3章-食堂にてご挨拶①-
「なん……ですと……!?」
目の前の女性から聞かされた言葉に、シオンは目を見開く。
たった今聞いた事実が信じられず、再び同じ問いを投げかけるが答えは変わらない。
シオンは片手で顔面を覆い、天を仰いだ。
「なんてこった……この世に神はいないのか……!!」
「うるさいさっさと前に進め」
天を仰ぐシオンの後頭部がハルマによって勢いよくはたかれる。
「痛いじゃんか」
「痛くしたんだよ。後ろつかえてるんださっさとしろ」
「そうは言うけどさ……」
不満そうにするシオンに対して、ハルマはいっそわざとらしいほどに大きくため息をつく。
「ドーナツが品切れなだけで無駄に大袈裟に騒ぐなよ」
そう、シオンが直面している問題というのは艦内の食堂で提供されるドーナツが品切れになっていることにあった。
軍艦とは思えない品揃えを誇る〈ミストルテイン〉の食堂ではそういったスイーツの類も決して多くはないが取り扱いがあり、シオンの日々の楽しみになっているのだ。
そんな楽しみが欠品しているとなれば深刻にもなるだろうというのがシオンの主張だが、シオンを見るハルマの目は完全に馬鹿を見る目である。
「というか、ついこの間補給したばっかりですよね!? もうなくなっちゃったんですかおばちゃん!」
食堂のカウンターに立つベテラン女性軍人――なんの因果か士官学校の食堂勤務からアンナのように現場復帰して〈ミストルテイン〉の主計科に配属となった通称"食堂のおばちゃん"(御年四十五歳)に縋るように尋ねるシオン。
学生時代からシオンを知る故にひっそり普通に接してくれる彼女は困った様子で微笑む。
「そうねえ。確かにこの間ちゃんと補給してもらったんだけど……」
「ですよね! もしかしてネズミ被害とか!? だったらネズミ燃やしますよ俺!」
「落ち着け馬鹿」
カウンターを挟んで身を乗り出さん勢いのシオンの後ろ襟をハルマが捕まえる。
まるで騒ぐネコが飼い主に捕まえられているような絵面だが、本人たちは気づいていない。
「ネズミとかそういうことじゃないんだけど……」
「じゃないんだけど?」
「シオンくん。最近食堂にいっぱい来るようになったでしょう?」
彼女の言う通りマイアミ基地での話し合いより前は、まだ正式な協力者ではなかったことや一応は船員たちを刺激しないように注意していたこともあり、食堂はもちろんあまり人の多い区画には足を運ばないようにしていた。
しかし最近は協力者の地位を確かなものにできたことと十三技班とのあれこれで色々どうでもよくなってしまったことがあり、シオンは前よりも艦内で自由に過ごしている。
そのため食堂に足を運ぶ回数も増え、一日あたり朝昼晩に加えて午後三時のおやつ時の計四回は最低でも通っている。
「俺がたくさん来るから……?」
「シオンくんが来るたびにドーナツ食べるからすごい勢いでなくなっちゃったのよ」
語られたドーナツ品切れの原因に沈黙が流れること数秒。
「つまり……ドーナツを駆逐したのは他でもないこの馬鹿シオンだってことですね」
「女性軍人さんにも食べる人はいるけど、シオンくんほどじゃないから……八割はシオンくんが食べちゃったんじゃないかしら?」
「……あははは」
笑うシオンの頭をハルマが鷲掴む。
「おばちゃん。今日のAランチふたつお願いします」
シオンの昼食はハルマによって強制的に決定された。
そうしてシオンは頭を掴まれたままハルマによって連行されていくのだった。
「なんでたまたまお前と昼が被っただけでこんな目に遭うんだ……」
注文したAランチを受け取って席を探す道中、ハルマがため息交じりに愚痴を零す。
何か言葉を返してもいいのだが、愚痴の原因はシオンなので高確率で逆に怒らせると判断して黙っておく。
いつものようにレイスやリーナが一緒にいればフォローもしてくれただろうが、ふたりとも今は別行動らしい。
ちなみに、シオンもだいたいはギルや他の十三技班のメンバーと食堂に来ることが多いのだが、今日は作業の都合で単独行動である。
げんなりしているハルマだが、今になってシオンと別れて食事をしようという考えはないらしい。
ふたりで座れそうな席を探して食堂内を見渡したのだが、
「あ……」
席よりも先にシオンの目についたのは皿の上に置かれたふたつのドーナツだった。
食い意地が張っているのは自覚しているが、食べる気満々で食べられなかったものに目を奪われるのは別におかしなことではないだろうと主張したい。
そんなシオンに気づいたハルマがイラっとした顔をしている中、そのドーナツを食べようとしていた女性と目が合った。
青みがかった黒のショートカットにあまり表情の読み取れない顔。全体的にクールな印象を受ける女性に、シオンは引っかかりを覚える。
「なんとなく見覚えがあるようなないような……?」
「お前……」
シオンの呟きに呆れたような顔をするハルマ。
何故そんな顔をするのかと尋ねるよりも先に、器用にランチの乗ったトレイを片手に持ち替えたアキトに引っ張られていく。
「ハルマさーん?」
「お前、ちゃんと覚えとけ。……あの人、ブリッジの通信・管制担当だぞ」
ハルマの言葉にようやく引っかかりの正体を理解したシオン。
そうして気づいたときには問題の女性の前に立っていたのだった。




