対して、シオンの答えはシンプルだった。
「別に、理由はないけど?」
「……え?」
ナツミに限らずリーナすらも驚いているようだが、シオンからすれば驚かれることではないと思う。
「赤の他人ならどうでもいいけど、ミツルギ妹を放って逃げる理由はない」
「でも、あたしは人間だし」
「俺だって人間だし」
「「「え?」」」
ハルマを除く三名の声が見事にシンクロした。今のは完全にシオンが人間であることに対する疑問の声である。声は出さなかったがハルマもわずかに驚いているようだった。
「あのさ、アンナ教官とかミツルギさんとかから説明聞いてない……?」
「この指令はアーノルド副艦長から伝えられたものよ」
「ごめん、名前で言われてもわかんないんだけど、どんな人?」
「眼鏡をかけた女性だけれど」
「あー、あの人かー……」
リーナの言葉にシオンのことをこれでもかと目の敵にしていた眼鏡の女性が思い浮かんだ。よく考えれば彼女を含めてどこまでの人間に対して“異能の力を持つ人間”というシオンの微妙な立ち位置が伝えられているのか不明であるし、あの女性なら仮に話を聞いていようともそれを信用せず、下の人間に伝えないなんてこともあり得そうだ。
「……だとしても、関係ないだろ」
自身のことをどう説明しようか悩んでいたシオンの隣でハルマは冷静に言った。
「コイツがどういうものだとしても、ずっと正体を隠してたことに違いはないし、バケモノみたいな力を持ってるのも事実だ。人間かどうかなんて今更関係ない」
「……兄さんは本気でそう思ってるの」
冷静なハルマとは真逆にナツミの声は感情が隠せていない。その感情は“怒り”だ。
「三年一緒に過ごした相手を、話も聞かないで敵だって決めつけるの?」
「三年間騙されてたんだ。信用なんてできないだろ」
「自分は《異界》の人と同じ異能の力が使えますなんて、馬鹿正直に話せるわけないじゃない!」
シートから立ち上がりそうなほどの勢いのナツミに、ハルマの目も険しくなる。
「父さんを殺した連中の同類かもしれないんだぞ⁉」
「でも、あたしのことは守ってくれた! それにお父さんが死んじゃった時のシオンなんて十歳くらいじゃない! そんな相手まで恨むわけ⁉」
ヒートアップしていく双子の喧嘩にレイスとリーナが目に見えて戸惑っている。そのふたりに板挟みになっているシオンとてどうしていいのかわからない。だが完全に平行線のふたりの主張を考えると、誰かが止めなければ本当に終わらない。
「あああああもう! この状況で兄妹喧嘩とかすんじゃない‼」
結局、喧嘩の原因であるシオンがふたりの間に割って入って喧嘩を止めるというなんとも間抜けな結末を迎えることになった。まさかの“私のために争わないで!”というシチュエーションである。
「……とりあえず、俺が言うのもなんだけど今回はミツルギ兄の方が正しいと思う」
「なんで⁉」
「俺が正体話してなかったのは事実だし、普通、今回みたいな状況なら俺みたいなのは疑うべきだと思う。というか疑え。マジでいつか詐欺に引っかかるぞ」
納得いっていないのが明らかなナツミにシオンは本気で頭を抱えたい。その一方で彼女を除く三名は驚きを隠せていない。まさかシオン本人から疑えと言われるとは思っていなかったらしい。しかし、当人であるシオンが言うのもなんだが今のは一般論だろうし、何より人ならざるものの中には極端に悪性の強いものも多い。
「俺が言うのもあれだけど、人外を相手にする時は基本疑ってかかれよ? ちょっと気を許した瞬間頭から食べられるとか、軽い気持ちで頼み事聞いたら魂持ってかれるとか有り得るからな? イエスとしか答えられない状況で選択迫られて妙な約束させてくるこざかしい鬼とかもいるし」
『おーい、最後のはもしかしなくても俺様のことか? ん?』
脳内で朱月が何やら言っているがシオンはあえて無視した。
「えっと、なんかごめんなさい」
「わかればいい」
先程までの怒りがすっかりと収まって反省した様子のナツミにひとまず問題ないと判断する。少しそそっかしいが頭が悪いわけではない彼女のことなので、これで今後はしっかりと警戒するようになるだろう。安心と共に軽く息を吐いたシオンは、そこでナツミを除く三名の目が自身に集まっていることに気づいた。
「……何かまだ質問ある?」
「そうね、あると言えばあるわ。……どうしてそんな丁寧にナツミに警告してくれるの?」
「……ん?」
「貴方が人類軍に協力してくれるという話は聞いているけれど、そこまで優しくしてくれる理由はないんじゃないかしら?」
質問の意図を理解しかねたシオンに、リーナはより具体的に質問を言い直してくれた。こういったやり取りは学生時代にテスト範囲の質問をした時のようでわかりやすい。おかげで彼女の言わんとすることを理解できた。
「つまり、協力者っていう人類軍の絶対的味方じゃない立場の俺がそこまでする理由はないんじゃないか? って質問か」
シオンの立場はあくまで“協力者”。最高司令官にしろアキトにしろこのスタンスについては明確に周囲に伝えている。
彼らがわざわざこの言い回しをするのは、シオンはあくまで人類軍に所属はしていないから。そして人類軍に所属していないということはシオンが人類軍の絶対的な味方ではないということと同義だ。
あくまでシオンは協力してくれている人類軍外部の人間。外部の人間である以上、一〇〇パーセントの信頼に足る相手ではない。大っぴらには言いにくいそういう微妙なニュアンスが“協力者”というワードには含まれているというわけだ。
上からの説明を聞いた軍人の大半はそのニュアンスを理解できていないだろうが、少なくともリーナはそうではないらしい。その上でシオンがナツミに対してああも丁寧に警告をしたことに違和感を覚えているのだろう。
疑問としては至極真っ当というか、あって然るべきものだと思う。しかしシオンの感想としては“いちいち面倒臭い”というものに尽きた。
「あのさ、何でもかんでも理由がないとダメかな?」
「それは……」
「最初にミツルギ妹を助けた件もそうだけど、正直そこまで深く考えてない」
助けなくてはいけない理由も、警告しなければいけない理由もない。だが、それ自体別におかしなことではないだろう。人間、なんでもかんでも明確な理由を持って行動するわけではないし、少なくともシオンはかなりいい加減なのでその場の勢いや思い付きで行動することも多い。
例に挙げたようなことをしたのも、単にそれだけのことだ。そういったシオンの気質自体は三年間親交のあった彼らにとっても覚えのあるものだろう。
「それとも、お前らにとってバケモノの俺は、人間を殺さないとダメなのか?」
そもそもシオンに人間を殺したり攻撃したりする理由なんてものはないし、理由があると告げたこともない。にもかかわらず執拗にシオンがナツミを助けたことに疑問が持たれる理由は単純で、リーナはもちろんここにいる全員が、シオンは人間に害を為す者なのだと当然のように考えているからだ。
――異能の力を扱うバケモノたちは、人間の敵である。
彼らは何の疑いもなく、それを前提に考えている。彼らに限ったことではなくこの世界に生きる人間のほとんどがその考えを持っていることだろう。この世界にとってのシオンは、人間を殺そうとするはずのバケモノでしかないのだ。
シオンの問いにリーナや他の三人が黙り込む中、車両が停車する。どうやら目的地に到着したようだ。
「あえて言うなら、俺は別に人間嫌いでもなんでもないし、見捨てたり傷つける理由が特にないだけ。……理由がほしいなら、これで納得してよ」
返事は待たずにさっさとシートから立ち上がると、四人を待たずに車両を降りる。そんなシオンを一番に追いかけてきたのはナツミだった。
「シオン、その、ごめん。勝手に決めつけて」
「別に謝ることじゃない。このご時世じゃ、誰だってそう考えるのが当然なんだからさ」
彼女らがシオンを危険な存在だと考えていたとして、それについてシオンは大して気にしてはいない。この時代においてそう考えるのはごく当たり前のことで、それは間違いなく正解だ。むしろそうでなければならない。
「当然だから、それでいいってことじゃない」
シオンの正面、わずかに俯いたままのナツミの声は少し震えていた。泣いているのではなく、彼女は怒っているように見える。
「みんながそう考えてるからって、シオンのことを決めつけるなんて間違ってる。……ついさっきまで間違えてたあたしが言っても今更だけどね」
「だから、ごめんなさい」と再びの謝罪と共に頭を下げるナツミ。その姿がシオンには眩しく、そして愚かにも見えた。頭を下げるナツミに向かって口を開きかけ……一度言葉を飲み込む。
「気にしなくていいし、決めつけてかかるくらいにしておいた方がいい。……長生きしたいならね」
淡々と告げるシオンに対して、顔を上げたナツミの表情は悲しげだった。
その後、車両から出てきた残る三名に先導されて移動を再開する。以降、目的の部屋にたどり着くまで、一切の会話が交わされることはなかった。




