序章-始まりの日-
――ああ、地獄はきっとこんな場所なんだろう。
星ひとつ見つからない暗い夜空の下にも関わらず、あちらこちらで燃え盛る炎のせいで周囲はやけに明るい。
その明かりに照らされているのは、崩れ、燃え尽きてしまった建物の名残や、自動車などであったであろうひしゃげた金属の塊。それから黒く炭化してしまった物体も無数に転がっている。
一見するとそれが何なのかはわからない。しかしよくよく観察すればそれらに腕、あるいは足のようなものがあることが見て取れる。
つまりは、かつては人だったモノたちだ。
少年自身、実際の地獄を知っているわけではない。それでも目の前の世界は十分に地獄と呼んで差し支えのないものだ。
「(……ここはあそこじゃない。単なる俺の夢ってわけじゃなさそうだ)」
多種多様な残骸だらけの世界。肉の焼けるにおいと、今もまさに命を奪わんと燃え盛る炎。似たような光景に覚えはあれど、少年の知るものとは違う。
そして状況は何ひとつ飲み込めずとも、はっきりしていることはある。
ここは生きた人間がいるべき場所ではない。
その結論に至ると共に、少年は走り出した。行くあてがあるわけではないが、少なくとも火の手のない場所までは逃げておいた方がいいだろう。
燃える炎や崩れた建物に阻まれつつも、少年はとにかく足を進める。しかしどれだけの時間走り続けても、視界に広がる地獄に終わりは見えない。それ以上にこの場所は明らかにおかしかった。
街並みは多くのビルが立ち並ぶ大都市――かと思えば角をひとつ曲がった途端に住宅街に変わる。そしてふと気づけば今度は建物もまばらな田舎町の光景に変わる。どこも崩壊し炎に包まれていることしか共通点はなく、無秩序な周囲の変化に法則性もない。
――もしかしたら、ここは本物の地獄なのではないだろうか。
少年の脳裏に嫌な予感がよぎったその時、少年の背後で何かが動く気配があった。反射的に振り返った少年は、そのまま目を見開いて動きを止める。
そこにいたのは人影だった。
文字通り、言葉通りの人の形をした影。言い換えればただ人の形をしているだけの黒い何かだ。
頭、胴体、腕、脚、人間の身体を構成するパーツは揃っている。しかしそれぞれの大きさはめちゃくちゃなもので、そのシルエットは歪であるとしか言いようがない。
やがて、おぞましいその姿を見つめるばかりの少年の目と、人影の顔と思しき部位にある一対の血走った目が合う。
「……コセ」
歪な人影に口はない。しかし間違いなく人影から発せられたであろう声は、女性のような声と男性のような声、いくつもの声が機械で合成されたかのような不可思議で不気味なもの。そして――
「ヨコセヨコセヨコセ‼」
歪な身体を震わせながら狂ったように叫ぶ人影に、少年は脱兎のごとくその場から走り出した。
「(ヤバイヤバイヤバイ‼ あれは絶対にヤバイ‼)」
外見にしても発言内容にしても、深く考えるまでもなく本能でわかる。あれは決してよいものではない。もしもあれに捕まろうものなら、その先に待つものはひとつしか思い当たらない。
最悪な予感を振り払うように少年は激しく頭を振り、ただこの状況から逃れることだけを考える。
しかし、人影の方もそう簡単には逃してくれるつもりはないらしい。
気味の悪いその身体を揺らし少年のことを追いかけてくる。両手と両足を駆使して駆けるその様は、人の形をしていながらも明らかに獣の動きだ。しかし、四肢が歪であるせいか獣ほど動きは素早くない。単純な速度だけで考えれば逃げ切ることも不可能ではない。だが――、
「……っ‼」
走る最中に感じた悪寒と上方から迫る影に、咄嗟に横に転がるようにしてその場から逃れる。
地面を転がりすぐに身体を起こした少年の目に映ったのは二体目の人影。しかもそれだけではない。付近の建造物の屋根の上や自身を追いかけてきた一体目の人影の後方にもまだ他の人影が控えている。
「ウソだろ……」
一体ならともかく、こうも数がいてはとても逃げられない。そうなれば少年に待つのは死の未来だけだ。
「「「「――ヨコセヨコセヨコセヨコセ」」」」
壊れた機械のように同じ言葉を繰り返し続ける無数の人影たち。
その内の一体が、地面に這いつくばったままの少年に一歩近付いたその時、燃える炎の赤に満たされた世界が突如として白く染まった。
少年の真後ろから差した純白の光に人影たちが苦しむように悲鳴を上げる。
突然の事態に驚きながら振り向けば、目が眩むほどに強い光のはずが不思議と少年の目はそうはならずに真正面から光の先を見つめることができた。少し離れた位置から放たれる光は、ひとつの巨大な鳥居の先からこちらに差し込んでいる。
「(あそこだ!)」
あの光の正体は少年にはわからない。そもそも先程まであんな場所に鳥居があったかも定かではない。
しかし光の温かさと強く感じられる清らかな気配は、それが自身を救うものなのだと確信させた。
よろけながらも必死に走り、鳥居を目指す。後方から人影たちが自身に腕を伸ばしているのが一瞬見えたが、そのおぞましい光景を振り払うように足を必死に前に進める。
巨大な鳥居についに手が届くほど近づいたその時、ひときわ強くなった光に少年はのみこまれた。
光に包まれた真っ白な世界。不思議とそこに恐怖はない。
それから数秒、はじまりがそうであったように唐突に白い光は弱まっていき、少年の前の景色は再びの変化を見せる。
そこは先程まで見ていた地獄とは似ても似つかない場所だった。
整備された石畳に、いくつかの純和風の社が建っている。木製の社やそれらに施された装飾は決して煌びやかではないが、神聖な雰囲気を感じさせる。
ここにはつい先程まではあったはずの肉の焼ける不快なにおいも、炎の熱さもない。死を身近に感じさせる息の詰まるような空気とは対極にあるような穏やかで清らかな空気に満たされている場所だった。
そして少年の真正面――この場所でも最も大きな社の前にひとりの人間が立っていた。
汚れのひとつもない白と鮮やかな朱色の巫女装束に身を包み、長く艶やかな黒髪を風に揺らす立ち姿はから察するに、その人物は女性のようだ。その背中をじっと見つめていると、目の前の女性は静かに振り返る。
透き通る白い肌の、若く美しい女性。彼女の満月を思わせる金色の瞳には驚いた表情をした自身がはっきりと映っている。
そんな彼女の目元が緩み、わずかに安心したような――その一方でどこか苦しそうなわずかに歪んだ表情を見せる。そして彼女は小さくその唇を動かした。
紡がれたであろう言葉が音として発されることはなかった。ただ、音もなく数度だけ動いた唇の、最後の四つの動きが紡いだ言葉だけは理解することができた。
――た、す、け、て
その言葉の意味を理解した少年は目の前の女性に向かってすぐさま駆け出した。何故咄嗟にそのような行動をとってしまったのかは少年にもわからない。
ただ女性の表情があまりにも悲しげで、苦しそうで、手を伸ばさずにはいられなかった。
彼女の願いに応えんと必死に伸ばされた少年の手。
それが彼女を捉える寸前で、世界は暗転した。
瞼を開き、視界に入ったのは見慣れた無機質な天井と、そこへ向けて真っ直ぐに伸ばされている自身の右腕。
それをゆっくりと理解してから、シオン・イースタルはベッドに横たわっていた身体を起こした。
今まで見ていた夢をすべて覚えている――いや、おそらく夢ですらなかった。
「(どうにも、いやな予感がする)」
普通、眠っている間に見たものなどただの夢だと人は言うだろう。そしてそれは基本的に間違えていない。
しかしシオン個人には、そう簡単には片付けられない事情がある。
シオンは生来、生まれ持って常人の見聞きできないものを認識することができる体質だ。
その影響で今回のような不可思議な体験も初めてではない。今までの人生で見てきたそれらは何かの予兆であったり、近い未来の光景であったりと様々だった。
そして何より夢に現れたあの女性の助けを求める声なき言葉があまりにも気がかりで、頭から離れない。
「……あんたは、誰なんだ?」
ひとりきりの部屋の中、呟いた言葉はただ暗闇の中に消えていく。
少なくとも直接出会ったことのないはずの女性、しかし妙な親しみを感じた。それは、知人友人に感じるような親しみではなかった。もっと曖昧で漠然としたもの。それでいて何かがあることだけははっきりとしていて――……。
答えを求めてしばらくの間考え込んでいたシオンだったが、結局そう時間をかけずに考えることを止めた。
シオンの内にある感覚はあまりにも不確かすぎて、答えになりそうな考えはひとつも浮かばなかった。こんな状況でいくら考えたところでどうしようもない。
まだ深夜と呼べる時間帯なので頭も十分に働いているとは言い難い。よってシオンは考えることを一度止め、もう一度眠ることにした。
それに、もしも今回の体験になんらかの意味があり、何者かの意志によるものなのだとしたら、シオンは再び彼女と出会うだろう。
そう結論付けたシオンは再び眠りについたのだった。
***
朝、奇妙な夢から目覚めてから三時間あまりが経過した頃、シオンは詰襟の学生服をきっちりと着込んだ姿でとある講堂にいた。
ダルタニア軍士官学校。太平洋上に作られた十三の人工島のひとつ、第七人工島にある世界最大規模の軍人養成機関。そこはシオンが在学している学び舎であり、現在執り行われているのはその卒業式。
つまり、シオンはこの式典の終了と共に軍士官学校の卒業生となり、各国の代表者によって運営される世界政府の名の下に世界の治安を守る特定の国家に属さない軍隊――人類軍に正式に所属するわけである。
「(……こういう式とかなしで卒業できないもんなのかな)」
今日、三年間世話になった学び舎を卒業して軍属となるわけではあるが、シオンとしてはそのことは大して重要ではない。
シオンは簡潔に言うと、生活のためにこの士官学校に入学した身だ。
まだ人類同士の戦争が行われていた時代。少し人と違うものが見えるだけの子供だったシオンは親を亡くした。この時のシオンは五歳。真っ当に働ける年齢でもなく、かといって身寄りもない。そういった境遇の子供は当時珍しくもなく、シオンもまた当然のように養護施設に入りしばらくの期間をそこで静かに過ごした。しかしそういった施設からは、いつかは巣立たなければならないものだ。
普通の人々が生きる世界。そして見えてしまう者として垣間見た世界の裏にある不可思議な世界。
それぞれについて色々なことを理解できるようになったシオンが自身の未来について考え始めた頃に見つけたのが、戦災孤児などを学費無料で受け入れるという軍士官学校の制度だった。
この制度を利用して軍士官学校に入れば、学費無料に加えて士官学校の寮に住むことができ、在学中の生活費の援助が受けられるので普通に生活をする分には金銭面で困る心配はない。さらに卒業すればそのまま人類軍に所属でき、職に困らなくて済む――養護施設に次ぐとりあえずの宿と生活費の必要なシオンには非常に都合がよかったわけだ。
そういった理由でシオンはこの軍士官学校で三年間を過ごし、今日に至った次第である。
そんなシオンなので、そこまで学校に思い入れがあるというわけでもなく、あのような感想が出てきてしまうのも特別おかしなことではないだろう。
この軍士官学校は新暦元年に人類同士の戦争が終結し、人類軍が発足されて以降、初めて設立された由緒ある軍士官学校にあたる。そういった事情もあり式典自体の規模が一般的な教育機関などと比べて、圧倒的に大きくなってしまっているらしい。
一般的な校長の言葉や在校生の送辞、卒業生の答辞はもちろんだが、それ以外にも人類軍の高官なども祝いの言葉としてありがたい長話を披露するわけだ。
しかも内容については結局全員が似たり寄ったりで、それもまたシオンをげんなりとさせている原因になっている。
人類軍の人間として、人々を守り人類の繁栄に尽くすこと。
軍人として規律を遵守し、与えられた任務に責任を持つこと。
そして、《異界》を打倒し、人類の平和を取り戻すことだ。
今から六年前、新暦四年のこと。
太平洋のある一角に突如として別世界からやってきた人ならざるものたちの艦隊が出現した。
未知の存在の出現に世界は混乱を極めた。そんな中、当時の世界政府と人類軍は艦隊とのコンタクトを決定し、それを決行した。戦うのではなく、対話し、平和的に交流することを目的とした作戦だったという。
しかし結果は、考え得る中でも最悪のものだった。
艦隊側から不意打ちの攻撃を受けたことでコンタクトに向かった部隊は混乱。さらに人類の科学では到底解明できない異能の力を駆使する《異界》の艦隊の攻勢により、部隊は瞬く間に壊滅したという。
特攻同然の攻撃により敵の旗艦らしき艦を沈めたことで艦隊を追い返すことには成功したものの、人類側の被った被害は圧倒的に大きかった。
後に《太平洋の惨劇》と呼ばれるこの事件を機に、人類は新たな脅威である《異界》との戦いを開始することになった。
以降、かつて神話や伝承に語られた存在たち――天使や悪魔を彷彿とさせる有翼の人に近い種族、獣の特徴を持つ獣人、天空を駆けるドラゴン、大海をめぐる巨大な海獣などがこの世界に姿を現し人類軍と小規模な戦闘を繰り返しつつ《異界》との戦争――境界戦争は現在まで続いている。
それを踏まえれば確かに《異界》についての話はこれから人類軍に加わらんという若者たちに話すべき最重要案件であると言えるだろうが、こうも繰り返され続けては聞く気も失せる。
軍人としての意識の高い生徒たちにとってはそれも苦にならないことなのかもしれないが、残念ながらシオンはそうではない。
最初の段階で軍人を志願してここへ来たというわけでもなければ、そもそもシオンは軍人とはいえ兵士ではなく、兵士たちの乗る人型兵器、機動鎧の技師になるのだ。軍属には違いないだろうが、直接戦闘を行うような立場にはなく、少なくとも高官のありがたいお言葉とはあまり関係はないだろう。
そんな風に話を聞き流していたからか、気づけば最後の人物、人類軍の最高司令官、クリストファー・ゴルドの番になっているようだった。
人類軍の現トップの登場となればさすがのシオンも少なからず緊張する。他の生徒たちや来賓の人間もそれは同じらしく、会場内の空気が一気に引き締まったのを肌で感じた。
「卒業生のみなさん、卒業おめでとう。……長い話にはさすがに疲れている頃だろうから、私からは手短に済まさせてもらおうと思う」
落ち着いた声でそう前置きしたクリストファーは一度咳払いしてから再度口を開いた。
「十年前、人類は人類間の戦争を終結させた。……それに至るまでに多大な犠牲を出さなければならなかったことは、人間の愚かさの証明なのかもしれない。……事実、今こうして人類軍というひとつの形を成していても、やはりすべての人間が互いを理解し、受け入れ合うということはできてはいない」
そこまで話をしてから一度話を止めたクリストファーの表情は、遠目からでもわかるほど苦々しい。現在は人類軍に身を置いている彼だが、人類軍発足以前は自身の国の軍人として人類間の長い戦争を生き抜いた身であるというのは有名な話だ。それ故に人類間の戦争を経験した者として思うところもあるのだろう。
「しかし、私たちはそれを目指し続けなければならない。今後の人類のためはもちろん、今を生きる人々を、新たなる脅威である《異界》やアンノウンたちから守るために!」
アンノウン。そうクリストファーが発言した瞬間に会場の空気が変わったのを感じた。空気を張りつめさせているのは紛れもない緊張感だ。
新暦が始まる以前から確認され、《太平洋の惨劇》以降にその行動が活発化した未知の存在。
現在では《異界》から送り込まれている兵器の一種と考えられており、前兆なくこの世界に現れ、無秩序に人間を襲う。
それらは時折姿を現す人ならざるものたちよりも遥かに出現頻度も多く危険性も高い。現在の人類軍にとって、そして、これから軍人になる卒業生たちにとって最も明確な戦うべき敵というわけだ。
「アンノウンについてはまだまだ判明していないことが多い。だからこそ、若き諸君には一致団結してこの脅威に立ち向かってほしい。……これは、かつての人類同士の争いのわだかまりを残す我々大人には難しい、君たち若者にしかできないことだ。人種も、過去も関係なく力を合わせ、これからの世界を守ること。それを諸君らには期待する」
冒頭の宣言の通り、他の人間と比べれば圧倒的に短く済まされた言葉。
しかしその短い言葉たちは、他のどの人物のものよりも新たに軍人となる若者たちに強い印象を残したことだろう。それを物語るように大きな拍手が会場に響く。
「……アンノウン、ねえ」
鳴り響く拍手の中、シオンの小さな呟きはあっさりとかき消された。
こうして、ダルタニア軍士官学校の卒業式は幕を閉じたのだった。
式典が終わり、会場であった講堂の周囲には卒業生やその親族、あるいは引き続き士官学校に在学する後輩など様々な人間が集まっていた。
門出の日であるとともに別れの日でもある以上、話すべきことや挨拶などがあるのだろう。
「おーい、シオン!」
人々の話し声でざわつく中でもはっきりと耳に届く快活な呼びかけが聞こえたかと思えば、シオンの肩に突然の重みがかかり、逞しい腕が回される。
「なんだ、ギルか」
「なんだとはなんだよ。お前の相棒様のお出ましだぜ?」
赤錆色の髪に少しの幼さを残した体格のよい青年、名前はギル・グレイス。
本人曰く、シオンの相棒――もとい、士官学校入学時からの友人である。
「急にどうした? 何かあったっけ?」
「オイオイ、用がなきゃ話さないような仲でもないだろ」
「それはそうだけど、俺たちは配属先一緒だし、わざわざここで話すこともないかなって」
冷静に返せばやれやれとでも言いたげに肩をすくめて見せるギル。それから無遠慮にシオンの腕を掴むと人混みの間を歩き始めた。体格はギルの方がはるかによいので、当然シオンは引きずられる形になる。
「へい相棒、引っ張るなら引っ張るで事情を説明してくれないかな」
「マイペースで面倒くさがりなシオンさんは恩師とか後輩への挨拶とかすっ飛ばしそうだから、連れてってやろうっていう優しい相棒の気遣いですよーだ」
相変わらずシオンを引きずったままで答えるギルの言葉に返す言葉はなかった。
自慢するようなことではないが、シオンは人間関係を構築するのが苦手である。
自身がマイペースなので人に合わせられないのもあるが、人に見えないものが見えるという体質を隠していることもあって積極的に他人に関わることもしない。
その結果、シオンの人間関係は全体的に希薄であるし、自分から相手に積極的に干渉するのも不得意なので概ね彼の予想通りのことを考えていた。シオンの数少ない友人であると同時に相棒を自称するだけあって、ギルはシオンのことをよく理解している。
しばらくの間引きずられるまま他愛のない話をしている内に目的の人物の前にたどり着いたらしく、ギルの足が止まった。シオンも観念して彼の向く先を見れば、赤みがかったポニーテールが揺れている様がまず目についた。
「あれ? アンタたちも来たの?」
きっちりと軍服を着こなした女性はシオンとギルにとって恩師にあたる教官――ではあるが、その立場にそぐわないフランクな口ぶりでこちらへと声をかけてきた。
「ラステル教官! マイペース野郎一名を連れてご挨拶に参りました!」
わざとらしいほどに綺麗な敬礼と共にやけに芝居がかった調子でギルが彼女に挨拶する。そんな状況次第では説教もののふざけた挨拶に小さく笑いながら、女性――アンナ・ラステルはこちらへと歩み寄ってきた。
「問題児ふたりはこんな日だろうが絶好調ってところかしら? でも、あのシオンを挨拶に引っ張ってくるなんて、ギルはなかなか気が利くじゃないの」
「そりゃあ俺たちふたりが一番世話になった教官っすからね」
和気藹々と話すふたり。教官と生徒というには随分と距離の近い間柄に見えるだろう。だが、アンナ・ラステルという人物はおおよそこれくらいの距離間で生徒と接する。年齢が若く生徒たちに近いこともあるが、それ以上に彼女の人柄によるもので、生徒からの人望も厚い。
そんな彼女であったから、シオンも色々な場面で世話になってきた。
「えっと、教官。この三年間お世話になりました。……あなたがいてくれて、よかったと思ってます」
面と向かって伝えるのは少々気恥ずかしいが、シオンはそう思っている。
アンナも口にしたように、シオンもギルも少しばかり問題児として学校側から扱われていた生徒だった。筆記試験の補習常連であったギル。そして成績はよいもののマイペースが過ぎて難があったシオン。そんな問題児ふたりを時に叱りつけ、時に優しく支えてくれた彼女には正直頭が上がらない。
そんな思いを込めての挨拶に彼女はわかりやすく驚いた表情を見せる。
「アンタがそんなこと言うなんて……槍でも降るんじゃ」
「何の心配してんですか!」
「ウソウソ、冗談よ冗談!」
あまりにもシオンに対して失礼な発言の後、ヒラヒラと手を振りながら笑う姿はとても軍人のそれではない。
「アンタたちは今までで一番手のかかった生徒だったけど……そのせいかしらね。一番可愛がった生徒でもあるわ」
そう言ってからギルともども腕を引かれ、一気に距離が縮まる。それからふたりまとめて抱きしめるように背中に腕が回された。
「アンタたちは無事に卒業して技師になった。アタシは今年から教官稼業から軍人稼業に戻る……なかなか会えなくなるだろうけど、元気でやんなさい」
言いたいことを言い終えたのか、今度は軽く突き飛ばすように解放される。
そんな彼女に、どちらが言い出すわけでもなくシオンもギルも普段はまずしない手本のような敬礼を彼女に見せた。それに嬉しそうな顔をして同じように敬礼を返すアンナとひとしきり笑い合ってから、シオンとギルはその場を離れた。
その後もギルに引きずられる形であちらこちらで挨拶を交わしていく。
シオンの交友関係がいくら狭いとはいえ、三年間も在籍していれば当然同輩も後輩もそれなりにいるので気づけば一時間以上が経過していたようだった。
「もうあらかた挨拶は終わったんじゃないか? 俺はそこまで顔広くないし……」
「だな。そろそろ寮に戻って荷造りでも……っと! あと一組挨拶しといた方がよさそうなのがいるぜ」
そう言ってギルが指差す先には男女の四人組がいる。
ギルの声に気づいたのか、ちょうどこちらへと向かってきているようだった。
「ふたりとも、卒業おめでとう……って言うのも変かな?」
言葉にしてから金色の髪をゆらしつつ首を傾げた男子。身長はシオンはおろかギルよりも高いのだが、少々幼さを残しつつも整った顔立ちもあってかその振る舞いにあまり違和感はない。
「間違えてはないんじゃないかな? そっちも卒業生だしお互い様って感じだけど」
「まあ細かいことは気にしなくていいんじゃね? レイスたちも挨拶回りしてたのか?」
ふたりして答えれば長身で金髪の男子、レイス・カーティスはニコニコ笑いながら頷いた。その後ろにいた残る三人も同じように頷いている。その三人を見て、シオンは思わず「うわ」と声を漏らしてしまった。
「ミツルギ兄妹がいて、そこにフランツ生徒会長までいるとか……どんだけ挨拶して回れば終わるんだろ……」
「どうしてあなたはいつもそう捻くれた考えになるのよ……」
ミルクティー色の長い髪を揺らしながら呆れたように言った少女はリーナ・フランツ。この軍士官学校において生徒会長を務めあげた上に、座学において首席で卒業した才女である。
そして残るふたり、ハルマ・ミツルギとナツミ・ミツルギも同学年はおろか士官学校の生徒や教職員で知らない人間はいないであろう有名人だ。
この双子は人類軍発足当初から功績をあげているミツルギ家の出身。さらには全体的に優秀な成績を残した上に専門の技術については学年トップだったエリート。しかも噂によれば、ふたりの兄も人類軍内で若くして出世街道を行くエリートであるという。
加えてハルマは黒髪に金の瞳を持つ整った顔立ちの凛とした佇まいの少年。ナツミは艶やかなショートの黒髪に満月のような大きな金色の目を持つ愛らしい顔立ちの美少女。注目が集まらないはずがない目立つ兄妹だ。
そうともなれば当然挨拶しなければならない相手はシオンの数倍はいるだろう。想像するだけで疲れてしまう。
「リーナ。もとからシオンはそういうヤツだろ? 卒業式の日だからって直るようなもんじゃない」
「兄さんの言い方はちょっとアレだけど……シオンがこんな感じなのは出会った時から変わらないもんね」
笑いながら懐かしむように言うナツミの言葉に、彼女との出会いを思い出してみる。
「そういえば、廊下を思いっきり走ってたミツルギ妹と曲がり角で激突したのが初対面だっ「そういうのは今言わなくたっていいでしょうが!」
思い出したままに言葉にしたシオンの行動が気に召さなかったらしく、ナツミは声を荒げた。
そんなふたりの様子を見て残るメンバーが笑う。
在学中度々繰り返してきた今のようななんでもないやり取り。それも今日卒業してしまえばなくなると思うと、少し寂しい。
「俺とギルは同じ整備班に配属されてこの島に残るけど……そっちは全員配属バラバラ?」
ふと思いついた問いを投げかければ全員がそろって首を横に振った。
「俺たちは同じ艦に配属になった」
「全員同じ⁉ そんなにエリート集めまくるとか普通じゃねぇな」
驚きのあまり声をあげたギルの反応は当然のものだ。
ミツルギ兄妹やリーナはもちろん、レイスも成績上位のエリートにあたる。今回の卒業生の中でも指折りの新人を四人もまとめて受け入れる艦となると、普通の艦ではなさそうだ。
「それはそうなんだけど、ここからは一応機密扱いになるから……」
「そりゃそうだ。新米技師ふたりに話せることってなると限られるだろうし」
同じく人類軍に属する人間とはいえシオンとギルは技師でしかない。むしろ同じ艦に配属ということを話してくれただけでも十分と言ったところだろう。
「というかうっかり聞いちゃいけないこと聞きたくないし、この話題やめよう」
「お前……本当にそういうところは昔から変わらないよな」
「君子危うきに近寄らず。俺は平穏無事に生きるのだけが目標だから」
呆れたような視線を感じるがあえて無視する。彼らに話せることではないがただでさえ厄介な体質を持つ身で、それ相応に人に話せない修羅場を生き残ってきたのだ。平穏に暮らせるのならそれ以上によいことなどない。
「まあ俺のモットーはともかくとして、四人とも元気で。……ここに戻ることがあれば、一緒に食事くらいはできるだろうし」
あえて口には出さないが、艦に乗るということはおそらく彼らはアンノウンとの戦闘を行うことになるのだろう。
戦いに出る以上、最悪の結末は常に付きまとう。彼らが全員能力の高いエリートであるとはいえ、その可能性は決して低いわけではない。
今、ここで交わしている会話が最後になるかもしれない。それを理解したうえで、シオンが選ぶ別れの言葉はこれだった。
どんな形であっても生きていればいい。そうであれば、また笑い合える可能性は残されているのだから。
別れの挨拶を再度交わした後、シオンはそのまま講堂から少し離れた、主に商業施設が集まっている区域にやってきていた。
卒業式を今日迎えた生徒のほとんどは明日在学中に世話になった寮から退寮し、それぞれの配属先に応じた住居に移る。それは技師であるシオンも例外ではなく、さらに言えば明日の内に引っ越しを済ませた後、明後日から早速技師としての仕事が始まると上司から告げられている。
仕事が始まってしまえば時間的余裕がなくなるのは目に見えているので、今日の内に最低限必要な生活用品や引っ越し先で必要になる物品の買い溜めに来たというわけだ。
「う~ん、こういう気軽な買い物も、今日からしばらくお預けかな」
そう言って伸びをしたのはミツルギ妹ことナツミだ。
つい先程別れたばかりであったはずの彼女だが、どうもこの近辺で買い物があるのはシオンと同じだったらしく偶然合流する形になった。
「ミツルギ妹は艦に乗るわけだしな……けど、艦に乗るのに何買うのさ?」
シオンは技師としてこの人工島にある基地への配属という扱いになり、宿舎などに持ち込める私物は極端なものでなければ自由となっている。
それに対して艦に乗るナツミの場合、シオンに比べ圧倒的に制限が多いはず。
特にこの辺りは軍に関係のない民間企業の製品を販売している店舗ばかりなわけだが、そんな場所で艦に持ち込めるようなものがどの程度買えるのだろうか?
「確かに基地への配属に比べればチェック厳しめではあるけど、そこまでガチガチでもないんだよ? 特に最近はね」
シオンの考えを察したのかナツミは当然のように答えた。
「そういうもん?」
「そういうもん! とりあえずあたしは生活用品とかいろいろ買っておかないと。シャンプーとか、洗顔用品とか」
「そういうのって軍からの支給があるんじゃなかったっけ?」
軍属の人間や軍士官学校の生徒であれば、最低限の生活用品は軍の用意したものが無料で支給される。ナツミの今挙げたような物は当然そういった最低限の範囲内に含まれるはず。
あえて自分で買う必要などないのではとシオンは考えたわけであるが、対するナツミは微妙な表情になった。
「確かにもらえるけど、あれは本当に最低限というか……シャンプーは髪がキシキシするし、その他のも品質がいいとはお世辞にも言えない感じじゃない」
「ま、オシャレだなんだと気にする女子には不満な代物なのかも。俺はあれで十分だったけど」
「言っとくけど、男子でも遠慮する人が大多数だよ⁉ うちの兄さんですら、あれはないって言って市販の買ってたんだから!」
シオンの答えに対して食い気味で反論するナツミ。その表情はわかりやすい呆れの感情に溢れていた。
「……わかってはいたけど、シオンって本っ当にそういうの無頓着だよね」
「シャンプーなんてとりあえず洗えればいいし、他のもまあ……とりあえず最低限できれば困らないし?」
「服も軍支給のシャツとスラックスばっかりで、私服らしい私服一着も持ってなかったのには本当に驚いたわよ……」
シオンは軍士官学校に在籍していた三年間。支給を受けられる物品についてはほとんどすべてそれのみで賄っていた。基本的に金のない身であったし、正直オシャレや身だしなみに対して興味はない。タダで済ませられるのであればそれが一番といったところだ。
それを包み隠さず伝えたところ、ナツミはさらに呆れた様子を強めた。
「そんな感じのくせに、本と甘いものに費やすお金だけは惜しまないんだよね」
「……別にいいじゃん。好きなもんは好きなんだから」
住居は生徒寮、衣類や生活用品は軍支給の無料のもの。しかしそんなシオンが唯一金銭を使うのをためらわなかったものは娯楽の書籍類と食事――特に、好物である甘いものである。
「正直、甘いものさえあれば生きていける自信はある」
「本当に末期の甘党って感じだよね……こんなで生徒寮の食堂から離れて大丈夫なの? いつかみたいに三食ドーナツとかダメだからね?」
「……ハハハ」
シオンのかなり怪しい返答にわざとらしいほどの大きく溜息を吐いたナツミ。しかし単に呆れているというわけではなく、わずかに微笑んでいる。
「いろいろテキトーで面倒くさがりでマイペースで……でも案外おせっかいだったり面倒見はよかったりして。……うん、初めて会った頃から変わらないや」
懐かしむように話すナツミに、シオンも彼女との出会いを思い出してみる。
「そっちも変わってないかもな。……いいとこのお嬢様の割にアクティブでじゃじゃ馬で、入学早々遅刻しかけて全力疾走のあげく俺にぶつかってきたり「さっきも言ったけどそういうのは忘れなさいよね!」
言葉を遮って叫ぶナツミは先程までとは一転して顔を真っ赤にして怒っている。その表情を見て、余計に怒らせてしまうとわかっていてもシオンは思わず笑ってしまった。予想通りムッとした顔を見せたナツミが口を開くより先に言葉を続ける。
「俺は、そういうところが結構好きだったよ」
思ったままのことを伝えればナツミは驚いた様子で口を開けて固まったが、それに構わずシオンは続ける。
「気取ったやつとか、落ち着きのあるやつって相性悪いからさ。多分、お前があんなだったからこそ普通に話せたし、仲良くやれたんだと思う」
相変わらず動きのないナツミ。それがなんだか間抜けに見えてまた小さく笑ってしまいながら、もう一度口を開いた。
「三年間、お前や他の連中といられて結構楽しかった。……ありがとな」
「急にそういう恥ずかしいこと言わないでほしいんだけど……」
答えるナツミの頬は少し赤い。そのような反応を返されてしまうと話した側のシオンも少々居心地が悪い。シオン自身らしくないことを言った気はするのだが、伝えるべきことではあったと思う。
「……さて、気を取り直して買い出ししないと」
「……だね。ついでに卒業祝いにケーキ食べよ! この先のカフェのやつ」
互いに恥ずかしさを振り払うように他愛もない話をしてシオンとナツミは歩き始める。
他愛のない話で笑い合い、買い物をしたり、店で食事を楽しんだり――そんな平凡で穏やかなひと時。この先しばらくは忙しくなるのでそういった穏やかな時間はないだろうが、今日ぐらいは構わないだろう。そんな風にシオンは思っていた。
そんな当たり前の日常の中、突如として言い様のない寒気がシオンを襲う。
間髪入れずに、ピシリ、というガラスが割れたような音を聞いた。咄嗟に音が聞こえた方向を見て、すぐさま異常に気づく。
シオンの視線の先では、空にひびが入っているのだ。
シオンの視線の先を追いかけたナツミや、それ以外の道を行く人々も空の異常に気がついたのかざわざわと騒ぎ出す。そんな民衆の中で、シオンだけはこの後に起こる最悪を予見していた。
「……げろ」
「え?」
聞き直してくるナツミの方へ、今度は叫ぶように告げる。
「今すぐここから逃げろ! あの裂け目からバケモノどもが来るぞ!」
直後、空中のひびが大きく広がり、生じた隙間からから真っ赤な瞳がこちらを覗いた。さらに鋭い爪を生やした獣の前足がその隙間を広げていく。
獣の姿をした漆黒の存在――アンノウンと呼ばれるモノたち。
平穏そのものであったはずの人口島に、突如としてその禍々しい存在は姿を現した。
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